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仲本工事は攻守を担うドリフのリベロ 体操、伊達メガネ…光った個性

仲本工事さん=東京・六本木のテレビ朝日で、1986年3月26日撮影
仲本工事さん=東京・六本木のテレビ朝日で、1986年3月26日撮影 出典: 朝日新聞社

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ザ・ドリフターズの仲本工事さん(享年81歳)が亡くなった。1966年に開催されたビートルズ公演の前座でドリフの一員としてリードボーカルを務め、『8時だョ!全員集合』(TBS系)の「体操コーナー」で人気を博した仲本さん。改めて、その軌跡をたどりながら、ドリフにおける仲本さんの存在感、お笑い界に与えた影響について考える。(ライター・鈴木旭)
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「いいね」押して回る一面

仲本工事さん=2020年3月撮影
仲本工事さん=2020年3月撮影 出典: 朝日新聞社
今月19日に亡くなった、ザ・ドリフターズの仲本工事(本名:仲本興喜)さん。前日に横浜市西区で交通事故に遭い、搬送先の病院で治療を受けたものの、そのまま帰らぬ人となってしまった。

ちょうど17日、筆者はドリフ全員をものまねできるレッツゴーよしまささんを取材していた。よしまささんは学習院大学出身で、仲本さんの後輩にあたる。普段は控えめなタイプながら、熱中するとトコトン打ち込む性格も似ていた。「ぜひ仲本さんと『ばか兄弟』(兄役のいかりや長介さんと弟役の仲本工事さんのコント)をやってほしい」と、その実現を心待ちにしていた矢先だった。

20日、『Live News イット!』(フジテレビ系)でお笑い評論家の西条昇さんが「ツイッターで何度か『いいね』をもらった」と話していたが、筆者も同じように執筆したドリフ関連の記事をツイートすると、仲本さんが「いいね」を押してくれたことがあった。

そんな一面を垣間見て、洒落た人だなと思ったし、何よりもご本人からリアクションをいただけたことに感激した。

ドリフ×ももいろクローバーZ×東京03・飯塚悟志さんによるニコニコ生放送のネット配信番組「もリフのじかん」では穏やかな笑顔で場を和ませていたし、ツイッターではモーニングセットやアイスを食べる写真とともに飾らない言葉でファンを喜ばせていた。

お元気そうな仲本さんを見ていて、「(加藤茶さん、高木ブーさんらと)まだまだドリフが見られる」と思っていただけに、ショックは大きい。

中学時代に熱中した「体操」と「音楽」

仲本さんは1941年、東京・日本橋に生まれた。3歳の頃、一家は恵比寿へ引越し。その後、靴職人の父親は白金に小さな店を構えている。

一人っ子の仲本さんは、小学校時代から成績優秀、スポーツ万能の優等生だった。1954年、渋谷区立鉢山中学校に入学。最初は野球をやっていたが、練習で帰宅が遅くなるため退部。店の手伝いができなくなることに負い目を感じたそうだ。

しかし、これが仲本さんの運命を決定づけた。2年生の時に体操部が新設され、ここで抜群の身体能力が花開く。練習に打ち込み、3年生の時には渋谷区の大会で個人総合優勝。意図しないところで才能が発揮される彼のキャリアの特徴は、このエピソードからも垣間見える。

同時期にハマったのが、誕生日に父親からプレゼントしてもらったギターだ。ロックンロールに魅了され、ラジオから流れる曲を聴きながら独学で楽器をマスターしていった。体操と音楽、後につながる要素は中学の時点で揃っていた。

弁護士を断念、就職せずドリフへ

公開番組『進め!ドリフターズ』で張り切るコミックバンドのザ・ドリフターズ/左から荒井注さん、高木ブーさん、仲本工事さん、加藤茶さん、いかりや長介さん
公開番組『進め!ドリフターズ』で張り切るコミックバンドのザ・ドリフターズ/左から荒井注さん、高木ブーさん、仲本工事さん、加藤茶さん、いかりや長介さん 出典: 朝日新聞社
1957年、都立青山高校に入学。引き続き体操部に入り、1年生で東京都の新人戦で個人総合4位入賞を果たす。一方で学園祭ではギターを手にロックンロールを歌い、しっかりと勉学にも励んだ。

