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ゴミ清掃員ときどき芸人、マシンガンズ滝沢の前向きなあきらめ
「ダウンタウンにはなれない」からのスタート
2019年に出版したコミックエッセー『ゴミ清掃員の日常』が好評を博し、シリーズ累計10万部を突破したお笑いコンビ・マシンガンズの滝沢秀一さん(43)。2020年7月には、前作と同じく妻の作画による『ミライ編』、そして、イラストレーター・326(ミツル)さんとの共著絵本『ゴミはボクらのたからもの』を刊行した。生活に困窮(こんきゅう)して始めたゴミ清掃業が、なぜ今注目を浴びているのか。「本業はゴミ清掃員」と言い切る滝沢さんに、「本を通して伝えたいこと」「副業としての芸人」について聞いた。(ライター・鈴木旭)
マシンガンズ・滝沢秀一
――コロナ禍の中、リスクを負いながら働かれているゴミ清掃員の方々に頭が下がる思いです。管理を徹底されているのか、清掃員の方からほとんど感染者が出ていないという事実にも感服します。
たぶん隠蔽(いんぺい)もしてないと思うんですよね。周りでも感染者はいないですし。普段から作業中はマスクもするし、除菌や手洗いもしているから、意外と基本的なことが効果的なのかもしれませんね。ここは声を大にして伝えたいですね、「手洗い」「うがい」っていう基本が一番大事!
――緊急事態宣言が発令された自粛期間中に断捨離した方が多かったそうですね。もちろん世界的に大変な時期でしたけど、滝沢さんの新刊『ミライ編』を読んだ時、“ゴミ清掃員の方は自粛できないんだ”と気づいてハッとしました。
感染者が最初に増えた時期っていうのは、「ゴミ」と「コロナ」っていうのが結びついてなかったと思うんですよね。「まずは医療従事者だろう」という注目のされた方があったし。ただ、よく考えたら「オレらも危ないよな」って。その事実をみんなに知ってほしかったんですよね。
――感染者が増え続ける中で、ゴミ清掃員として働く怖さはありませんでしたか?
ありましたよ、めっちゃ怖かった。やっぱり“見えないもの”って一番怖いですよね。コロナ以前からそうですけど、ゴミって不特定多数の人が出すから、意外と危ないものとかも入っていたりするんです。だから、コロナについても警戒心はありました。
なんの免許もない我々の防具はマスクぐらい。コロナ禍で大変だったのは、そのマスクがないことです。ゴミ清掃会社のほうにも回ってこない状況で、「あとは自己管理で頼むわ」と言われてしまって。マスクの買い占めは、ゴミ清掃員にも影響があったんです。
――そんな中で、作業されていたんですか! 本当に頭が下がります……。『ミライ編』は、前作よりも社会問題の部分に焦点を当てている印象を受けました。
みなさんにゴミのことを知ってほしいと思う中で、一番大事だと感じていた「最終処分場の問題」「フードロス」っていう僕の“核”みたいな部分を入れておきたいなっていうのがありました。これが意外と知られていないんですよね。
――「東京の最終処分場は持ってあと50年」「企業と家庭のフードロスがほぼ同じ割合」という具体的な数字が、すごくリアルですね。
日々の暮らしの中で清掃車が走ってるし、ゴミ清掃ってどんな方にもなじみのある仕事だと思うんですよ。ただ、実際どんなふうに仕事をしていて、ゴミの現状がどうなっているのかまでは知る機会がない。この本を通して、僕がゴミ清掃員として感じた驚きみたいな部分が伝わればいいなと思います。
――同時期に、かつて原宿系アーティストとして一世を風靡(ふうび)したイラストレーター・326さんとの共著絵本『ゴミはボクらのたからもの』も発売されました。こちらは、どんな流れで話が進行したんでしょうか?
個人的にけっこう前から「絵本をつくりたい」って思いがあったんです。そんな中で、326さんからあるイベントに誘われて。面識はなかったんですけど、僕のことを知ってくれていたみたいなんですよ。そこで、326さんから「なにか一緒にお仕事しませんか?」と声を掛けていただいたのがきっかけです。
運命的なものを感じましたね。本当にお互いに引き寄せられたって気がします。326さんも光と影を見てきただろうし、同じような人生を歩んでいると、似たような人間が集まるのかな(笑)。それぞれアイデアを出し合って、驚くぐらいスムーズに絵本づくりが進行していきました。こっちは子どもたちに楽しんで読んでもらえたらと思います。
――前作と今作で一貫しているのは、ゴミ清掃業から人が見えてくることです。同じ職場で働いていてガンで亡くなった内山さんの話、40年近く俳優をやっている方の話など、幅広い個性を持った方と仕事を通して交流されているのが少しうらやましくもあります。
そう言ってもらえるとすごくうれしいです。僕の周りでも、「滝沢がゴミ清掃員として働いてると知ってから、分別するようになった」って芸人がたくさんいます。清掃員として働いている人の顔がわかることで、ゴミの分別にも影響があるんじゃないかと思って書いたところもありますね。
――切実さが伝わってくるのは、そこが大きいかもしれないですね。どんな状況であれ、前向きな姿勢で生きる人とかかわっているのは、滝沢さんにも影響を与えたんじゃないですか?
