連載
#1 #半田カメラの巨大物巡礼
好景気が生んだ「悲劇の巨大仏」台風で腹に大穴、廃墟に…数奇な運命
滅びゆく観音像に注がれる、写真家の熱い思い
災害や疫病などが起き、社会を不安が覆ったときに造られる「大仏」。その大きさは、人々の恐怖心を吹き飛ばす力となってきました。新型コロナウイルスが流行している今も、「大仏を建立しよう」という言葉が、いわゆるネットミームとして語られます。全国に点在する像の中には、好景気を背景に造られたものが少なくありません。地域のランドマークとして親しまれながら、ブームが去ると長年放置され、廃墟と化してしまうケースも。「見る人を圧倒するパワーは、建てるだけでは保てない」。全国で300体近くの「巨大仏」を撮影してきた写真家・半田カメラさんが、悲劇的な運命をたどった観音像への思いをつづってくれました。
「大仏建立」。ネットでたびたび目にするワードです。
今から1200年以上前、現在の奈良市にある東大寺に「奈良の大仏」が造られました。災害や疫病などで荒れ果てた世を建て直すためだったと伝えられます。そのことから、いつしか大規模な災害が起こるたび、「大仏建立」という言葉がSNS上を飛び交うようになりました。そして新型コロナウイルスの感染拡大とともに、さらに目にする機会が増えたように感じます。
もちろん現代において「疫病流行=大仏建立」という考え方は現実的ではありません。これがいわゆる「ネタ」的に扱われているということは暗黙の了解。とは言え、いつ終わるとも知れない鬱屈(うっくつ)とした現実を前に、仏様の力で心を落ち着かせたい……という気持ちが働いてしまうことも、また事実。「大仏建立」というワードは、何かにすがりたいという人々の気持ちの現れなのだと思います。
ある意味「大仏建立の気運が高まっている」ともとれる状況に逆行するように、今まさに取り壊されようとしている大仏様があることをご存知でしょうか。瀬戸内海最大の島、淡路島にある「淡路島世界平和大観音」(兵庫県淡路市)という巨大観音像です。
私は商業カメラマンとして働く傍ら、大仏が好きという趣味が高じて「大仏写真家」を名乗り、日本各地の大仏様を巡る日々を送っています。
きっかけは10年前に出会った、茨城県にある日本一大きな大仏、高さ120メートルの「牛久大仏」(同県牛久市)。そうなると当然2番目に大きな大仏も気になってくるわけで、それが「仙台大観音」(仙台市)と淡路島世界平和大観音(ともに高さ100メートル)だったのです。
淡路島世界平和大観音は、台座を含め高さ100メートルのコンクリートの観音像です。多くの巨大仏がそうであるように、仏像であり建造物でもあるので中に入ることができます。
淡路島の北東岸を沿って走る国道28号線を行くと、前方にそびえ立つようにして真っ白なビルが見えてくるのですが、近づくに従い、それが単なるビルではなく巨大な仏像であることに気付き、衝撃が走ります。ドライバーが観音像見たさにスピードを落とすため、観音像周辺が軽い渋滞になっていたこともありました。
私が初めて淡路島に行き、この観音様に会ったのは2013年のこと。当時、既に施設は廃墟と化していました。観音像のすぐ下に建つ「十重の塔」はネットで覆われ、観音像もフェンスやロープが設置され立ち入ることができませんでした。
そう、淡路島世界平和大観音は「悲劇の観音様」なのです。その経緯について、私が知る限りのことを、ここに記します。
淡路島世界平和大観音が造られたのは、1982(昭和57)年。バブル前後には財を成して巨大な仏像を建てる人というのが稀(まれ)にいらっしゃって、この観音像も地元出身の実業家が手掛けたものです。
建立当時は牛久大仏もまだ存在しておらず、並ぶものなき「日本最大の仏像」でした。内部にはお寺らしい四国八十八ヶ所の「お砂踏み」(札所の砂を踏むことで、お遍路と同等の御利益が得られるとする風習)もありましたが、大部分は博物館や美術館などの展示施設。最上階は、観音様の首にあるマフラーのような部分で、展望台になっています。
今となっては想像しづらいのですが、当初はずいぶんにぎわっていたのだと、近隣に住む男性が懐かしそうに話して下さいました。
