地元
「家は潰れるとゴミなんや」被災して選んだ「茅葺き職人」の人生
茅葺きの家は「貧乏くさい」。日本の茅葺き職人の男性は、高齢の住人がそう話すのを何度も目にしてきました。「そうじゃない」と証明するために茅の可能性を探し続けています。5月、茅葺きの未来について話し合う「国際茅葺き会議」が岐阜県で開かれました。舞台に立った男性は「茅葺きは知恵の象徴だと証明できた」と、ようやく確信を得ました。
神戸市の相良育弥さん(39)は、国際茅葺き会議で日本代表の一人として日本の現状などを説明しました。欧州などでは茅葺きの価値が変わり、今では新築が建ち、エコロジーの観点からステータスシンボルに変わってきている国もあります。
相良さんは何度も欧州へ足を運び、日本との違いを肌で感じてきました。
相良さんは各国との意見交換で呼びかけました。
「日本は遅れているのが現状。ヨーロッパはノスタルジー(郷愁)を振り切っている。選べる豊かさを目の当たりにした。日本ではまだ茅葺きの認知度が低く、新築を建てて住むことがリアルではない。一人でも多くの人に知ってもらいたい」
「茅葺きは建築物とみられることが多いが、生き方の一つの呼び方だと思う」とも語った相良さん。きっかけは1995年の阪神大震災でした。中学3年だった相良さんは自宅で地震に遭いました。自宅にはヒビが入り、近くの道路は陥没。よく遊びに行った神戸の繁華街はビルが倒壊していました。
その光景を見て「家は潰れるとゴミなんや」と感じたといいます。大工と農作物を育てていた祖父を見て、生きる力とは何かを考えました。
「百姓になりたい」
祖父の田んぼで自給自足を始めた相良さん。軌道に乗らず試行錯誤をくり返していた時、葺き替えのアルバイトに誘われました。
2カ月ほどかけて1軒の屋根を葺き替える。ある日、親方に「百姓になりたい」と打ち明けました。
「百の技を持っている人が百姓だとしたら、まだ三姓くらいですけど」と話した相良さんに、親方は「茅葺きの中に10は詰まってるで」と返しました。
茅はススキやヨシなどの草の総称です。茅葺きの仕事の中には、草の刈り取り方や縄の結び方など10どころではない技がありました。茅を葺き替える以外にも、自然の中で生きる知恵が詰まっています。
「茅葺きって百姓そのもの」。そう感じた相良さんは、そのまま親方の元で修行を始めました。
茅葺き家屋の建設資材は草や竹、木など自然の中にあります。
「茅葺きはうそがなくていい」。5年の修行を経て、30歳のころ独立しました。
独立とともに新しい茅葺きの表現も試み始めました。茅葺き職人といえば、伝統的建築物の修復が仕事。古い家だけではなく、今の建築になぜ応用できないのか疑問でした。修行中に見たヨーロッパの建物は、新築にも茅葺きが使われています。日本で新築を建てたい気持ちが強くなりました。
ただ、茅葺きの欠点は燃えやすいことです。日本では建築基準法などの定めで、市街地で新築の建築材に使うことはできません。目に触れる機会を増やそうと、イベントの展示品やオブジェ、建物の装飾として新しい表現を模索しています。
相良さんが携わった建物が、神戸のほか東京の代官山や恵比寿にあります。茅葺きの技術を使った装飾として、出入り口や建物外観に使われています。
恵比寿の施設担当者は「茅は時間を通して変化がある。子どもたちに自然の循環を感じてもらいたい」と話しています。
国際会議で相良さんは、これまで出会った茅葺きに関わる人たちの思いを代弁する気持ちで壇上に立ちました。
自分の茅葺きの家を「貧乏くさい」「汚い家」「貧乏だから瓦にできんかった」と語っていた高齢の女性。ずっと、「そんなことない」との思いで活動を続けてきました。
国際会議では、土にかえすという古くからの循環が残る日本の茅葺きに、各国から関心が寄せられました。会場の反応を見て、相良さんは確信をもてたと言います。
「じいちゃん、ばあちゃんのやってきたことが評価された。知恵の象徴だと証明できました」
この国際会議を大きな機会に、相良さんは茅の魅力を発信していきます。
1/17枚