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自由過ぎるぞ!昔のクリスマス 戦前からバブルまで…写真で振り返る
クリスマスを心から楽しみたいという気持ちは、いまも昔も同じ。ところが……あれれ? 時代をさかのぼると、思いが強すぎたのか、ちょっと風変わりにも見える光景がありました。朝日新聞の秘蔵写真で振り返ります。(朝日新聞東京編集センター・加地ゆうき、文化くらし報道部・岡田慶子)
1928年、昭和天皇即位の「御大典」を祝う大阪市で、なぜかサンタを発見。突然の登場に、みんなびっくりして遠巻きにしている?……ようにも見えますが、実際は「サンタクロースの爺やが来た来た」と拍手喝采だったそう。
1951年のクリスマス早朝。東京・新橋のダンスホールでは、踊り疲れた人たちがぐったり。散らかったゴミが、前夜の騒ぎを物語っています。奥の方には踊り足りないのか、はしゃぐ女性たちが……。元気すぎます。
無造作に積み上げられた荷物の山。いったい何をしているのでしょう。実はここ、1954年の丸の内・東京中央郵便局。荷物は集まったプレゼントの数々なのでした。あまりの多さにアルバイト学生650人を動員し、休日返上で作業したとか。
子どもたちが持つのは、シーツ? いえいえ、長さ13尺(4メートル弱)の靴下です。プレゼントを入れてもらうための靴下をサンタが持ってくる、というまさかの事態に、子どもたちもうつむき気味。……と思いきや、中には衣類や文房具が。都内の母子家庭に配られたそうです。ほっ。
高度経済成長が始まってほどない1955年、12月25日の夕刊には「Xマス狂徒」の見出しが。記事には「世界中どこへいってもこんなバカ騒ぎはみられない。結局これはみんながいつも何か享楽のハケ口をみつけており、クリスマスがその絶好の機会になるということなのだろう」とも。昨今のハロウィンの渋谷が、脳裏をよぎりました…。
ツリーを載せた舟を押し、温水プールを1周するという謎のイベント。お祭りの山車(だし)の発想でしょうか。実はこの手の写真、いっぱい残っているんです。
障害者施設の子どもたちに、プレゼントを届けに来たサンタ。でも、サンタよりヘリが気になってしょうがない。それは、最後列のおじさんたちも同じご様子で。何だ、この近未来感…!!
東京・日本橋のデパートで。この女性、ツリーは円錐形という概念を、悠悠と超えてきた。
クリスマスイブ、都内に初雪が降った1965年。寒さや不況のせいで、銀座の露店ではサンタ人形が売れ残っていました。路上に転がる姿、なんだか切ない。
オイルショックのあおりで、控えめなクリスマスになった1974年。デパートでは飾り付けの制作費も半減し、600万円(!)に。サンタの張りぼてがホラーすぎて、「愕然とする父&泣き出した女の子をあやす母の図」にしか見えない。
バブル景気まっただ中の1990年、プレゼントにはティファニーが大人気。銀座三越には「オープンハート」のペンダントを求めて、若い男性が殺到したそうです。
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どうでしたか? こうやって見てみると、恋人同士で過ごすとか、チキンを食べるとか、定型の過ごし方に合わせる必要なんてないんだ!と思えてきませんか? 特にスペシャルな予定がない人も、浮かれ気分の人も、ステキな1日になりますように。メリークリスマス!
この記事は12月24日朝日新聞夕刊(一部地域25日朝刊)ココハツ面と連動して配信しました。
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