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コラム

「一生懸命生きない」文学YouTuberが選ぶ自宅生活で読むべき本

なんでも思い通りになるのだったら、今頃私はヒカキンのはず。

文学YouTuberのベルさん
文学YouTuberのベルさん 出典: 本人提供

新型コロナウイルス感染拡大による自粛生活で、本を読む時間が増えた人もいるのではないでしょうか。次に読む本はもう決まっていますか? 読書の魅力を発信している文学YouTuberのベルさんが、あなたの気分に合わせた本を紹介します。

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きょうの一冊


『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン著、岡崎暢子訳/ダイヤモンド社)
(c)HAWAN
(c)HAWAN 出典: ダイヤモンド社提供

 こんな時に読みたい

  ・うまくいかない時

  ・自信がない時

  ・(自分を)誰かと比べちゃう時


仕事をひとつ終え、請求書をメールで送った。すると、「法人じゃないんですね。それなら不要です」と返事が来た。「あと、内税なので」とも。確かに税込みとは書かれていなかった。少し不親切な気もしたが、前もって「それって外税ですか?」なんて確認する勇気もなかっただろうし、差額が大きいわけでもなかったため承知した。するとまたメールが来る。

「名前、住所、口座番号を教えてください」

送った請求書に書いてあるよ! 請求書ってそのための紙なんだよ!

自分は必死に何をしているのだろうか。(きっと相手は新入社員でまだ理解が届いていないのだろう…先輩から言われたことをそのまま伝えているに違いない…メールの署名に初心者マークでもつけておいてくれれば何も思わないのに…)得意の想像力で自分をなだめる。

好きなことで生きるYouTuber、その実結構地味なんです。

 
*  *  *
 
『あやうく一生懸命生きるところだった』

数ある積読本の中でこのタイトルが光ったのは、そんなことがあった日だったからかもしれない。本棚の前で立ち読みしてみる。
ゲーテは言った。「人生とは速度ではなく方向」であると。(P.4)

書き出しで、私と気の合う本であることを確信した。

著者は40歳の男性だ。3浪して美大に入り、卒業したのは30過ぎ。その後の3年間は学生時代の貯金を食い潰しながら無職生活を送る。フリーのイラストレーターを目指していたため、まずは会社に勤めることで貯蓄計画を立てていたが、あっけなく倒産。最近までは別の会社でサラリーマンとイラストレーターの複業に粉骨砕身していた。

チクショウ、もう限界だ。(P.9)

気力も体力も底をついた彼は、なんと何のプランもないまま退職をしてしまう。その先に待っていたものは、「一生懸命生きない」人生だった!

本書は後ろ向きな過去を自由な今の視点で語ることで、生き方そのものを見つめていくイラストエッセイである。

正直こういう本は最近多い。「生きたいように生きよう」「やりたいことをやればいい」「好きなことで生きていく」……

そりゃできたら良いだろうよ! でも、現実はそう簡単にはいかない。そもそもやりたいことなんていつもあるわけじゃない! 自分らしさって何?

こんなことを言うと、ギラギラの自己啓発書は「言い訳しているだけだ」とグサリと一突きしてくるだろう。自由な言葉の羅列が無責任な圧力に見えてしまうのは、私が卑屈なだけなのだろうか?

著者はきちんと言及していた。

しかし、ここ数年でいきなり態度を豹変させた。若者たちに「夢を見ろ」と言い始めたのだ。思いっ切り夢を描きなさいと。バカの一つ覚えみたいに大企業入社と公務員試験にばかり固執せず、自分の夢に向かって飛び立ちなさいと。その言葉が上滑りにしか聞こえないのは、僕らの社会が夢を見て何かを成し遂げるには困難な“正解社会”だからだ。僕らの社会は正解が決まっている。その道を歩まない限り、後ろ指をさされる。(P.170)

私はYouTuberであることをごく一部にしか伝えていない。親戚は誰一人知らない。祖母からは「汗水たらして、我慢して、何しろ真面目に生きなさい」と言われることはわかっているし(わりと真面目に生きていると思うんだけどな)、他においても心の中で笑われることは目に見えている。ということで、私は周りから何やっているかわからないニート同然の女だと思われているのだ! ついでに5年前にYouTubeを始め、母や弟に活動がバレた際の懐疑的な目も思い出してしまった。