最初は、「なんとか芸人を続けていく方法はないか」ってことでゴミ清掃の仕事をはじめて。その時はゴミに対する強い思い入れもなかったんです。ただ、死を目前にした内山さんが「日常をまっとうして死んでいきたい」みたいなことを言っていて、改めて普通に暮らすありがたさを痛感したところはあります。この言葉は深いなぁと。
――内山さんの言葉は、そのまま滝沢さんの『ゴミ清掃員の日常』にも反映されていますよね。
僕を見て、「自分より下がいるぞ」って感じてもらってもいいし、「同じような人間がいる」っていうのでもいい。僕みたいな生き方が、少しでも支えになればいいなと思います。
この世界で働き始めて感じたのは、違う世界に入っていってコミュニケーションを取ることの重要さです。やっぱり芸人っていう狭い世界にいると、似たような考え方になっちゃうんですよ。いろんなところで、いろんな方と話したほうが世界は広がります。それを40歳前後で気づくのも遅いですけど(笑)
――いえいえ、年齢は関係ないと思いますよ(笑)。ところで、どのあたりからゴミ清掃業あるあるを広めたいと思うようになったのでしょうか?
ゴミ清掃員として働いてから3年目ぐらいで真剣にやってみようと思ったんです。バラエティー番組とかのちょっとしたワンコーナーで、ゴミ清掃業あるあるをしゃべれたらいいなと。それから、あるあるネタを書きためるようになったんですよ。
本を出す前の僕は、芸人の間でも「ゴミ清掃員として働く人間」という扱い。だから、あえてゴミ清掃業あるあるをツイートしたら「お前、お笑い真剣にやれ!」ってイジッてくれるんじゃないかと思ったんです。そしたら、先輩の有吉(弘行)さんがリツイートしてくれるっていう想定外のことが起きて。「有吉さんが喜んでくれるなら毎日やろう」と決心して、それからずっと更新してます。
――滝沢さんにとって、有吉さんはどんな先輩ですか?
厳しいですよ、無条件に優しいとかではないですね。面白いことをやればすごくほめてくれるけど、なれ合いでサポートしたりはしない。だからこそ、「有吉さんがほめるのは嘘じゃない」って思えるんです。お笑いをずっと追求されている方だし、本音で言ってることが伝わってくるので。
――有吉さんも芸能界で浮き沈みがありましたよね。滝沢さんもネタ番組全盛の時代に活躍されて、その後に露出が減ってから「もう一度売れたい」という思いはありませんでしたか?
もちろんありましたよ。そのつもりでゴミ清掃員の仕事をはじめましたから。ただ、長年やっていると肌感覚で「自分の実力はこの辺だな」ってわかってくるんです。ゴミ清掃員をはじめて3年目くらいですね、「この先、厳しいだろうな」と。
たまに呼ばれるお笑い番組に出ると、毎日お笑いのこと考えてる“化け物”みたいな芸人を目の当たりにするわけですよ。「こんな中でやっていけるのかな」って思いも正直あって。それから、「目の前にあることを楽しもう」って考えにシフトしたのはありますね。
――マシンガンズさんがネタ番組に出演されていた2000年代は、芸人のイメージがすごく変わっていった時期だと思います。たとえば『アメトーーク!』では、「○○芸人」という括りができて、“特定のことに詳しい芸人”にスポットが当たったりもしました。
『爆笑レッドカーペット』とかネタ番組に出ていた頃は、「トークでなにか違った展開がないかな」とは思ってましたね。たぶん、僕らには「ネタ以外でお願いしたい」っていう“なにか”がなかったんですよ。ネタ番組には出ていても、『さんま御殿』『ダウンタウンDX』からは声が掛からなかったので。
それで、「なにが足らないんだろう?」と模索するんですけど、結局答えは見つからないんですよね。今でこそ本を出せていますけど、ゴミ清掃員は「『アメトーーク!』に出よう」とか「芸人の幅を広げるため」に始めたわけじゃないですから。自分でもこんなふうになるなんて想像もしてなかった。
――小説を書かれていたのは、芸人としての活動と関係していましたか?
それは狙って書いていましたね。要するに、今でいう又吉(直樹)くんになりたかったんですよ。ただ、大きな賞をもらったわけでもないし、あの頃(2000年代)は試行錯誤の連続でした。
周りの芸人に対する嫉妬みたいなものはなかったです。たとえば『アメトーーク!』の「○○芸人」で注目を浴びた芸人に「なんだよ、芸もやらねぇで」なんてまったく思わない。どっちかっていうと、「みんな、ネタ以外のことをもっとやればいいのに」って思ってましたね。
こういう考えになったのも、ダチョウ倶楽部のリーダー・肥後(克広)さんから、「芸人だったら、“やりたいと思うこと”をとりあえずやってみろ。ダメだったらヘラヘラして帰ってこい」と、人生の指針になるような言葉をもらったからです。
意外と人間って「ヘラヘラして帰ってくること」ができないんですよ。たとえば売れるために赤い縁のメガネとかすると、芸人仲間からバカにされる。だけど、そういうのを恥ずかしがらずにやることって本当に大切だと思う。僕はそれができる芸人でありたいし、やっていいんじゃないかって思いますね。
――ここ数年で、滝沢さんやハチミツ二郎さんのように正社員として働いたり、起業して収入を得たりしながら活動する芸人が増えています。どうしてこういった芸人が増えていると思われますか?
