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「長年の相棒のアイロンを…」 洗濯業65年、閉店あいさつが胸を打つ

クリーニング店に貼り出された「閉店あいさつ」が、ネット上で注目を集めています。

話題の閉店あいさつ文はこちら
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目次

 今から65年前、10歳以上年の離れた弟たちのため、入って1カ月だった高校を中退した青年。鹿児島から鈍行列車を乗り継いで上京し、クリーニング店に住み込みで働きました。22年前に自分の店を構え、今年3月末に閉店。これまでの思いを込めて貼り出したあいさつ文が、ネット上で注目を集めています。家族と一緒に書いたという文章について、話を聞きました。

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古江勇雄さんの右手小指には「アイロンだこ」が
古江勇雄さんの右手小指には「アイロンだこ」が

長年の相棒のアイロンを


 今月中旬にツイッター投稿された画像。そこに写っているのは、都内のクリーニング店のシャッターに貼られた文章でした。

 御礼

 第一クリーニング商会先代であるおじの元に 鹿児島から一人、電車を乗りつぎ出て参りました。

 十五歳の時です。

 無器用なもので 他の事は何ひとつ出来ません。

 只々、この仕事をひたすらに続けてきました。

 人生は、あっという間ですね。

 今年で八十歳になります。

 この辺りで長年の相棒のアイロンを置こうと思います。

 お陰様でまだまだ元気でありますので 残りの人生 家内と二人、楽しんでいこうと思います。

 長きに渡り当店を御利用頂き、ありがとうございました。

 心より御礼申し上げます。

 第一クリーニング商会 古江勇雄

 平成三十年 三月 三十一日
話題の閉店あいさつ文はこちら
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東京都中野区にあります


 この投稿に対して、「素直に泣けてくる」「ピンスポットに照らされたアイロンが見える」といったコメントが寄せられ、現在も拡散が続いています。

 貼り出したのは、東京都中野区にある「第一クリーニング商会」。今から22年前、店主の古江勇雄さん(79)が、母の兄が営んでいた店を引き継ぐかたちでオープンさせました。

 「私が地元の高校に入学したとき、弟2人は3歳と1歳でした。家計が苦しかったこともあり、1カ月で辞めて、母の兄を頼って上京してきました」と勇雄さん。

 母親からは「長旅だから急行に乗りなさい」とお金をもらいましたが、3日かけて鈍行で上京。浮いたお金はそのまま母に返しました。

 勇雄さんの妻・順子さん(77)は、勇雄さんの母親からこの時の話を聞かされたそうです。

 「『あのお金でお米を買ったの。お米があればなんとかなる時代。本当に助かった』と、とても感謝していました」

配達用だった愛車と並ぶ古江勇雄さん
配達用だった愛車と並ぶ古江勇雄さん

仕事が趣味でした


 兄弟子3人と同じ部屋で生活。親戚だからといって特別扱いされることはなかったそうです。

 「兄弟子の布団の上げ下ろしもして、自分は押し入れの中で寝てました。丁稚奉公ってやつですよ」

 なかなかアイロンを触ることができず、お古を自分で修理しながらこっそり練習したそうです。

 10年ほど経ったころ、近くで働いていた順子さんと知り合い結婚。子ども2人に恵まれました。勇雄さんのまじめな仕事ぶりは変わらなかったそうです。

 順子さんは「働くだけの人生、仕事が趣味、と言ったらいいんですかね。お店は日曜休みでしたが、その日じゃないと受け取れないというお得意さんのところに、原付きで配達してましたよ」と振り返ります。

 順子さんの実家がある千葉に行っても、他の親族が泊まっていくなかで、勇雄さん一家だけはいつも日帰り。翌日の仕事のためでした。

店内は今も片づけ中です
店内は今も片づけ中です

「やっぱり職人だな」


 母の兄が閉めた店を引き継ぐかたちで1996年、勇雄さんは自分の店を持ちました。

 改装などで1年近く休業しましたが、常連のお客さんたちが戻ってきてくれたそうです。

 「店を持ったときは、そりゃうれしかったですよ。でも、しばらく休んでたのにお客さんが変わらず戻ってきてくれたことが、うれしかったですね」

 狭い店内には洗濯機や乾燥機、ボイラーなどが所狭しと並んでいます。ワイシャツ用のりに使うのは、食べても大丈夫なコーンスターチです。

 開店当初から店を手伝っている長女の綱島身知子さん(49)は、父の仕事ぶりについて、こう振り返ります。

 「お客さんによって好みの仕上がりが違いますし、その日の気候によって使う量も違います。お父さんがバッとのりを手でつかんで、アイロンで仕上げる姿は、やっぱり職人だなと思いました」

左から古江勇雄さん、長女の綱島身知子さん、孫の綱島千佳さん、妻の古江順子さん
左から古江勇雄さん、長女の綱島身知子さん、孫の綱島千佳さん、妻の古江順子さん

閉店を決めた理由


 閉店を決めたのは今から2年前。40度を超える作業場で倒れることが増えるなど、体力の限界を感じていました。

 「やるだけやったから、未練とか後悔はないよ。決めたタイミングでちょうど組合の役員が回ってきてたから、その任期中は続けようと。それで任期が切れる3月で閉めました」

 常連客に閉店を知らせると、鹿児島出身ということで焼酎を持ってきてくれる人が相次ぎ、中には大きな花束をくれた人も。「お父さん、まるで芸能人だね」と身知子さんは冷やかします。

 そして、お店を訪ねてきた人向けに、貼り紙であいさつ文を書くことにしました。

 「『閉店しました』だけじゃ寂しいよね」と、勇雄さんを中心に、順子さん、身知子さん、そして孫たちも集まって文章を考えました。

閉店後に家族が集まって撮った写真
閉店後に家族が集まって撮った写真 出典: 綱島身知子さん提供

家族みんなで書いた


 冒頭に持ってきたのは、家族みんなが知っている上京時のエピソード。

 「無器用なもので 他の事は何ひとつ出来ません」というくだりは、「使える機械はレジとトースターだけ」と言われたことに由来します。

 「アイロンを置く」と文字にしたことで、勇雄さんは改めて仕事を終えることを実感したそうです。「洗濯屋にとってアイロンは相棒。それを置くってことは、そういうことだから」。

 そして、「残りの人生 家内と二人、楽しんでいこうと思います」というくだりは、勇雄さんの口から出たものでした。

 「新婚旅行で伊豆には行ったけど、どこにも連れて行ってやんなかったからね。前に九州旅行に行こうって言ったことがあるから、ちゃんと行かなきゃ一生言われちゃうし」と勇雄さん。

 ネット上で話題になったことについては「そういうのやらないからピンとこないけど、ありがたいことですよ」。

 これからの生活については「これといって決まってないけど、いただいた焼酎を飲んでばっかりじゃダメなんで、外に出ようと思います。毎週日曜は妻の分もトーストを焼くのが私の仕事だから、それもかな」。

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