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首相の食事代、誰が払う? 公費との線引きは? すきやばし次郎は…

新聞で日々、伝えられる「首相動静」の欄には、首相が誰と食事をしたのかも記録されています。ところで、その時の食事代、誰が払っているのでしょうか?

すし店で歓談するオバマ米大統領と安倍晋三首相=2014年4月
すし店で歓談するオバマ米大統領と安倍晋三首相=2014年4月

目次

 新聞で日々、伝えられる「首相動静」の欄には、首相が誰と食事をしたのかも記録されています。ところで、その時の食事代、誰が払っているのでしょうか?

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「すきやばし次郎」は公費

 安倍晋三首相は、昨年4月に来日したオバマ米大統領と東京・銀座のすし店「すきやばし次郎」で食事をしました。銀座でも屈指の高級店、1人前3万円以上はすると言われています。この時は、公的な会食の場合に支払われる「会議費」という名目で内閣官房の会計を通して食費代が支払われました。首相は報道機関とも定期的に会食をしています。費用は、安倍首相の分も含めてマスコミ側がすべて負担し、割り勘にしています。

すし店での会食を終え、店を出る安倍晋三首相とオバマ米大統領=2014年4月23日
すし店での会食を終え、店を出る安倍晋三首相とオバマ米大統領=2014年4月23日

政界や経済界の友人の場合は?

 首相動静にはプライベートの食事と思われる記録も載ります。家族などとの私的な食事の支払いは、ポケットマネーで支払われます。では、政界や経済界の友人の場合はどうなるのでしょうか? どこまで会議費で食費を支払うかの線引きは「ケース・バイ・ケース」(会計担当者)だそうです。

2015年1月14日の首相動静。東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京で、宮永俊一三菱重工業社長、斎藤勝利第一生命保険会長らと食事をしている
2015年1月14日の首相動静。東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京で、宮永俊一三菱重工業社長、斎藤勝利第一生命保険会長らと食事をしている
では、政界や経済界の友人の場合は、私的な食事と言えるでしょうか。友人の中には各界の要職に就いている人も多く、公的な会食と捉えることもあるようです。そのため、どこまで会議費で食費を支払うかの線引きは「ケース・バイ・ケース」(会計担当者)だそうです。
(Re:お答えします)首相の食事代、誰が支払う?:朝日新聞デジタル

 ちなみに、安倍首相の好物は肉料理。首相動静にも焼き肉やステーキの店が度々、登場します。昨年12月にあった衆院選の投開票日前日も、秘書官らと入ったのは焼き肉店でした。

小泉元首相、ラーメン屋で郵政解散の決意

 政治の世界では、食事の席で本音が漏れることがあります。例えば、元首相の小泉純一郎氏。2005年1月、郵政民営化で国会が揺れている時、小泉氏は秘書官らと一緒にラーメン屋「壇太」に行きました。小泉氏は焼酎を片手に「勝算はある。なければやらない。でも、まだつぶせると思ってる人がいるんだよな。最後は反対派がどうなるか、だ」と語りました。その後、反対派との対立が深まった小泉氏は8月に郵政解散に打って出ます。9カ月前のラーメン屋での会話が現実になったのです。

小泉純一郎氏が通ったラーメン屋「壇太」の安達実さん夫妻と小泉氏
小泉純一郎氏が通ったラーメン屋「壇太」の安達実さん夫妻と小泉氏 出典: 安達さん提供
その後、反対派との対立は強まり、郵政民営化法案の採決では自民党議員が大量に造反。8月8日に参院本会議で法案が否決されると、小泉氏は迷いなく衆院を解散し、「自民党が分裂して選挙が勝てないかどうか、やってみなければわからない」と国民に信を問う。法案に反対した候補は公認されずに落選や離党を余儀なくされ、郵政民営化法は衆院選直後の10月に成立。9カ月前に壇太で予言した通りの展開になった。
2013年4月14日:(あのとき、総理メシ)小泉純一郎 いざ郵政、ギョーザがうまい:朝日新聞紙面から

そばパーティーで結束試みるも・・・

 自民党の一党支配「55年体制」を崩壊させた、8党派の連立政権。首相に就いたのは細川護熙氏です。発足直後の内閣支持率は70%を超え、順調な滑り出しでしたが、8党派の路線の違いは埋められず、意見はすぐにバラバラになりました。そんな時、細川氏は閣僚を首相公邸に招き「そばパーティー」を開きます。1993年9月のことでした。お互いの連携を強めるための、細川氏のアイディアでした。

 「そばパーティー」の間は和気あいあいとしていましたが、やはり溝は埋められず、小沢一郎氏と当時の武村正義官房長官との対立が表面化します。1994年2月には、細川氏が深夜の記者会見で国民福祉税の導入の訴えたものの、数日後には撤回。政権は混乱し1994年4月に細川氏は退陣しました。

九州電力八丁原発電所を視察する細川護熙氏(右)と小泉純一郎氏(左)=2014年11月12日、大分県九重町
九州電力八丁原発電所を視察する細川護熙氏(右)と小泉純一郎氏(左)=2014年11月12日、大分県九重町
自民党の一党支配「55年体制」が崩壊した瞬間だった。1993年7月の総選挙から数日後、細川護熙氏(在任93年8月~94年4月)は、自民党を割って新生党をつくった小沢一郎氏から「引き受けてもらいたい」と首相就任を打診され、「お受けします」と応じた。「政権交代」を最優先した8党派の連立政権。寄り合い所帯を結んだのは、細川氏が好んだ手打ちのそばだった。
2013年11月3日:(あのとき、総理メシ)細川護熙 連立8党派、「手打ち」のそば :朝日新聞紙面から

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