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2014年10月15日

巨人と阪神の応援歌、実は同じ人が作曲 5千曲作った古関裕而とは

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JR福島駅前には古関裕而さんの功績をたたえる銅像がある =藤原慎一撮影

JR福島駅前には古関裕而さんの功績をたたえる銅像がある =藤原慎一撮影

出典: 朝日新聞


 15日から始まるプロ野球クライマックスシリーズの最終ステージ。
 日本シリーズ進出をかけて、セ・リーグは1位・巨人が、2位・阪神を迎えます。
 「伝統の一戦」と呼ばれる両球団の対戦。ファンの中には応援するチームを愛するがあまり、相手チームの応援歌を聞くだけで思わず顔をしかめる方もいるかも。しかし、球場で歌われる巨人の「闘魂込めて」、阪神の「六甲おろし」の両曲ですが、実は同じ人が作曲しています。
 生涯で約5千曲を残し、1964年の東京五輪では「オリンピック・マーチ」の作曲も手がけ、「昭和の行進曲王」と呼ばれる古関裕而さん(1909~1989)です。

作曲生活50年を迎えた時の古関裕而さん=1980年5月

作曲生活50年を迎えた時の古関裕而さん=1980年5月

出典: 朝日新聞

小学生の時から作曲手がける

 古関は1909(明治42)年、福島市の呉服屋の長男として誕生。音楽好きだったという父が使用人の娯楽のため、当時は珍しかった蓄音機を購入。子どものころ、古関は蓄音機にかけられたレコードをBGMに、その横でよく絵を描いていたという。これが「音楽との出会い」だったと自伝で振り返っている。

「主に浪曲が多かったが、私は民謡や吹奏楽が好きだった。これが私と音楽との出会いである」

出典: 「鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝」(主婦の友社、1980年)

 小学校に入ると、古関の音楽熱は高まり、級友が書いた詞に曲を付けるようになる。そんな古関に、母親は卓上ピアノをプレゼント。古関の作曲は、ますます本格化していった。

「小学校を卒業する頃には楽譜が自由に読めるようになり、作曲も五線紙に書くことができた」

出典: 「鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝」(主婦の友社、1980年)

 古関は福島商業学校(現・福島商高)を卒業後、地元の銀行に就職。さらに音楽活動に熱中し、童謡「赤とんぼ」などで知られる、あこがれの作曲家・山田耕筰に自身の作品を送り、手紙をやりとりするように。

古関があこがれた作曲家の山田耕筰 =1954年

古関があこがれた作曲家の山田耕筰 =1954年

出典: 朝日新聞

 1930(昭和5)年には、日本コロムビアと専属契約を結ぶが、実は当時コロムビアの顧問だった山田の推薦があったことを後年知ったという。翌年、知人を通じて早稲田大学の応援団から依頼を受けて、作曲した応援歌「紺碧の空」が評判になり、作曲家としての古関の名が知れ渡るようになる。

生涯で5千曲…作曲に楽器は使わない

復元された古関裕而さんの書斎。三つの机が置かれ、順番に作曲していった=08年7月、福島市の古関裕而記念館、内藤久雄撮影

復元された古関裕而さんの書斎。三つの机が置かれ、順番に作曲していった=08年7月、福島市の古関裕而記念館、内藤久雄撮影

出典: 朝日新聞

 古関が生涯で残した曲は、約5千曲に上る。戦前、戦中は「暁に祈る」「若鷲の歌(予科練の歌)」など軍歌や戦時歌謡でヒット曲を出し続けた。
 戦後は「鐘の鳴る丘」「君の名は」など連続ラジオドラマの主題歌、「長崎の鐘」など多くの人に愛される歌謡曲を送りだし、ザ・ピーナッツが歌った「モスラの歌」も手がけている。
 そんな古関だが、楽器を使わずに五線紙とペンだけで作曲していた。「五線紙に向かうと、いつも新しい音楽がとび出してくる」と自伝で語っている。

「曲は技巧で作るものではありません。心で生み出すものです」と語る、晩年の古関裕而さん

「曲は技巧で作るものではありません。心で生み出すものです」と語る、晩年の古関裕而さん

出典: 朝日新聞

「私は、本格的な音楽活動を始めてからの五十年、ピアノは勿論、一切の楽器を作曲の場で使ったことはない。いつも五線紙とペンだけである。辞書を引きながら、文章を書いていたのでは、小説はできないと思う…」

出典: 「鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝」(主婦の友社、1980年)

「六甲おろし」、変更前の歌詞に愛着?

