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50代になったイエモンの胸の内「気ままな気楽な歌詞というわけには」

「THE YELLOW MONKEY」(左から)菊地英二、廣瀬洋一、吉井和哉、菊地英昭=東京都新宿区、村上健撮影
「THE YELLOW MONKEY」(左から)菊地英二、廣瀬洋一、吉井和哉、菊地英昭=東京都新宿区、村上健撮影

目次

取材場所に現れた4人には、20年前と同じ「華やかさ」がありました。19年ぶり、9作目のオリジナルアルバム「9999」(フォーナイン)を出した「THE YELLOW MONKEY」。長く愛されるバンドの中でも、活動休止、解散、再集結を経て、こんなにも自然体で、輝いている存在はないでしょう。「このバンドが楽しい。それは、ずっと一貫しているので心配していないです」。メンバーの言葉から伝わる圧倒的な肯定感。50代となった4人に、今の思いを聞きました。(朝日新聞文化くらし報道部 坂本真子記者)

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「人として、ミュージシャンとしてやらなきゃいけないこと」

3月28日、前代未聞の先行試聴会が開かれました。東京・九段下の日本武道館で入場無料。事前に応募して抽選に当たったファンたちで超満員の武道館で、新作の1曲目、ギターのイントロが鳴り響きました。

ステージの幕が開くと、そこには演奏する4人の姿が。本人たちの出演はファンには知らされておらず、武道館は悲鳴のような大歓声に包まれました。

私もその瞬間、背筋がゾクゾクして、THE YELLOW MONKEYの新たな1ページが開いたことを実感しました。

試聴会という名のライブは、新作の曲順通りに淡々と進み、最後にボーカル&ギターの吉井和哉さんがファンに語りかけました。

「一人一人の苦労が集まって生まれた『9999』です。これからも人として、ミュージシャンとしてやらなきゃいけないことがたくさんあります。生まれ変わったイエローモンキーをよろしくお願いします」

4月初旬、吉井さん、ギターの菊地英昭さん、ベースの廣瀬洋一さん、ドラムスの菊地英二さんの4人にインタビューしました。まず、「試聴会は楽しかったですか」と尋ねると、4人全員に否定されました。

「チョー緊張しました。楽しめる前に終わっちゃいました」と吉井さん。

廣瀬さんは「為体のしれない緊張感というか、ちゃんと聞かせなきゃ、という度合いが大きかったかな。いつもと違う緊張でした」。

ライブではなく試聴会だから、きちんと演奏しなければ、という緊張感が、4人ともにあったそうです。

「THE YELLOW MONKEY」(左から)菊地英二、廣瀬洋一、吉井和哉、菊地英昭=東京都新宿区、村上健撮影
「THE YELLOW MONKEY」(左から)菊地英二、廣瀬洋一、吉井和哉、菊地英昭=東京都新宿区、村上健撮影

「いろいろうごめいて、中で爆発している感じ」

それほどの強い思いが込められた新作が、19年ぶりのオリジナルアルバム「9999」。CDのジャケットを見ると、4種類の字体の「9」が並んでいます。ドイツ人のデザイナーによる複数の案から選ばれました。

「最終的に一番ポップだし、わかりやすいので。いろいろうごめいて、中で爆発している感じ。4人がそれぞれの道を歩いてきた、ということかな。デザイナーの方が先に作品をわかっていたんだ、と思いました」と吉井さんは話します。

4人は1989年から共に活動し、92年にメジャーデビュー。「JAM」などの代表曲を残して2001年1月8日で活動を休止しました。そして、04年に解散しましたが、16年1月8日に「再集結」を宣言しました。

実際は、その約3年前に吉井さんがほかの3人に「もう一度僕とバンドをやってくれませんか」とメールを送ったことから集まったそうです。ライブツアーで始めると決め、ひそかに準備を進めました。

「内緒にするの、大変だったよね。リハーサルとか、どうしてもスタジオを借りなきゃいけないじゃないですか。店員の人が『あれ?』みたいな」と吉井さん。

確かに、170センチを超える長身の4人がそろえば、かなり目立ちます。そこで、お芝居をしたそうです。

「わざと『結婚式の演奏も大変だよね』とか『あいつもこんなときに結婚しなくても』とか言って」(吉井さん)、「『何時からだっけ?』とか」(菊地英昭さん)。

「『曲、何がいいって言ってたっけ?』とかコントをやって」(廣瀬さん)

