連載
#18 #まぜこぜ世界へのカケハシ
新元号の手話かぶりが伝えた感動「30年前、字を見るしかなかった」
今月1日に明らかになった、5月1日から使われる新元号「令和」。発表記者会見のテレビ中継に関する、耳の聞こえない男性のツイートが、「深い」と話題になっています。官房長官が持つ、新元号の書かれた額縁と、手話通訳士がかぶさるアクシデントに「感動した」との内容です。ネット上でも議論を呼んでいる出来事についての、意外な評価。一体、どういうことなのでしょう? 真意を聞いてみました。(withnews編集部・神戸郁人)
今月1日の午前11時半過ぎから、首相官邸で開かれた記者会見。テレビ各局は、その様子を生放送で伝えました。
「新元号は『れいわ』であります」。画面左側に向かい、菅義偉官房長官が額縁を掲げます。ところがNHKの放送では、手話通訳士のワイプ画面がかぶり、隠れてしまったのです。
これについて、約1時間後の午後0時53分、「感動しています」とする内容のツイートが投稿されました。
新元号発表のNHK中継で、菅官房長官が掲げた新元号が手話通訳のワイプに被さったことが話題になってますが感動しています。30年前の聴覚障害者はなんの情報もなくただただ平成の字を見るしかなかったのにこの30年で国民の一大事にインパクトを残せる位置に手話通訳がいる。これはすごい進歩ですよ。
— くらげ@耳の悪いADHDのオッサン (@kurage313book) 2019年4月1日
「30年前の聴覚障害者はなんの情報もなくただただ平成の字を見るしかなかった」
「国民の一大事にインパクトを残せる位置に手話通訳がいる。これはすごい進歩ですよ」
こうした書き込みに、「いい世の中になった」「深い」「涙が止まらない」などのコメントが殺到。4日時点で、2万5千回以上リツイートされ、「いいね」も7万を超えています。
投稿したのは、感音性難聴の当事者・くらげさん(@kurage313book)です。障害のある人向けに、ネット経由で仕事を受発注する会社「メジャメンツ」(東京都中央区)で働いています。
文筆業も営み、共著に、現在の妻との生活についてつづった『ボクの彼女は発達障害』(学研プラス)シリーズがあります。
補聴器と人工内耳を使っているくらげさん。新元号の記者会見時は外出していて、リアルタイムで映像を見られなかったといいます。アクシデントのことは、ツイッターを通じ知りました。
「聴覚障害のあるフォロワーさんの間で、早くも話題になっていました。評価する声が上がる一方、『ワイプが邪魔』『元号が見えない、ふざけるな』などの感想も寄せられていたんです」
ちなみに、「平成」の元号が発表されたのは1989年1月7日。小渕恵三官房長官(当時)が出席した記者会見の映像を見ると、手話通訳士の姿も、字幕も確認出来ません。
どんな人にも必要な情報を提供する、「情報保障」という考え方が、まだ一般的ではなかったのです。
くらげさんによると、聞こえない人の中には、日本語の字幕がうまく読めず、手話のみが頼りという人もいます。
多様な支援があってこそ、豊かに生きることが出来る。そんな立場について知って欲しいと、今回のツイートをしたためたそうです。
ところで、首相や官房長官による記者会見では、いつ手話通訳が行われるようになったのでしょう? 内閣官房によれば、2011年3月と、ごく最近です。
11日には、東日本大震災が発生。連日、官房長官が記者会見し、被災地の様子などを報告しました。しかし当初、テレビ中継で伝えられていたのは、音声と映像のみでした。
聴覚に障害のある人たちは、政府系機関やテレビ局に、通訳の配置について申し入れました。そうした中、同月13日の会見から、通訳士が登場するようになったのです。
実はこの活動に、くらげさんも関わっていました。
「僕自身は、ツイッターで状況を知ることが出来ました。しかし、高齢の当事者など、ネットが使えない人もいます。そこで、ツイッター上で仲間に要望を呼びかけたり、僕も実際にメールを送るなどしました」
山形県出身であることも手伝い、東北地方への思いがあふれたというくらげさん。話題になったツイートには、「会見に手話通訳がついたのを確認したとき、人知れず泣いた」との投稿も付け加えています。
私も必死にあちこちのアカウントへリプライやメールで情報保障を求めた一員でした。そして、官房長官の会見に手話通訳がついたのを確認したとき、私は人知れず泣いたのを覚えています。あれはささやかな震災の中での勝利でありました。
— くらげ@耳の悪いADHDのオッサン (@kurage313book) 2019年4月1日
多くの人々が好意的に受け入れた、今回のツイート。くらげさん自身、「ここまで話題になるとは予想しておらず、感動されたことに感動した」と頭をかきます。
一方で、耳の聞こえない人の思いを広められたことに、手応えも感じているそうです。
「僕は35歳ですが、幼い頃のテレビ番組には、手話通訳や字幕がありませんでした。アニメもドラマも楽しめず、本ばかり読んでいたんです。そう考えると、平成の30年間で、すごく進歩したものだなと思います」
そして、その進歩は聴覚に障害がある、先人たちの努力に裏打ちされている――。そうした背景にも思いをはせて欲しいと、くらげさんは考えています。
「普通の人と同じように、リアルタイムで情報に触れたい。聞こえない人たちに共通する願いです。平成の終わりに実現されて、本当にうれしい。令和も、きっといい時代になると感じています」
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