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リー・クアンユー氏死去 過激で「偉大」なシンガポール建国の父
シンガポール建国の父と称されるリー・クアンユー元首相。91歳で亡くなったカリスマ的政治家の足跡を振り返ります。
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シンガポール建国の父と称されるリー・クアンユー元首相。91歳で亡くなったカリスマ的政治家の足跡を振り返ります。
シンガポール初代首相のリー・クアンユー氏が23日、91歳で死去しました。東京23区ほどの広さで資源もない小国を、強烈なリーダーシップで世界最高峰の経済国家に発展させ、「建国の父」と称されました。その業績を、時に物議を醸した発言とともに振り返ります。
1965~2013年までの日本とシンガポールの一人当たりGDPの推移。初代首相のリー氏から第2代首相のゴー・チョクトン氏を挟み、リー氏の息子で現首相のリー・シェンロン氏までの50年間で日本を抜き去り、世界有数の経済国家となりました。
リー氏は1923年生まれ。曽祖父の代に現在の中国の広東省からシンガポールに移住しました。学生時代に日本軍によるシンガポール占領を経験。終戦後、英ケンブリッジ大に留学し、法律を学んで主席で卒業しています。1949年に帰国して弁護士となり、当時まだ英領だった母国の政治活動にも携わるようになりました。発展した英国とアジアとの格差を実感したリー氏は当時、こう語っています。
1954年に人民行動党を創設。5年後に選挙でシンガポール第一党となり、初代首相に就任します。1963年には先に独立していたマラヤ連邦と合流して、マレーシア連邦の一部に。念願だった英国植民支配からの独立を果たすことになりますが、マレー人を中心としたマレーシア政権と衝突し、わずか2年でシンガポールは追放同然の形で分離独立します。このとき、リー氏は泣きながら語っています。
中継貿易と駐留する英軍関連の産業で細々と生きていたシンガポールは当時、一国では立ち行かないと言われていました。リー氏の涙は、祖国が存亡の危機に瀕しているという危機感の現れでした。そこから生まれたのが「生き残りのイデオロギー」です。
人民行動党に権力を集中させ、政府批判は厳しくチェック。小学生のころから成績別にクラス分けし、競争を徹底。ごみのポイ捨て、歩きたばこ、公共交通機関での飲食などはすべて罰金。国家の安定と経済成長を追求するリー氏の政治は「開発独裁」とも評されました。その厳しい統治スタイルの起源について、リー氏は第2次世界大戦中の日本軍によるシンガポール占領に影響を受けたと言っています。
1990年に首相をゴー・チョクトン氏に譲りますが、自身は「上級相」という地位につき、政策への関与を続けます。2004年に息子のリー・シェンロン氏が首相となると、上級相をゴー氏に譲り、自身は内閣顧問に。
父と同様にケンブリッジ大を最優秀の成績で卒業し、軍隊を経て政界入りしたリー・シェンロン現首相のもとでもシンガポールは発展を続けています。リー氏は2011年に公職をすべて退いていました。苛烈な統治スタイルに批判も多かったリー氏ですが、今年2月に入院し、容体の悪化が報じられると、お見舞いの言葉や花束が寄せられました。
23日早朝に人民行動党がリー氏死去の速報をフェイスブック上で流すと、「ご冥福をお祈りします」「あなたがシンガポールのために成し遂げたことを忘れません」などと書き込みが相次ぎました。
リー氏は生前、自分が亡くなったときのことについて、こう語っていました。