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斉藤仁さん、石井慧選手育てた熱血指導 「殺されるかと思った」
柔道の男子95キロ超級で1984年ロサンゼルス、88年ソウルと五輪2連覇を達成した斉藤仁さんが死去しました。国士舘大学柔道部監督として育てた石井慧選手は、08年の北京五輪で金メダルを獲得後、総合格闘技の世界で活躍しています。
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柔道の男子95キロ超級で1984年ロサンゼルス、88年ソウルと五輪2連覇を達成した斉藤仁さんが死去しました。国士舘大学柔道部監督として育てた石井慧選手は、08年の北京五輪で金メダルを獲得後、総合格闘技の世界で活躍しています。
柔道の男子95キロ超級で1984年ロサンゼルス、88年ソウルと五輪2連覇を達成した斉藤仁さんが20日、54歳で死去しました。89年の現役引退後は、2004年アテネ五輪で日本代表男子の監督を務め、メダルラッシュに貢献しました。母校の国士舘大学柔道部監督として育てた石井慧選手は、08年の北京五輪で金メダルを獲得後、総合格闘技の世界で活躍しています。
教え子の石井選手は斉藤さんの指導法について、多くを語っていません。ただ、「オリンピックのプレッシャーなんて、斉藤先生のプレッシャーに比べたら、への突っ張りにもなりません。全日本のチャンピオンなので、自分が負けたら日本の負けだと、斉藤先生から耳にたこができるくらい言われていました」と話していました。
史上最年少で制した06年の全日本柔道選手権では、最後に時間稼ぎをして勝った準決勝の試合後、石井選手は斉藤さんに「あんなのはお前の柔道じゃあないだろう」と怒られたといい、「殺されるかと思った。出来れば、やり直したい」と振り返っています。
石井選手がプロの総合格闘技に転向した後も、斉藤さんはエールを送り続けました。2009年12月31日、柔道五輪金メダリスト同士の対決となる吉田秀彦戦でプロデビューします。対戦前、斉藤さんに「試合を見にきてほしい」とのメールを送ると、斉藤さんからは「プロの世界は勝ってなんぼ。自信を持って戦え」との返信が届いたと、日刊スポーツは伝えています。石井選手は「ありがとうございます。勝負にこだわります」と返したそうです。
相次ぐルール改正に振り回され、なかなか世界で好成績を挙げられない近年の日本柔道。斉藤さんは体調を崩して昨年末から入院していましたが、全柔連強化委員長として、日本柔道の再生を願っていました。
石井選手は20日夕、自身のツイッターで「遠くオランダの地で訃報をきき驚いています。心よりご冥福をお祈り致します」とつづっています。
遠くオランダの地で訃報をきき驚いています。心よりご冥福をお祈り致します。
— Satoshi Ishii | 石井 慧 (@SatoshiIshii) 2015, 1月 20