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焼売くれた「刑事」さん 新幹線殺傷事件で思い出した10年前の出会い
走行中の東海道新幹線車内で男女3人が刃物で襲われた事件をきっかけに、広告会社の女性が自身のフェイスブックに投稿した10年前のエピソードが静かな反響を呼んでいます。新幹線で偶然隣り合った乗客からお弁当のおかずをもらい、仕事について話した約1時間半。女性は「偶発、生まれた出会いによって心が満たされることもあれば、傷つけられることもある。周りを疑う世の中になることが、悔しい」と話します。
女性がフェイスブックに投稿した文章を紹介します。
◇
約10年前の日曜日の夕方、新横浜から名古屋へ向かう新幹線に乗り込んだ。ほぼ満席で混み合っていた。
私はA席で、B席とC席には背広姿の屈強そうな男性2人が座っていた。
「すみません」と言いながら通り抜け、自分の席に座り体を沈めた。
「ふぅ」と一息つき、楽しみにしていた崎陽軒の焼売弁当を開けた。「あ、崎陽軒ですね」と言う声にふと横を見ると、B席の屈強そうな男性が「僕らもです。でもね、プレミアムなんですよ」とニコニコしていた。
内心「知らんがな」と思ったが、「そんなのがあるのですね」と話を合わせ、自分の焼売を頰張ろうとしたら、B席の男性が「せっかくですから、プレミアムのを一つどうぞ」と言う。
「そんな、もったいないからそちらで」と断っても「全然僕らまだ手をつけてないんで」「これ本当においしいやつなんですよ」と全く引かない。A席で逃げようがない。押し問答の末、仕方がないので一つもらった。
普段なら絶対にしない。絶対に。でも、本当に疲れていた。そして、プレミアム焼売は確かにおいしかった。
そこからポツポツと会話をした。B席は40代で、C席は20代でB席の部下といったところ。よく見ると、どちらも屈強そうだが、ギラギラしたところがなく、落ち着いた貫禄を見せていた。
着倒したグレースーツが、彼らを世の中に疲れているように見せていた。多分、苦労している、良い人たちだと思った。
B席から「どんな仕事をしているんですか?」と聞かれたので、その当時携わっていたある企業の広報誌の最新号を渡して「これのクリエーティブ・ディレクターをやってるんです」と言った。
大変だけど、モノづくりの現場はとても面白いし、その良さをマガジンにしてお客様に紹介できるのは本当にうれしい。そんなような話をした。
その2人はその広報誌を褒めてくれた。でも、その褒め方がちょっと普通じゃなかった。「すごい」「読めばどれだけ頑張っているか分かります」。よくいただく言葉だったが、まるで親のような喜び方なのだ。B席に至っては泣きそうなのだ。言っておくが彼らとは初対面だ。
今度は私から「お二人とも同じ職場なんですか?」と聞き返した。彼らは顔を見合わせ「まあ、公務員なんです。水道局関連の」というので、「へえ、水道のお仕事で東京で会合でも?日曜日なのに?」と聞いた。彼らは「ええ、まあ」と歯切れが悪い。
そのうちC席が「電話して来ます」と離席した。すると、B席が小声で「すみません。僕ら、実は、こういう者なんです」と私にそっと名刺を見せた。「声に出さないでください」と念押しされた肩書を見て驚いた。とある県警本部の部署と役職だった。
私は「ほ、本当にあるんだ」と目を丸くした。B席は「会話は“水道局”で通してください」と言った。
そしてB席は続けた。
「でもね、本当にうれしかったんです。こんな良い仕事を楽しそうにしている人がいるんだって」
「僕らね、詳しくは言えないけど、東京で“水道”のことで集まって、かなり辛いことがあったんです。あいつ(C席)なんて若いから、相当堪えていたんです。でも、俺たちは、あなたみたいな人たちが安心して暮らせる世の中のために、仕事をしていると思えました。本当にありがとう」
B席の声がちょっと昂っていた。私はすかさず「“水道”の整備を通して、ですね?」というと、B席といつの間にか戻っていたC席もニコニコしながら「はい、“水道”を通して」と言っていた。
そして私は名古屋で降り、彼らと別れた。
あれからどれだけ新幹線に乗ったかもう分からない。でも、あんな出来事は後にも先にも、“水道局”の2人とだけだ。あの押しの強さと交渉術は、職業柄なんだろう。
自分の仕事が、色々な形で、誰かに希望を与えているとすれば、こんなに嬉しいことはないと思った出来事だった。(2018年6月に投稿した内容を一部修正して掲載しました)
女性が、新幹線での殺傷事件を知ったのは土曜日の夜、自宅でくつろいでいる時でした。スマートフォンのニュース速報で知り、背筋が凍ったそうです。
「週に1度は乗る新幹線。とても他人事とは思えず恐怖を感じました」と振り返ります。でも、ふと10年前の「刑事さん」とのエピソードを思い出し、1週間後に投稿しました。
女性は次のように語ります。
「おそらく二度と出会わないであろう、『刑事さん』たちと交わした仕事の話は、私の心の琴線に触れました。彼らは、本当にうれしそうな顔をしてくれました。それは、仕事で辛い思いをして帰る新幹線の中で、彼らが『本当に護っているもの』に出会えたからだと思うのです」
そんな出会いを女性は「偶発性(ハプニング)を楽しむ自由」として大切にしたいと言います。
「そこから得られるものは、予定調和からは決して生まれない創造性を持っています。それが『刑事さん達の喜び』であり、『私の喜び』でもありました」
新幹線での殺傷事件によって、女性は、その「偶発性(ハプニング)を楽しむ自由」についてあらためて考えました。
「その『偶発性』の中には、今回の新幹線の事件のような凶悪なものも含まれることを改めて気づかされました。これまでは、治安のよい日本だったからこそ持てた無邪気な自由だったのかと、これからは周りを疑うしかなくなるのかと考えると、悔しい思いがしました」
事件の翌週、事件があった時刻と同じ午後9時台の新幹線に乗った時は「無性に抗いがたい恐怖に駆られた」そうです。
「事件の被害者はどんなに怖い思いをしたかと思うと、今でも涙が出ます」
そしてこう続けます。
「それでも、私にとって新幹線は行きたい街に連れて行ってくれる大事な乗り物です。怖くなったら『刑事さん』との時間を思い出して、乗っている時間も大切にしていきたいです」
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