地元
かつては暴動…ドヤ街に世界から旅人が!あいりん地区に何が起きた?
大阪市西成区のあいりん地区(通称釜ケ崎)が、外国人旅行客でにぎわっていると聞きました。あいりん地区と言えば、かつては大規模な暴動が起きたり、路上生活者が多かったりするイメージ。そんな街になぜ旅行者が?
地下鉄御堂筋線の動物園前駅で電車を降りて、通天閣を背に南へ向かうと、そこがあいりん地区です。軒先にテーブルと椅子を並べた喫茶店の前で、さっそくフランス人の男性2人組を発見しました。店先で外国人がくつろいでいる様子は、バックパッカー向けの安宿街として世界的に有名なタイ・バンコクのカオサンロードを彷彿とさせます。
フランス語でやり取りする2人の間に、時折、通りすがりの男性や日雇いの仕事を終えた労働者が日本語で割って入ります。和やかな雰囲気ですが、なかなかユニークな異文化交流です。
あいりん地区には、大勢の日雇い労働者が仕事を求めて集まります。仕事のあっせんをする「寄せ場」があるからです。街には労働者が安い値段で宿泊できる宿が集まり、「ドヤ街」(ドヤは宿の逆さ言葉なんだとか)と呼ばれました。
最初に暴動が起きたのは1961年。8月2日の朝日新聞紙面は「二千余人が暴徒化 交通事故の処理に怒る」「派出所などに投石・放火」「催涙ガスで鎮圧」などの見出しで暴動を報じています。以降、2008年までに20数回もの暴動が起きています。
あいりん地区に変化が訪れたのはバブル崩壊後。建設業界の不況で仕事のあっせんが減り、また労働者の高齢化も進みました。仕事が無く、ドヤを出て路上で生活する人も増えました。ドヤの数は1989年の210軒をピークに、2010年には102軒まで減少。高齢化した労働者が生活保護を受けながら暮らせる福祉マンションやアパートへの転業が進みました。
外国人を受け入れる宿も、もともとは労働者向けのドヤでした。人気の秘密はずばり宿泊費の安さ。1泊1千~2千円程度と、破格の安さです。部屋を見せてもらうと、壁は真っ白で畳も張り替えてあり、快適です。
宿ではタコ焼きパーティーも開かれていました。客の要望があれば書道教室なんかも不定期で開催しているそうです。参加者の多くは欧米人で、ワーキングホリデーで日本に長期滞在し、普段は英語やフランス語などのプライベートレッスンを日本人向けにしているそうです。2015年にあいりん地区にある18軒の宿のうち9軒で宿泊者数を集計したところ、18万4千人にのぼったとか!
人口構成が変わるあいりん地区。2017年には寄せ場・病院・住宅の機能を備えた労働者の中核施設「あいりん総合センター」の立て替えも始まる予定で、街の風景も大きく変わろうとしています。
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