再集結とライブツアーを発表すると、予想以上の反響が寄せられました。

「1+1+1+1が4以上になるんだな、イエロー・モンキーというモンスターになるんだな、と実感した瞬間でした」と廣瀬さん。

「でも、解散で大勢を悲しませたので、昔を引きずる気は一切なくて、新しいバンドをやるつもりで始めました」と吉井さんは振り返ります。

「THE YELLOW MONKEY」(左から)菊地英二、廣瀬洋一、吉井和哉、菊地英昭=東京都新宿区、村上健撮影
「THE YELLOW MONKEY」(左から)菊地英二、廣瀬洋一、吉井和哉、菊地英昭=東京都新宿区、村上健撮影

東京ドームで計10万人を動員

それから3年。22万人を動員した全国アリーナツアーを皮切りに、ホールツアーも行い、1年目は延べ約36万人を動員しました。大晦日には初めてNHK紅白歌合戦に出場。翌17年も東京ドーム2日間で計10万人を動員するなど、ライブを重ねる中で、1曲ずつ時間をかけて作っていきました。

16年には15年ぶりのシングル「砂の塔」を発売し、17年に「Stars」「Horizon」、18年に「天道虫」、19年に「I don’t know」を配信リリース。

そして、新曲は米ロサンゼルスで録音しました。

「90年代、よくレコーディングで海外に行っていたので、ふさわしい場所だなと。ロスで絆がまた深まり、楽曲もそろいました」と廣瀬さん。

「再集結、ドラマ、映画……と全部お題があって、3年間でやってきたことが形になったと思います。既発の曲でイエローモンキーの芯が少しできている感覚があって、米国で録音した新曲でカラフルさが加わった。3年間があったからこそ今があると思います」と菊地英二さんは力を込めました。

新作は1曲目「この恋のかけら」の憂いを帯びたイントロのギターで一気に引き込まれます。ドラマの主題歌だった「天道虫」や「砂の塔」、ライブでおなじみの「ALRIGHT」や「Stars」に、新曲を加えた全13曲を一気にたたみかけます。

吉井さんが描く詞の世界は、毒気や色気を残しつつ、ぐっと深みを増しました。吉井さん自身の意識にも変化があったそうです。

「50代のバンドが再集結したということは、それなりのテーマが必要だと思うんですね。昔みたいな、ロックンロールの気ままな気楽な歌詞というわけにはいかない。とっくに青春を終えて、残りの人生の方が少なくなった年になって、どこか決意しなければいけない、歌わなければいけないところがあって、でも、あまりしんみりと歌いたくはない。やっぱりそこに夢があるように、でもリアルな部分をちゃんと書けたらいいな、と思う。今後も歌詞を書くハードルは上がるから大変だけど、勇気を出して書いていきたいですね。楽しみです」

新作では初めて、菊地英昭さんが1曲、詞を書いています。彼らの16年のツアーを追ったドキュメンタリー映画「オトトキ」の主題歌「Horizon」です。

「最初はメンバーのことを思って書き始めたんですけど、最終的には、一緒に頑張ってくれるスタッフや、俺たちを待っててくれた人たち、オーディエンスに向けた、普遍的な愛の歌になりました」

「THE YELLOW MONKEY」(左から)菊地英二、廣瀬洋一、吉井和哉、菊地英昭=東京都新宿区、村上健撮影
「THE YELLOW MONKEY」(左から)菊地英二、廣瀬洋一、吉井和哉、菊地英昭=東京都新宿区、村上健撮影

「再集結して、昔のやり直しじゃ意味がない」

「オトトキ」を見ると、徐々に4人の息が合ってくる様子がわかります。長いツアーの中で、菊地英昭さん、英二さん兄弟の父親が亡くなったこと、吉井さんの声が出なくなったことなど、いくつもの苦難を乗り越えて、彼らのブルーヴが生み出されていきました。

「再集結まで3年、ツアーが始まって3年。長い道のりが全部ちゃんとアルバムに集約されたかな」と廣瀬さんは言います。「だからすごくドキュメント感がある。やっとみんながいい形で今と向き合えるという確信があったし、本当に有意義な3年間だったと思いますね」

