お金と仕事
年俸120円でもめっちゃ前向き 「ジーコを抜いた」41歳Jリーガー
41歳1カ月9日。今シーズン、サッカーのJリーグで最年長デビューを果たした選手がいます。J3の「横浜スポーツ&カルチャークラブ」に所属するFW安彦考真(あびこ・たかまさ)選手です。仕事を全て辞めて、40歳で念願のJリーガーとなりました。ただ、今季の年俸はわずか120円。それでも、ファミレスでたまに頼めるデザートを「たまらないぜいたく」と言うなど、とにかくポジティブです。「ジーコの記録を抜いた」男の素顔に迫りました。
最近「アビさん疲れてますね!」って言われる。一言言わせてくれ。当たり前だろ!!余力残して練習終われるほど余裕ねーわ!笑
— 安彦考真@年俸0円Jリーガー (@abiko_juku) July 3, 2019
41歳、必死に生きてるぜ「疲れたぁ」なんて言うタイミングないくらいやり切って突っ走ろう!笑#おっさん楽しもうぜ
肩にかかるロンゲがトレードマーク。1990年代に青春時代を過ごした名残と言います。「キムタク(俳優の木村拓哉さん)がロンゲの時代に、僕も生きていたんで。ああいうのが格好いいという思いがやっぱり抜けないんじゃないですか」。笑うと、目尻にしわが浮き出ます。
チームでの役割は、スーパーサブ。3月のガイナーレ鳥取との開幕戦、後半37分から途中出場して、「Jリーグ最年長デビュー」を記録しました。「堂々とプレーできました。めちゃくちゃ気持ち良かったです」
これまでの記録保持者は偉大な選手でした。ブラジル代表の名選手として知られ、日本代表監督も務めたジーコさん。Jリーグが創設された1993年に、J1鹿島で作った40歳2カ月13日でした。
安彦選手は「ジーコさんを抜くとか認めたくない人もたくさんいるとは思うんです。でも、こんな挑戦していた選手がいるんだよと知ってもらうためにも、記録は残したいです」と語ります。
挑戦の原点は、高校3年時に、新聞配達で30万円をためていったブラジルへのサッカー留学です。卒業後に再びブラジルに渡りましたが、けがもあって、プロデビューは飾れませんでした。
20歳で帰国したあと、J1清水、当時J2だった鳥栖のテストを受けましたが、合格とはなりませんでした。そのときの自身の言動に後悔していたそうです。
「自分の人生にうそをついていたんです。ただびびっただけなのに、調子が悪かったとか言って」
その後はJクラブの通訳や、元日本代表MF北澤豪さんの事務所で働きました。6年前に独立し、イベント運営、J1川崎のFW小林悠選手の個人マネジャーなどサッカー関連の仕事を個人で請け負っていました。
そのなかでも印象的だったのが、不登校だった生徒も通う通信制高校のサッカー部の指導だったそうです。「野球で言えば、子供たちに『10回の素振りよりも、1回の打席が大事』って教えながら、自分が立ってないじゃん、打席にって」
39歳の夏、Jリーガーをもう一度目指そうと決意しました。「ブラジルに行きたいとなったような、説明のつかない衝動に駆られた。人生の後悔を取り戻したいって」
年収900万円近くあった仕事を辞めて、東京・恵比寿駅から徒歩2分にある家賃30万円のマンションを引き払いました。貯金もなかったそうで、神奈川県相模原市にある実家に戻りました。
クラウドファンディングでジムでの練習費用を募りました。「無一文でやるから、応援しやすい。本気度が可視化されるなって。クラブにそのファンも連れていけると思った」。155人から121万円が集まりました。
通訳時代のつてを頼って、J2水戸のテストを受けたところ、合格を勝ち取りました。プロ選手として契約を交わしたものの、年俸は10円。ゼロ円で契約はできないので、最低金額の月収1円で10カ月間の契約でした。
日本でのプロ契約は上からA、B、Cの3段階に分かれます。例えばJ1で450分以上出場すれば、B以上の契約が結べます。A契約ならば、最低基本年俸が460万円と決められています。
実績のない安彦選手はC契約のために、最低年俸がありません。安彦選手も「一般的な年俸をもらうのなら、テストすら受けられなかったと思います」と認めています。そして、そんな自分を「0円Jリーガー」と命名しました。
水戸に受かったものの、プロは甘くはありませんでした。練習についていくのがやっとで、出場機会はつかめませんでした。練習場に向かうことがつらく、トイレの鏡と向かい合い、笑顔を無理やりに作ってからグラウンドに立っていた時期もありました。
Jリーガーとしての2018年が終わった。39歳で全ての仕事を辞めて挑んだ挑戦は40歳でJリーガーになるという最高の形で結果を出した。しかしその足跡をピッチの中に刻むことはなかった。悔しくて情けなくて何度も挫けそうになったけど手に届きそうで届かない世界に身を置けたことを幸せに思う。感謝。
— 安彦考真@年俸0円Jリーガー (@abiko_juku) December 7, 2018
今シーズンは、レベルが一つ下がるJ3に戦いの場を選びました。旧知の仲だった「横浜スポーツ&カルチャークラブ」のシュタルフ監督に誘ってもらったことも大きな要因でした。「やっぱり試合に出てなんぼ。見返したいという気持ちも出てきちゃって」。今季、リーグ戦15試合のうち、7試合に途中出場しています(7月7日現在)。
ただ、今季の年俸は昨季の10倍となりましたが、わずか120円。実家暮らしは続き、父親の軽自動車を借りて練習に通う日々です。
それでも、「0円Jリーガー」に代表されるように、プレー以外の部分にも付加価値をつける取り組みをしています。今シーズンから、年間240万円の「個人スポンサー」が付きました。昨年は昼ご飯にも困り、選手寮で出る白飯をプラスチックの食品保存容器に詰めていましたが、今年は外食もできるようになりました。「ファミレスでたまにデザートも頼める。たまらないぜいたくです」
40歳から始まったJリーガー生活。いつ現役を引退するつもりなのか。「次にやりたいことができたら、笑顔でバイバイと言いたいです」。安彦選手は講演やオンラインサロン活動などを行い、支援をしてくれる企業や人たちとのつながりも大切にしています。失敗を否定せずに、挑戦を応援する社会になってほしいと願って、今日も全力プレーを続けています。
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