1960年、学習院大学政経学部に入学。体操部がなく、最初は弁護士を志すも司法試験の内容を知って「10年かかる」と思い、早々に断念。その半年後、目に飛び込んできたのが「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」のセカンドシンガーのオーディションだった。

ジェリー藤尾さんは、当時ロカビリーブームの中でブレークしていた大物歌手である。また、パップ・コーンズでバンジョーを弾いていたのが後の高木ブーさんだ。約20人がオーディションを受け、合格したのは素人の仲本さんただ一人だった。

午前中は大学に通い、午後からはジャズ喫茶を回った。充実した日々だったが、職人気質な父親から猛反対を受けた。1964年、商工会議所に就職を決意。しかし、そんな矢先にバンド仲間の高木ブーさんからいかりや長介さんを紹介される。ドリフのメンバー4人が脱退し、新たな人員を探していた時期だったのだ。

いかりやさんが厳格な父親を説得し、仲本さんは晴れてドリフのメンバーとなった。すでにドリフは、レギュラー番組『味の素ホイホイ・ミュージック・スクール』(日本テレビ系)を持つ人気コミックバンド。仲本さんは加入間もなく多忙な毎日を過ごす。

1966年には、日本武道館で開催されたビートルズ公演の前座にドリフが出演し、仲本さんはリードボーカルを務めた。その後、ドリフは歌よりもお笑いメインのグループとして成長していく。

仲本さんは戸惑った。バンドマンの一人として加入したにもかかわらず、次第にコメディアンとして指導され、怒られるようになったからだ。

また、時は日本の喜劇映画全盛時代。ドリフの映画が次々と製作される中、1969年にスタートしたのが『8時だョ!全員集合』(TBS系)だった。

攻撃も守備も担う“リベロ”のような存在

1970年8月8日に旧杉並公会堂から放送された舞台のリハーサルの様子を、山田満郎さんが撮影した写真。左から荒井注さん、高木ブーさん、いかりや長介さん、加藤茶さん、仲本工事さん=東京都杉並区の区立郷土博物館分館
1970年8月8日に旧杉並公会堂から放送された舞台のリハーサルの様子を、山田満郎さんが撮影した写真。左から荒井注さん、高木ブーさん、いかりや長介さん、加藤茶さん、仲本工事さん=東京都杉並区の区立郷土博物館分館 出典: 朝日新聞社
『全員集合』は、1973年4月7日に50.5%という驚異的な視聴率を記録した番組である。

毎週、大掛かりなコントで視聴者を魅了する中、仲本さんは持ち前の身体能力を生かした「体操コーナー」で存在感を示す。「テレビで初めてバク転をやった男」との伝説も残る仲本さんのパフォーマンスは、森末慎二さん、池谷幸雄さんなど、後にオリンピックで活躍する体操選手にも影響を与えたという。

もう一つ、いかりやさんが著書『だめだこりゃ』(新潮文庫)の中で「風見鶏の仲本」と記しているように、コントグループのバランサーとしてのポジションを築いた点も見逃せない。この件について、仲本さん自身がこう語っている。

「加藤は天才だもん。思わず口について出ることが面白いし、いるだけでホッとするとこもあるしね。テレビに出始めのころなんて、ほんとにかわいくて、いい男でしたよ。今でいうと、お笑いもできるアイドルみたいだよね。だから加藤は天才、志村は秀才かな。

(中略)ドリフのメンバーはみんな、その状況に合わせて自分のポジションをうまく変えられるんだよね。5人でコントするときは5人にそれぞれの立場があるんだけど、4人や3人になったらまた違う立場がある。場合によっては主役になることだってある」

(2018年9月2日に公開された「文春オンライン」の「77歳 仲本工事が語る“ドリフ秘話”『加藤は天才、志村は秀才』の理由」より)

自分の役割をよく理解し、冷静な目でドリフを眺めていた人の言葉だと感じる。『全員集合』のドリフ全体のコントでは、志村さんや加藤さんへとつなげるポジションやボケに対するリアクションを見事にこなし、後半のショートコントでは、主に志村さんと絶妙な掛け合いを見せた。