「再集結して、昔のやり直しじゃ意味がない。アルバムを出せて、やっとスタート地点に立てたので」と菊地英昭さん。

吉井さんも「これでようやくフラットになりました。今まではお祭りみたいだったけど、本当の勝負はこれからなので」。

いま、音楽をやるうえで最も大事にしていることは何でしょうか。

まず、口火を切ったのは菊地英二さん。「このバンドで作曲したりレコーディングしたりライブをしたりすることがすごく楽しいんです。それさえあれば僕はいいと思っていて、ずっと一貫しているので今は心配していないですね。若いときは50代でバンドをやっているビジョンは全然なかったので、50歳を超えてもこんな気持ちでいられることが自分の中では宝ですし、今これがあるから何も怖くない。これだけは大事にしていきたいものです」。

菊地英昭さんが続きました。「楽しくて好きという気持ちかな。もちろん頑張らなきゃいけないときもたくさんあるけど、楽しいという感情を持てていて、それをなぜやるかというと、やっぱり好きだから。その2つが一番大きいかもしれないですね」。

吉井さんは一言、「健康です。……以上」。

最後は廣瀬さんが締めました。「夢中になることですね。コントロールできないぐらい夢中になる。例えばライブでグルーヴを出すことに夢中になり、楽しむことに夢中になる。何かに夢中になる気持ちは常に持っていたいし、大事にしていきたいですね。自分が夢中になったことを肯定する、そういう気持ちなんでしょうね。好きなものに対してはずっと夢中でいたいと思います」

「THE YELLOW MONKEY」(左から)菊地英二、廣瀬洋一、吉井和哉、菊地英昭=東京都新宿区、村上健撮影
「THE YELLOW MONKEY」(左から)菊地英二、廣瀬洋一、吉井和哉、菊地英昭=東京都新宿区、村上健撮影

20年前の4人の姿は……

実は、私は1990年代に2度、彼らにインタビューをしたことがあります。最初は96年、「JAM」のヒット直後に吉井さんと菊地英二さんがキャンペーンで名古屋を訪れたときでした。

吉井さんは「『JAM』は大きなうねりの中にぷかぷか浮いているような曲。日記みたいに思うままに書いた」と話していました。

続いて翌97年、6枚目のアルバム「SICKS」発表後の名古屋キャンペーンで、廣瀬さんと菊地英二さんに。このとき菊地英二さんが「周りからどう見えるか気にしなくなった。好きなことを納得するまでやって売れるという、ずっと望んでいた状況に近づいてきた」と語ったことが印象に残っています。

当時の彼らは30歳前後。若さとエネルギーにあふれ、ギラギラした色気がありました。言葉で説明するより音を聞けばわかるはず、というロックンローラー風の空気が漂っていたことも覚えています。

今回のインタビューは、およそ20年ぶり。まず、写真撮影に現れた4人を見て、50代になっても、全員に華やかなオーラが漂っていることに驚かされました。

そして、自分の言葉で丁寧に説明する4人の姿に、また驚かされました。その表情は4人とも充足感に満ちていて、実りある時間を過ごしてきたことを想像させます。やっと完成した自信作をたくさんの人に聴いてもらいたい。そんな熱意が、強く伝わってきました。

4人がデビューした頃に比べると、音楽シーンは、様変わりしました。

60万枚以上売り上げた「JAM」のような大きなヒットは生まれにくくなり、ストリーミングが音楽のスタンダードになりつつあります。

そんな時代に、50代になった4人がここまで魅力的に映るのは、力みのない自然体で、渋くかっこいいロックを生み出していること。そして、さまざまな苦難を乗り越えた4人の固い絆が伝わってくるからだと、私は思います。

年を重ねたこともそのまま受け止めて、4人は前に進んでいます。

「いろんなことを経験してきているので、目標に向かう具体的な手段が、若いときより明確。ドラミングも自分の精神面の弱いところも、若いときより自覚しているからこそ、今の方がやることがいっぱいある。昔はがむしゃらに頑張ればいいや、と突っ走っていた部分があったけど、今はすごく具体的なことが見えている気がします」と菊地英二さん。

吉井さんも「若いときは力でねじ伏せられたけど、年をとると力が使えない。ピッチャーも速球だけでなく遅い球を投げて緩急をつける。そういうテクニックは必要になると思いますね」と話していました。

27日の静岡公演から始まる全国ツアーは、9月まで続く予定です。このツアーでは、4種類のプログラムを日替わりで演奏。さまざまな曲が楽しめるのも、ベテランとなった4人ならではの魅力です。

「『9999』の曲を演奏するのがすごく楽しみです」

メンバー全員が力を込めて語る姿からは、これまでの歩みを肯定し、これからもかっこよくあり続けるであろう彼らの強さを感じました。

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