ハチミツさんの場合は、あそこまでいかれた芸人が“就職する”って行為がもう面白いじゃないですか。それも含めてお笑いなんじゃないかなって思ったりもします。もちろんこのあとの展開を考えていらっしゃると思いますので、ハチミツさんが次になにをやるのかすごく楽しみです。
それ以外の芸人は……やっぱり、食えなくなると辞めていくんですよ。完全にお笑いを辞めると二度と会わなくなったりもするし、それはちょっと寂しいなぁという気もする。僕はお笑いを続けるためにゴミ清掃員になったんですけど、「こうやったらお笑いを辞めずに済むんだよ」っていうのを後輩に見せたいって気持ちもあったんですよね。
だから、「長く付き合っていこう」と起業して仲間を雇ったりする芸人はすごいなって思います。それこそやりたいようにやって、ヘラヘラしてお笑いを続けていければいいんじゃないですかね。
――とても深い言葉ですね。滝沢さんは「本業はゴミ清掃員。芸人は副業」とおっしゃっていますが、芸人を副業と割り切るメリットやデメリットはありますか?
まずお笑いのハードルが低くなる。「オレはゴミ清掃員だから」っていう顔でいられるし、最悪は引き分けに持っていけます(笑)。もう解散しましたけど、弾丸ジャッキーってコンビは最終的にバク宙(後方宙返り)をやるんです。その前にどんなにスベッても、バク宙やるとお客さんが「オー!」ってなるから、引き分けになる。やっぱり持つべきものは一芸ですよ。
デメリットはほとんどないですね。テレビドラマの『ハケンの品格』にゴミ清掃員役として出演もできたし、『ワイドナショー』にも呼んでいただけた。圧倒的にメリットのほうが大きいと思います。
――今後、正社員として働いたり本業を持ったりしながら、芸人を続けるスタイルは定着していくと思いますか?
増えてくんじゃないですかね。芸人のほうが社会に貢献できる気がするんですよ。たとえば水道メーターの検針をやっている芸人なら、「水道の民営化」「水道がいかに大切か」みたいなことを調べたりして「今、こういう問題が起きてます」って広めていったら面白いじゃないですか。もっと自分の状況を使って、みんなが関心を持てるような話題を発信していったら楽しいだろうなと思いますね。
――芸人の多様化が進む中で、今の滝沢さんが思う“芸人の成功”とはどんなものですか?
お客さんと自分が楽しくいられたら、もうそれが成功なのかなって思ったりもします。自分が「ダウンタウンさんじゃなかった」「(ビート)たけしさんじゃなかった」って考えられるまでに時間はかかりましたけど、そこをあきらめてから芸人っていうものが走り始めた気がするんですよね。
だから、今は目の前のお客さんを楽しませること。あとは自分が楽しいかどうか。この2つがそろっていたら、売れるかどうかは運次第。理想通りのポジションに行けたからって、必ずしも成功とは限らないと思うんですよね。誰もがあこがれるタレントであっても、自分を追い詰めて亡くなってしまったら、これ以上悲しいことってないじゃないですか。
周りを見てると、「お前こそよく生きていけるな!」って芸人がゴロゴロいる(笑)。でも、彼らは自分自身を楽しんでるんですよね。それはそれで1つの成功だと思う。芸人道っていうのは深いですよ。
マシンガンズは、主に腹の立ったエピソードを例に挙げ、コンビでツッコむ“キレ芸”で注目を浴びた。漫才におけるボケの役割を外し、ひたすらコンビでツッコミを入れ続ける。このスタイルが斬新で、数々のネタ番組に引っ張りだことなった。
彼らと同時代に活躍した芸人は、賞レースで目立つために“漫才の型”そのものを工夫していたコンビが多い。“Wボケ”の笑い飯、“ズレ漫才”のオードリー、“小ボケ量産型”のナイツなど、いずれも従来型の漫才とは一線を画していた。
ただ、それは単純に「奇抜なことをやってやろう」というだけでなく、個性的な漫才が確立した時期でもあったように思う。なぜなら、彼らはいまだに“自分たちの型”でネタをつくっているからだ。変化の激しい時代において、これほど強いものはないだろう。
今、ゴミ清掃員として働く滝沢さんが注目を浴びているのは、“お笑い冬の時代”とも呼ばれた2000年代に、それでも“自分らしいもの”を模索した経験が生きているのだと思う。詩人としても知られるジャン・コクトーの言葉を引用するなら、「存在することの危うさに最後の最後まで賭ける」人間には、必ずなんらかの成功が待っているのだ。
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