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「私の奈良を!」森見登美彦さんが異色帯コメした新人、その正体は?
去年10月末に発売された最新作「夜行」が直木賞や本屋大賞にもノミネートされた奈良県生駒市出身の作家、森見登美彦さん(38)。発行部数はすでに16万部を突破しています。そんな話題作の発売2カ月半前にデビューした、ある新人作家の小説に森見さんが怒りの(?)帯コメントを寄せていたのを知っていますか?(朝日新聞山口総局記者・浜田綾)
《私の奈良を、返してください!さすがにこれはいかがなものか!》
森見さんが本の帯にこうコメントを寄せたのは、奈良が舞台の短編小説4編をおさめた「ランボー怒りの改新」。同郷出身の前野ひろみちさん=奈良市在住=のデビュー作です。前野さんは30代後半の自営業とのことですが、顔出しはNG。くわしい素性も明かしていません。
前野さんがデビューしたきっかけは2012年、奈良ゆかりの作家らと小説を持ち寄って自費出版する企画に加わったことでした。
奈良(NARA)の頭文字から名付けた同人誌「NR(エヌアール)」を夏のコミックマーケットで販売。これが出版関係者の目にとまりました。
前野さんのデビュー作は、奈良を舞台にしたファンタジー小説「鹿男あをによし」を書いた作家の万城目学さんもツイッターでとりあげました。
『ランボー怒りの改新』(前野ひろみち著)なる奇妙なタイトルの一冊を献本いただきました。かたくなに情報を伏し覆面をかぶるシャイな著者がいる一方、編集者さんの手紙には前野先生たっての希望で献本します、と新人の割に図々しくて、その正体が読めないのですが、読んでみたらおもしろかったです。
— 万城目学 (@maqime) 2016年8月14日
また、あとがきでは作家の仁木英之さん(44)が「あの作家なのか? 夜は短いのか?」と書きました。
もちろん、森見さんの人気作「夜は短し歩けよ乙女」のこと。
読者もネットに「夜は短いあの作家さん?」「似てるけど少し違う」などと書き込み、話題になりました。
それでも前野さんは正体を明かしていません。ですが、取材には応じてくれました。
前野さんは高校生の時に小説家を目指し始めました。修行するつもりでいろいろと読むうちに、国語便覧に載っているような近代小説家の作品をひたすら読むようになっていました。
「このころの小説には心情の動きが丁寧に描かれる傾向が強いんです。あと、時代特有の文体がしっくりきました」
例えば梶井基次郎の「檸檬(れもん)」は、本屋の棚にレモンを置くだけの出来事が、主人公の心情を丁寧に描くことで小説として成り立ちます。出来事のおもしろさありきではないのが気に入ったそうです。
「登場人物の心を通じて、読者に何かを経験してもらいたいという思いは、学生のころに芽生えました」
一方で、斬新な世界観や幅広いジャンルも前野作品の特徴です。
「ランボー怒りの改新」には、読後感もジャンルもばらばらな奈良小説4編が収められています。
表題作は歴史に残るクーデター、大化改新をめぐるストーリー。
某戦争映画の登場人物をほうふつとさせるベトナム帰還兵が大化改新を後押しします。
前野さんは日本書紀を読みこみ、某戦争映画をみて、異なる時代と文化圏を豪快に融合させました。
クーデターが決行されようとしていた飛鳥板蓋宮――。蘇我入鹿と中臣鎌足がにらみ合う中、やりを手にした中大兄皇子が飛び出すも、入鹿の手には拳銃が。失敗と思われたその時、軍用車に乗って大極殿の壁を破り、ベトナム帰還兵ランボーが登場し……。
武器などは史実と異なりますが、登場人物や地名はそのままです。史実との整合性も一応取れています。
前野さんは「どこまでリアルに書くかの判断は、もう本能ですよ」と言います。
「収拾がつくラインを見極め、この物語の世界はこういうものだと最初の数ページで言い切ってしまうんです。読者に『この物語はこっちががツッコんであげなあかん』と思わせられたらOKやと思っています。ある種のあきらめを持ってもらうといいますか……」
小説を書く際、まずは「コンセプト」を見つけようとする前野さん。この作業を「外枠を固める」と呼んでいます。
「バランスは『外はさくさく、中はふんわり』が理想のあんばいなんです」
外枠が固まると、細部を決めずに書き始め、とにかく最後まで書ききります。文章の勢いを殺したくないのが理由だとか。
作品を通じて奈良に暮らす自分を浮かび上がらせるつもりで書いたそうです。
1編目の「佐伯さんと男子たち1993」は奈良公園・飛火野が舞台。