 1935(昭和10)年、阪神の前身である「大阪野球倶楽部(大阪タイガース)」が創立。早速、日本コロムビアに応援歌制作の依頼があり、古関が作曲したのが、現在の「六甲おろし」だ。正式名称は「大阪タイガースの歌」(当時)。その後、歌われる機会はあまりなかったが、阪神が日本一に輝いた1985年に一気に広まり、以降はホーム、ビジター問わず、勝利後にファンが歌うのが定番になった。

7回の攻撃前にジェット風船をあげ、盛り上がる阪神ファン =遠藤真梨撮影

7回の攻撃前にジェット風船をあげ、盛り上がる阪神ファン =遠藤真梨撮影

出典: 朝日新聞

 歌詞は、1961年に球団名変更で、「大阪タイガース」の部分が「阪神タイガース」に変更されたが、古関自身は変更前の歌詞、特に「♪オウ、オウ、オウ、オウ、大阪タイガース」の部分に愛着があったようだ。

古関裕而は「オウから大阪へ移っていく箇所の言葉の響き、語感の盛り上がりからいえば、以前のものの方により以上の懐かしさを感じる」といっている

出典: 2000年1月20日朝日新聞朝刊

28年後、巨人の「闘魂こめて」も作曲

盛り上がる巨人の応援席=恵原弘太郎撮影、東京ドーム

盛り上がる巨人の応援席=恵原弘太郎撮影、東京ドーム

出典: 朝日新聞

 1963(昭和38)年には、巨人が創立30周年を迎えたのを記念し、古関が手がけたのが「闘魂こめて」だ。
 この年、川上哲治監督率いる巨人は、西鉄ライオンズ(現西武)を破り、日本一に輝いた。
 ちなみに「闘魂こめて」は、3代目の「巨人軍の歌」にあたり、古関は初代の球団歌も手がけている。

「闘魂込めて」は、巨人軍の球団歌として3代目となります。3曲のうち2曲が古関氏の作曲となり、1代目の球団歌が、昭和14年に作詞:西條八十氏、作曲:古関裕而氏、歌唱:伊藤久男氏により、「巨人軍の歌 -野球の王者-」として発表されております。

出典:福島市ホームページ「古関裕而生誕100年 代表曲」

高校球児に愛されるあの曲も

大会歌「栄冠は君に輝く」が演奏され合唱の歌声が響く阪神甲子園球場=杉本康弘撮影

大会歌「栄冠は君に輝く」が演奏され合唱の歌声が響く阪神甲子園球場=杉本康弘撮影

出典: 朝日新聞社

 夏の高校野球の大会歌として親しまれている「栄冠は君に輝く」(全国高等学校野球大会の歌)も古関の作品だ。
 戦後間もない1948(昭和23)年、大会名が現在の全国高校野球選手権大会と改められたのを機に、朝日新聞社と日本高校野球連盟が歌詞を公募し、曲は古関に依頼した。
 古関は大阪に足を運び、藤井寺球場で予選大会を見学。その後、実際に甲子園のマウンドに立ち、試合の様子を思い浮かべたところ、自然にメロディが湧いてきたと振り返っている。

無人のグランドのマウンドに立って、周囲を見回しながら、ここにくり広げられる熱戦を想像しているうちに、私の脳裏に、大会の歌のメロディが湧き、自然に形付けられてきた。

出典: 「鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝」(主婦の友社、1980年)

幻の作詞者、古関は歌詞を称賛

 一般応募された詞は、全国から集まった5252編の中から、当時34歳だった石川県根上町(現・能美市)の加賀大介(1974年死去)の作品が選ばれた。ただ加賀は婚約者の名前で応募したため、本当の作詞者が明らかになったのは20年後だった。

同人誌を出すなど地元文芸界の指導者的存在だった加賀さんが、朝日新聞の大会歌歌詞募集に応募したのは一九四八年。短歌を通した友人で、後に妻となる道子さんの名を使ったため、当選後も二十年間は「幻の作詞者」だった。

出典: 1993年7月5日朝日新聞朝刊

石川県能美市にある歌碑=07年、堀内義顕撮影

石川県能美市にある歌碑=07年、堀内義顕撮影

出典: 朝日新聞

 「栄冠は君に輝く」について、古関は後年、加賀が作った歌詞を称賛し、自身の「会心作の一つ」と振り返っている。

「歌詞がすばらしかったですよ。とくに『ああ 栄冠は君に輝く』という句にひかれました。私の会心作の一つです」

出典: 1989年8月19日朝日新聞夕刊

高校野球開催中に死去

阪神甲子園球場=朝日新聞社ヘリから、竹花徹朗撮影

阪神甲子園球場=朝日新聞社ヘリから、竹花徹朗撮影

出典: 朝日新聞

 古関が亡くなったのは、1989年8月18日。ちょうど夏の高校野球の開催期間中だった。翌日19日の第3試合の開始前にスコアボードに訃報が掲示された。その後、場内には「栄冠は君に輝く」が流れ、約4万人の観客が古関をしのんだ。

場内放送が「古関さんをしのんで大会歌を放送します」とアナウンスした。やがて、歌が流れスコアボードに歌詞が2番まで電光掲示された。一塁側尽誠学園の応援席では、チアリーダーたちが声援を中断。リズムに合わせて、応援のうちわが揺れた。内野席などでも、一緒に口ずさむうち、涙ぐむ年配の人もいた。

出典: 1989年8月19日朝日新聞夕刊

いよいよ「伝統の一戦」

 古関さんが亡くなってから四半世紀が過ぎました。クライマックスシリーズに出場する選手の中には、藤浪晋太郎投手(阪神)ら古関さんの死後に誕生した選手もいます。しかし、古関さんが生み出したメロディは、これからもファンに歌い継がれ、選手たちの気持ちを奮い立たせ続けるはずです。
 「伝統の一戦」にふさわしい好ゲームを期待しましょう。(本文敬称略)

参考文献:「鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝」(主婦の友社、1980年)


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