では、なぜ廃墟となってしまったのか。それにはいくつもの要因があるのでしょうが、私が推測するに、外観にも要因の一端があるのではないかと思うのです。
個人的にはそこが好きなところでもありますが、この観音様は、どうも外観が「ユルかわいい」。通常であれば内部に隠すはずの展望台は外にむき出しで、異物感を覚えてしまいます。さらに全体のフォルムもなんとなくカクカクして、細部の描写も少ないように思います。
地元の方の話では、観音様の左手は体に沿わせるように下に降りていますが、計画段階ではもっと前方に出る予定だったのだとか。それが金銭的な問題か、技術的な問題かはわかりませんが、体に沿わせる形になってしまった。これらの外観、そして前述したように展示という観光目的の施設であったことによって、宗教法人化されず、存続が困難になったのではないかと想像できます。
所有者の男性が1988(昭和63)年に亡くなり、妻が相続。妻も亡くなると遺族が相続を放棄したため所有者不在となり、2006(平成18)年に観音様を含めた施設は閉鎖。放置されるままとなってしまいました。
ユルかわいいとは言え観音様、仏様です。どこかのお寺の所有になり存続する道はないだろうか……。大仏を愛する私は、わずかな希望にすがりつつ動向を見守っていたのですが、翌年、悪いニュースが流れます。「台風でお腹に穴があいた」というのです。
2014(平成26)年8月、台風により、観音様の左脇腹の外壁が数平方メートルにわたり落下した、と報じられました。いても立ってもいられず、関西に行くタイミングで立ち寄ると、観音様は脇腹から隙間風が吹き抜けるなんとも痛ましい姿に。どうしようもない無力感が込み上げました。ですが悲劇はこれだけにとどまりません。
2018(平成30年)年の台風で、再び外壁が落下したと聞き、私はまた淡路島へ向かいました。
左脇腹の穴は二つになり、全体を見ても明らかに荒廃が進んでいる印象。これだけ破損していては新たな買い手もつかないでしょうし、周辺住民の安全も脅かされかねない危険な状況であると、素人目にも見て取れました。取り壊しの時は、刻一刻と迫ってきていると感じ、観音様の姿を眼に焼き付けておこうと思いました。
そして2020年4月、とうとう来るべき時が来てしまいました。淡路島世界平和大観音の解体が決まった、という情報が飛び込んできたのです。
実はこの少し前、観音様の展望台から男性が飛び降りたと報じられています。それが決定打になったのではと想像していますが、真偽は定かではありません。22年度中に十重の塔と山門、そして観音像をそれぞれ撤去する予定なのだそうです。
周辺住民の安全を思えば、解体は仕方ないと思います。100メートルもある巨大な廃墟が10年以上も放置され、破片が周辺に落下し、不法侵入者までいるのでは、安心して住める環境とは言えません。解体と聞いて、ほっと胸をなで下ろした方も多いことでしょう。
しかし、少なくとも私が話を伺った周辺住民の方々は、観音様を好意的にとらえていたようでした。仏様として造られたのですから、宗教法人化されていれば、あるいはどこかのお寺が管理する道が開かれたなら、もっと違ったストーリーもあったのではないかと思えてなりません。
一般的にはあまり知られていませんが、日本には同じような危機に瀕する巨大仏が複数存在しています。巨大なものというのは、ただそれだけで人を圧倒するパワーを持っています。そのパワーを維持していくには、莫大(ばくだい)な費用がかかるのです。
「大仏建立」とつぶやくのは簡単です。ですが、実際に成し遂げた後には、それを維持していくという、さらなる大仕事が待っています。淡路島世界平和大観音のような悲劇を繰り返さぬよう、今ある大仏様を維持・存続させるため、ウイルス禍が落ち着いたら、ぜひ現地に足を運んでもらいたい。
そこにはきっと、あなたが今まで経験したことのない、圧倒的な世界が待っていると思うのです。
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