鹿せんべいを持ち歩くミステリアスな女子中学生に、同級生の男子3人が次々フラれていくラブコメディーです。
「自らの中学時代や奈良公園の原風景を思い起こしながら、ひねらず素直に書いたつもりです」
かと思えば、3編目の「ナラビアン・ナイト 奈良漬け商人と鬼との物語」は「アラビアン・ナイト」がモチーフになっています。
鹿、猿、犬に姿を変えられた人が続々と登場する不思議な物語です。
「奈良はシルクロードの終点だから日本で一番アラビアに近い場所。そうこじつけてファンタジー小説に仕上げました」
前野さんは「ここまでの3編は、わりとしぼりだして書きました」と振り返ります。
さて、ラスト4編目「満月と近鉄」には奈良愛が色濃く表れます。
「この作品で初めて手応えを得ることができました」
自身と同姓同名の前野弘道という作家志望の男性が主人公として登場。家業の畳店を継ぐことに反発し、生駒山にこもって小説を書く。山で出会った不思議な女性に、書いた小説を片っ端からこき下ろされながらも、執筆に没頭していく日々が描かれます。
終盤には、主人公の心理描写が奈良の風景と混じり合い、幻想味が一層強まります。
生駒山にこもった時から20年が経ち、前野弘道は生駒ケーブル・梅屋敷駅のホームに腰をおろして、奈良盆地の夜景を眺めながら思いをはせます。
以下はそのシーンです。
〈奈良というところは地上で月に一番近い場所かもしれぬと思った。ああやって盆地の底を走り抜けていく近鉄電車は、そのまま満月へと通じていて――そんなことを妄想していると、自分の身体が無人駅のホームから浮き上がり、奈良盆地の空に浮かぶ満月に吸い寄せられるような感じがした。あの月と響き合うものが私の身体の中にある。〉本文より抜粋
「近鉄電車と生駒山は何としても描きたいと思っていました」
前野さんにとって、近鉄は奈良のシンボル。
「最初は『きかんしゃトーマス』みたく、近鉄電車に人格を持たせてしまおうと思ってたくらいですから」
そして、生駒山も特別な存在です。周囲を奈良に囲まれた若草山とは全く違うと力説します。
「向こう側には大阪という異世界が広がるんやと、幼少からずっとそこはかとないロマンを感じていたんです」
これから書いてみたい場所は、奈良市の平城宮跡や曽爾村の曽爾高原(そにこうげん)とのこと。
「曽爾高原は小学生のころ、学校行事の帰りのバスでずっとトイレを我慢していた記憶があるんです」
こうした個人的な体験も小説を書く上で重要なエッセンスになるそうです。
「ただ、実際に書くかどうかはまだ未定ですね……。外枠は固まっていませんから」
目指したのは奈良でなければ成立しないような物語。
東向商店街、二月堂、甘樫丘、生駒山、大和西大寺駅、南都銀行、鹿愛護会、奈良県警……作品のあちこちに配されたのは置き換えのきかない舞台や登場人物たちです。
「一小説として楽しんでもらえるだけでうれしいですが、読んだ人が現地を訪れたくなってもらえたら本望です。生駒山は特におすすめです、地元の人にも改めて足を運んでもらえたら。奈良は鹿と大仏だけではないんですよ、ほんまに」
実は森見さん、自身のブログでも前野さんの作品についてふれていました。
あらためて、森見さんに真意をききました。
――森見さんは、奈良が舞台の小説を書かれていませんね。
そうですね、私はこれまで京都が舞台の小説を中心に執筆してきました。奈良は小説の舞台にするには、スケールがあまりに大き過ぎると感じています。それが良いところでもあるのですが……。
長い歴史がありますし、そこに暮らす人やそこにある建築物だけでなく、盆地や山といった地形、そして空などの自然も含めて奈良たらしめている印象です。あまりに壮大で、書き手としては切り口を探すのが難しいのです。
正直、奈良を舞台に「話をただ転がす」だけなら簡単だと思います。そうではなく、この小説が奈良でなければ成り立たないのか、そして「奈良にはそういう側面もあるのか」という新たな発見がなければ「奈良小説」とは言えないのでは、と個人的に思っています。
――「ランボー怒りの改新」を読んだ率直な感想を教えてください。
4編もよく書いたなと素直に感心しています。京都とはまたひと味違う、奈良特有の神聖な感じといいますか。小説における奈良の使い方の面白さは示されたのではないでしょうか。
前野さんの作品は主に県北が舞台だったので、県南を描く小説家の出現も心待ちにしています。
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