『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)では、志村さんや加藤さんとのコントはもちろん、前述したいかりやさんとの「ばか兄弟」「幸せ親子」、いかりやさん、高木ブーさんとの「雷様」をヒットさせている。サッカーで言えば、攻撃も守備も担う“リベロ”のような存在だったと言えるだろう。

メガネキャラの幅を広げた第一人者

トレードマークの黒縁メガネは、伊達メガネだった。いかりやさんが特徴をつけるため、仲本さんにかけさせたという。放送作家でタレントの大橋巨泉さんも同じく伊達メガネだったが、こうしたキャラクター作りは後のお笑い界にも引き継がれている。

『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)に出演した当時のウッチャンナンチャン・内村光良さんは、番組スタッフからの指摘を受けたことがきっかけで、伊達メガネをかけてコントを披露していた。

そのほか、さまぁ~ず・大竹一樹さん、キャイ~ン・天野ひろゆきさん、アンタッチャブル・柴田英嗣さんも伊達メガネだ。コンビの見た目に違いを出すには、格好のアイテムだったのだろう。

また、前述のいかりやさんの著書『だめだこりゃ』の中で「何を考えてるんだかワカンナイ仲本」と書かれているように、黒縁メガネの仲本さんは知的な優等生のイメージだけでなく、“ミステリアスな雰囲気”も放っていた。

志村さんとのコントでは、しばしば過激な攻防戦へとエスカレートしていくドタバタ劇も見られ、イメージとのギャップで余計おかしかったのを思い出す。この点については、東京03・豊本明長さん、ハナコ・菊田竜大さんといった芸人の飄々としたキャラクターにも通じるところがある。

タレントのトレードマーク、知性、ミステリアス……と、メガネキャラの幅を広げたのは、仲本さんのイメージによるところも大きいのではないだろうか。

舞台『日本昔ばなし』前に惜しくも

花吹雪の舞う中で迎えた『8時だョ!全員集合』のフィナーレ。803回目の放送だった。右から荒井注、高木ブー、加藤茶、いかりや長介、仲本工事、志村けん=1985年9月28日、東京・赤坂のTBSで、門間一平さん撮影
花吹雪の舞う中で迎えた『8時だョ!全員集合』のフィナーレ。803回目の放送だった。右から荒井注、高木ブー、加藤茶、いかりや長介、仲本工事、志村けん=1985年9月28日、東京・赤坂のTBSで、門間一平さん撮影 出典: 朝日新聞社
『全員集合』終了後の仲本さんは、役者の世界でも活躍。1986年には、『遠山の金さんII』(テレビ朝日系)、1988年には舞台「恍惚の人」(東宝)に出演するなど次々と経験を積んだ。

1993年に「加トちゃんバンド」、1999年に「こぶ茶バンド」を結成。そもそものルーツである音楽活動も継続していく。

筆者が最後に観たのは、昨年11月に日本武道館で行われた「ドリフ&ももクロ ライブフェス~コントもあるョ!全員集合~produce by もリフのじかん」だ。ドリフの3人が「のっぽのサリー」を演奏し、コントを披露する姿を生で観て身震いした。ラストで「ドリフのビバノン音頭」を歌う頃には、完全に子ども時代の感覚に戻っていた。

また同時に、ドリフとともに、かが屋、東京03・飯塚さん、ももクロのメンバーが(『全員集合』の「少年少女合唱隊」で披露された代表的なパフォーマンス・楽曲である)「早口言葉」をやっているのを観て、レジェンドと若手芸人、アイドルが共演する風通しの良い環境があることに希望を持った。

今年11月に開催される舞台「『日本昔ばなし』貧乏神と福の神~つるの恩返し~」のチケットを購入し、今度は仲本さんの演技を観られると胸躍らせていた。19日の事故は、そんな矢先の出来事だった。

晩年は、YouTubeチャンネル「仲本工事のおやじ打ち」をスタートさせ、主に好きなパチンコを打ったり、食事をしながら雑談したりする動画をアップしていた仲本さん。マイペースな活動の中で、まだまだご活躍されると信じていた。

最期が事故とは、本当に残念でならない。荒井注さん、いかりやさん、志村さんとともに、天国でドリフ談義に花を咲かせていることを願うばかりだ。合掌。
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