話題
風営法変えた戦略的ロビー活動 Zeebraが語るストリートの思想
6月23日から改正風営法が施行され、条件を満たせば夜通しのダンス営業ができるようになります。クラブ利用者のマナー向上などに取り組んできたZeebraさんに、法改正までの歩みとナイトカルチャーの未来について聞きました。
話題
6月23日から改正風営法が施行され、条件を満たせば夜通しのダンス営業ができるようになります。クラブ利用者のマナー向上などに取り組んできたZeebraさんに、法改正までの歩みとナイトカルチャーの未来について聞きました。
戦後長らく「客にダンスをさせる」営業を規制してきた風俗営業法が改正され、6月23日から条件付きで朝5時までのクラブ営業が解禁されます。ラッパーのZeebraさんは、アーティストやDJらでつくる「クラブとクラブカルチャーを守る会」の会長として、法改正のための環境整備に取り組んできました。4月に渋谷区観光協会が新設した「渋谷区観光大使ナイトアンバサダー」に就任し、アムステルダムで開かれたナイトメイヤー・サミットにも参加してきたZeebraさんは「本気でやれば、世の中は変えられる」と語ります。
――2013年4月、クラブとクラブカルチャーを守る会(CCCC)が発足しました。活動に加わった経緯は。
レッツダンス署名推進委員会による風営法改正を求める署名が集まりつつあった段階で、東京のDJも色々考えた方がいいんじゃないかという声が出てきました。様々なジャンルの人が集まって勉強会を開かれるということで、誘っていただいたのが始まりです。そうして勉強会を重ねていくなかで、会の形をとることになりました。会長というと偉そうですけど、たまたま一般的な知名度はあったので、スポークスマンになれれば、という思いで引き受けました。
――違法状態に置かれていたクラブ事業者は、摘発を恐れて表だって動きづらい状況がありました。
事業者が前に出られないなか、我々が代弁者になろうということで、皆さんから伺った話を警視庁や超党派のダンス文化推進議員連盟に伝えました。警察や議員さんからは「事業者団体がないと法改正は難しい」と散々言われてしまって。事業者に集まってもらって、話し合ったこともありました。
ディスコの時代から、事業者で会をつくろうという話は何度かあったのですが、それぞれの店ごとに思惑があり、なかなか一つになれませんでした。小箱があれば、大箱もある。音箱(音楽性重視の店)やナンパ箱(出会い目的の客が集まる店)、ディスコ的な店からDJバーのような店まで本当に様々なクラブがあるわけです。
そんななかでもコンセンサスをとって、最大公約数的な結論を出さないといけない。とにかく対話、対話でしたね。
――国会議員らへのロビー活動を進めるうえで心がけたことは。
クラブの様々な側面を伝えるように努めました。ひとつはナイトエコノミー。オープンな形になることで業界が発展し、税収も上がる。ビジネスチャンスはものすごくデカイですよね。
文化的な面もそうです。日本から世界に通用するDJがどんどん出てきているということを、当初は多くの議員さんがよくわかっていなかった。クールジャパン担当の議員さんにお会いしてそうした点も説明し、理解いただけたと思います。
同じクラブの話でも、与党の方々は経済の問題として関心を持つかもしれないし、野党の方々は権利の問題としてとらえるかもしれない。クラブがあることの意味をあらゆる面から訴えることで法改正に導く、というのが我々のやり方でした。
――そこが勝因ですか。
そうですね。クラブユーザーの言葉を「通訳」する感覚でした。この人にはこういう風に話した方がいいだろう。あの人にはこう話すべきだ、というような。あとは、東京五輪の開催が決まったことも、大きな追い風になったと思います。
――「PLAYCOOL(クールに遊ぼう)」というキャッチコピーのもと、渋谷のクラブ周辺の早朝清掃など、マナー向上運動にも取り組んできました。
お客さんはクラブのある街で遊ばせてもらい、我々はそこでパフォーマンスをしてギャラをいただいている。そんなコミュニティーに対して何ができるか。街と共存してナンボだろう、という思いで清掃活動を始めました。
CCCCができる前から、ヒップホップの連中はそういうことをやっていました。B BOY PARKという代々木公園で開催しているイベントがあって、最後に会場を掃除するのが毎年のルール。出演者も終わるとステージから降りて、お客さんにビニール袋を配って一緒にゴミ拾いをする。だから全然慣れてるし、フツーの感覚なんです。
渋谷の清掃も、サーファーが海を大切にするのと一緒です。偽善でもいい。自分たちが気持ちいいからやる。ひょっとしたら、自分に酔ってるだけかもしれない。でも結果、街がキレイになるならいいですよね。
法改正後に、「それ見たことか」ということになってしまっては元も子もない。場合によっては、以前よりも規制が厳しくなってしまうことだってあり得るでしょう。こうして地道に活動を続けていくことが、揺り戻しの動きに対する抑止力にもなると思うんです。
――渋谷区観光大使ナイトアンバサダーとして、20都市以上の代表が集うナイトメイヤー・サミットに参加されました。そもそも、ナイトメイヤーとは?