こんな風潮の中で、自分のペースを保ちながら夢を見ることほど難しいものはない。

著者もそんなことはわかりきっている。だとしても、なるべくしなやかに生きていける考え方を探してみようじゃないか、というわけだ。

(c)HAWAN
(c)HAWAN 出典: ダイヤモンド社提供

努力は報われないものだ。だから、努力不足のせいじゃない。

毎日必死に走っているけれど、それって一体何のレースで誰と競っているの?

やる気がなくたって働くことはできる。他人のためにやる気を使ってはいけない。

287ページから成る四角い物体は、大局的な視点でアドバイスをくれる友人のようで、「お前いいやつだな」と言いたくなった。

おっと、このままではあやうく一生懸命読んでしまいそうだ。そんな私に小休止を与えるのは、ゆるい挿絵だ。

ムダな抵抗はやめろ! ムリしてやる気を出すな!(P.40)

地獄のミサワ的なシュールさに思わずくすりと笑ってしまう。さらに、村上春樹の小説や漫画『孤独のグルメ』などを使って軽やかに哲学してくるものだから、そちらも読みたくなってしまったではないか! こんな時に不要不急の世界へ誘うなんてずるい。

「生きていて楽しい」と思った瞬間を思い浮かべてみると、不要不急なことばかりだ。しかし、不要なことが楽しいならそれは私にとって必要なわけで、だから自粛がしんどく感じる。何かしている時間も何もしていない(と一般的に思われる)時間も等しく尊い、という著者のスタンスを、今だから理解できる気がする。

そうであるならば、あの無駄だと思われる請求書のやりとりも尊いのだろうか? 途端に自信がなくなるので読み進める。

飲食店で注文した料理が30分待っても出てこないー。こんなとき、あなたはどんな気分だろうか?(中略)ところが、待たされてもなんともない店がある。(中略)そこのメニューの表紙にはこんなひと言が添えられている。少々不器用な店主がひとりでやっています。料理が出るまで、お待たせすると思います。どうもごめんなさい。(P.202)

ここから、自分のペースとコースを探そう、思い通りにいかないほうが正常だ、という話につながっていくのだが、私はこの文章にはっとさせられた。なぜなら、請求書の件で「メールの署名に初心者マークがついていたら何も思わなかったのにな」という下らない考えをしていたからだ。まさにここにあるメニューの文句を欲しているではないか!

しかし気遣いを求めるのはお門違いというもので、もしなんでも思い通りになるのだったら今頃私はヒカキンのはず。欲張りな自身をちょっぴり反省し、その後も肩の力が抜けるような言葉のシャワーを浴びながら、最後まで気持ちよくページをすべらせた。

 
*  *  *
 

本を閉じて書影をじっと見る。著者はハ・ワン。帯には“韓国でベストセラー25万部”の文字。ああ、そうだ。共感するものが多く、翻訳がうますぎるのですっかり忘れていたが、これは海外文学だった。激しい競争社会である韓国でとった著者の行動や思想は、私が想像しているよりも重みがあって、勇気のいることだったかもしれない。なにより「一生懸命生きない」価値観が国内で支持されているという事実が興味深いものとなった。

読了後に抱いた感想は、やはり私は「一生懸命が好き」ということだった。内容を否定しているのではない。元来頑張り屋の著者は、今だって「一生懸命生きない」ことを一生懸命楽しんでいるように感じるのだ。まさに速度ではなく、方向を示してくれた一冊。

さあ、次は何を読もうか。

文学YouTuber ベル

YouTubeで、読書の魅力を発信する動画クリエイター。登録者11万人超。「気軽に読書を楽しめる仲間を増やしたい」という思いで、日々の活動を行う。人気のジャンルは、書評動画。作家対談や本にまつわるあれこれの解説も行う。
Official Website:http://bellelinwall.com/
YouTube:https://www.youtube.com/c/BellelinWall
Twitter:@belle_youtube 
Instagram:@belle.gokigenyou

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