感動
列島縦断した中国人が見た日本のリアル 少子化やばい・爆買いに赤面
中国で偶然、見た日本の鉄道番組をきっかけに、日本縦断鉄道の旅に出た中国人がいます。北海道では「人のいない村」に驚き、広島では原爆の記憶をおばあちゃんから聞かされました。山口のパン屋のおばさんからは「宇宙開発ができるのに、紙おむつを爆買いするのって……」と言われ赤面したことも。80日間かけてまわった日本について聞きました。
安徽省出身の許飛さんは、2005年に入った浙江大学大学院の修士課程で日本語を学びました。
「勉強のために見た関口知宏さん(関口宏さんの息子)の旅番組『鉄道の旅』の中国編にはまりました」という許さん。そこで鉄道の旅にのめりこみ、DVDを購入して何度も見たそうです。
日本に住んだのは就職してからです。
2014年7月、当時、働いていた通信機器の会社「ZTE」の東京支社に赴任します。
「せっかく日本に来たのに、当時は仕事が忙しく、旅行に出かける余裕はありませんでした」と振り返ります。
1年間、東京で仕事をした感想は「みんな忙しいので仕方ないのですが、人間関係に親しさを感じにくかったです」。
2015年9月に仕事をやめ、日本縦断の旅に出る決断をします。「旅に出てもっと日本を知りたかった」。その時、頭の中にあったのは、大学院時代に見た関口さんの旅番組「鉄道の旅」でした。
旅に出て気付いたのが日本の少子高齢化の現状でした。
「人が本当に少なすぎます。県庁所在地以外の、小さい町や村の場合、厳しいところが多いですね。村の駅には、ほとんど人影がありません」
2016年2月には、名物駅として知られた旧白滝駅がなくなることで話題になった北海道遠軽町にも行きました。
白滝駅を訪れた時の感想は「そこは駅と言うより、松の木の小屋ですね。寂しかったです」
「地方に行くと、空き家は多いし、半日歩いても誰とも会わなかった日がありました。そして人と会っても、ほとんどはお年寄りです。若者や子どもは本当に少なく、心配になるぐらいです」
一方で地方では「温かい人間味を感じることが多かった」と言う許さん。
日本縦断の旅をしていることを話すと、入ったお店の人がよくサービスをしてくれたそうです。
「ラーメンを頼んだら、無料で大盛りにしてくれました。味付け卵をもらったこともあります。みかんやリンゴの果物をくれる人もいました」
戦争の歴史を感じることもありました。
2016年4月、広島を訪れた時のことでした。江田島で出会った82歳のおばあちゃんは、原爆の記憶を話してくれました。
「当時おばあちゃんは小学生6年生でした。父親は、上海・蘇州に出征していたそうです。蘇州の名産品『蘇繡』という刺繡(ししゅう)をもらった話をしてくれました」
しかし、おばあちゃんの父親は1943年にソロモン諸島で戦死。おばあちゃんの兄も、広島の原爆で亡くなります。
「キノコ雲のことや、被爆の惨状などを、涙を流しながら話してくれました」
許さんはおばあちゃんに聞いたそうです。「やはりアメリカを恨んでいますか?」
おばあちゃんは「恨んでいません」答えたそうです。
「当時は、日本も悪いことをした。そしてアメリカは憲法や民主主義など、いいことももたらしてきた。おばあちゃんは、そう言っていました」
山口市で出会ったパン屋のおばさんとは「爆買い」について語り合ったそうです。
おばさんからは「中国は宇宙開発や、潜水艦などが作れるようになったのに、なぜ粉ミルクや紙おむつなどを、日本で爆買いするの?」と聞かれたそうです。
「日用品を、もっと真面目に、もっと心を込めたら、もっといい製品が作れるのに……」
これを聞いた許さんは「顔は真っ赤だったと思います」と振り返ります。
おばさんは「あなたが若いから言っただけですよ。あなたの子どもたちが日本で爆買いしないように」と話し、パンをプレゼントしてくれたそうです。
「恥ずかしさと感謝の気持ちがいっぱいでした。将来、自分の子どもが日本で爆買いしないために、自分の出来ることを、いっぱい考えさせられました」
旅に出て日本の印象が「戦争・軍国主義」から「平和で穏やか」に変わったという許さん。
現在、ぎくしゃくする日中関係ですが、「日中両国の人々はもともと優しい人が多いです。しかしコミュニケーションがうまく取れず、互いに根強い偏見を持っている。心が痛みます。正しい情報を発信することで解決していきたい」と思うようになったそうです。
日本縦断の旅を終えた許さん。今年、中国人に日本のことを知ってもらおうと、日本人の落語家の入船亭遊京さんと一緒に中国の鉄道の旅にも出かけました。
「これまでの経験を本にするなどして、日中両国の溝を埋めていきたいです」と話しています。
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