文字どおり夜の市長で、夜の街と行政をつなぐ窓口です。アムステルダムでは、ネット投票と委員会の選考を経て選ばれています。NGOではあるものの、アムステルダム市長も「夜のことはナイトメイヤーに任せている」と話していて、事実上のお墨付きを得ているようでした。またパリには、ナイトメイヤーだけでなく、夜間営業の事業者による「夜の議会」もあるそうです。
サミットは今回が初開催で、昨年アムステルダムのナイトメイヤーが来日した際にCCCCに声を掛けてくださり、参加が決まりました。ちょうど渋谷区がエンターテインメントの街としての側面を打ち出していこうとするタイミングでもあり、ナイトアンバサダーとしての初仕事にもなりました。
――風営法改正に至る経緯を英語でスピーチしたそうですが、会場の反応はいかがでしたか。
「日本のクラブが朝まで営業できるようになったので、ぜひ遊びにきてください」とお話をして、すごく祝福していただきました。アーティストやDJが立ち上がったという点が、ほかの国の人たちにとっては新鮮だったみたいです。
――インドからの参加者が「ある都市でスカート丈が規制されるようになった」と発言した際には、会場から「法律を変えたければ日本を見習うといい」という声まであがったとか。
そんな声が出てましたね。各国それぞれに悩みがあります。たとえばロンドンでは、最近締め付けが厳しくて、どんどんクラブが潰れているそうです。「日本はスゴイ。我々の先を行っている」と言われて。
――あれだけ日本の風営法はひどい、と言われていたのに。
そう(笑)。逆だとばかり思っていたのに。
都市計画の問題もあります。たとえばサンフランシスコでは、クラブの近くに後から引っ越してきた場合、防音は住民の責任でやらないといけないし、文句も言えない。その代わり家賃は安くして、若者やアーティストを呼び込む工夫をしている。国策としてどう取り組むかが大切です。日本にはまだナイトメイヤーのシステムがないので、これから構築していきたいですね。
――「ヒップホップ・アクティビスト」を名乗っていますが、こうした社会的な活動に積極的に取り組むのはなぜですか。
17歳で初めてニューヨークへ行った時の体験が大きいです。ヒップホップにハマって、聖地をこの目で見ようと1カ月半ぐらい滞在したんです。1988年当時、向こうのヒップホップはメッセージ性のあるものが中心で、人種問題・貧困問題・暴力問題について発信してました。
ある日、現地のラジオ番組を聴いていたら、レッド・アラートというDJが「明日、ホーム・フォー・ホームレスというパレードをやるから集まってくれ」と話していて。行ってみたら、当時のヒップホップのスターや、政治家のジェシー・ジャクソンらブラック・リーダーたちがズラッといました。
みんなで5番街を封鎖して、近くでデモが始まるのを待っていたんだけど、業を煮やしたKRSワンというラッパーが「始めちゃおうぜ」という感じで、先に歩き出しちゃった。アッと思っているうちに、中学生3人ぐらいが後を追いかけて行って、俺と日本人の友達もそれに続いてグループに加わりました。合わせて十数人だったかな。「ホームレスに家を!」って先にパレードを始めちゃって。
その時、ヒップホップってすげえなって思ったんですよね。NYのど真ん中をロード・ブロックして、メッセージを訴える。そんなカルチャーってすげえな、日本にこんな音楽ないなって。で、俺もこういうことがやりたいと思って、ラップを書き始めたんです。音楽=発言、音楽=活動っていうところから出発してるんで、風営法に関する活動も当たり前のことだと思って取り組んでいます。
――世の中、何も変わらないんだという閉塞感を抱いている人も多いと思います。そういう人たちに言えることは。
俺は「変えられるかもしれない」と思う力を、ヒップホップからもらったんですね。80年代、ゲットーで暮らす若者の間で「ナレッジ・イズ・パワー」とか「ナレッジ・イズ・キング」(後者はラッパーのクール・モー・ディーの曲名)といったヒップホップの言葉が、はやり言葉になりました。若い子たちがフツーに「知識こそが力だ!」って。あり得ないですよね。一人ひとりの力が弱かったからこそ、団結してメッセージを打ち出していくしかなかったんだと思います。
同じぐらいの時期にマイケル・ジョーダンが活躍し、エア・ジョーダンが流行しました。スパイク・リーの映画もそう。ヒップホップのヤツらが支持したことで、盛り上がったんですよね。そこから、ディディ(パフ・ダディ)やジェイ・Z、ドクター・ドレーのように、経済的な成功をおさめるラッパーも出てきた。
そうやって文化と経済と両面でヒップホップが大成していくなかで、ついにはブラック・プレジデントが誕生した。ヒップホップ、マイケル・ジョーダン、スパイク・リーがなければ、オバマ大統領は生まれてなかったと俺は思います。
それだけ、世の中変わるんですよ。キングギドラのファーストアルバムに入っている「真実の弾丸」という曲に、こんなラインがあります。
科学も文化も風俗も進歩していくのに、法律だけが変わらないなんておかしな話。みんなの生活形態が変わっていけば、それに合わせた法律・社会が必要になってくるっていうのは、当然のことなんで。
本気でやれば、世の中は変えられる。むしろ、変えるためにあるんじゃないですか。
Zeebraさんが出演するシンポジウム、「ナイトカルチャーが引き出すTOKYOの魅力 ~6・23風営法改正で何が変わるか~」が21日夜、東京・渋谷のクラブ「SOUND MUSEUM VISION」で開催されます。詳細はHPで。
Zeebra(ジブラ) 1971年、東京生まれ。ヒップホップ・アクティビスト。3人組グループ「キングギドラ」の一員として活躍し、97年にソロデビュー。テレビ朝日系「フリースタイルダンジョン」では、オーガナイザーとメインMCを務める。自身がプロデュースするヒップホップフェス「SUMMER BOMB」が、8月21日(日)に東京の日比谷野外大音楽堂で開催される。
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