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<金正男暗殺を追う>遺体に残された「腹の入れ墨」影武者説の真偽
金正男(キム・ジョンナム)氏の暗殺のニュースは、瞬く間に世界に広がった。「毒針説」や「スプレー説」など臆測が飛び交い、日本のワイドショーは「遺体は影武者の可能性がある」と紹介。現地では「スクープ映像」を売り買いするブローカーまで現れた。今も裁判が続く世界を揺るがした暗殺事件。新たにわかった証言などから「その時」を追った。(朝日新聞国際報道部記者・乗京真知)
韓国やマレーシアのメディアが「正男氏殺害」の速報を流したのは、殺害から一夜明けた2017年2月14日だった。匿名の政府関係者や警察幹部の話として、トップニュースで伝えた。
最初に取りざたされたのは「殺害方法」をめぐる謎だった。「スプレーで毒液をかけられた」「毒液がしみた布をかぶせられた」「毒針を刺された」。犯行があまりに素早く、目撃情報がなかったため、情報が錯綜(さくそう)した。ボールペン型の針や万年筆型の銃など、さまざまな凶器が報道で紹介された。
このうち「スプレー説」については、理由があった。公判資料によると、正男氏の救命活動にあたった医療チームは当初、スプレー説を唱えていた。正男氏は死亡する直前、医療チームに対し、顔を洗うようなしぐさで「液体を塗られた」と訴えた。この訴えは「液体をふきつけられた」と解釈され、スプレー説の出元となった。正男氏の英語は、マレー語を話す医療チームに正しく伝わっていなかった。
実際には、実行犯が毒液を手にとり、正男氏の顔に塗りつけていた。それが明るみに出たのは、警察が監視カメラの映像を解析し終えた、数日後だった。
日本のニュース番組では「影武者説」も取り上げられた。遺体は正男氏ではなく、正男氏に似た別の人物ではないか、という説だ。この説は、2枚の写真を根拠にしていた。
1枚目は、日本のテレビ局が持っていた「事件前の正男氏の写真」。写真で正男氏はシャツを脱ぎ、水着姿になっていた。正男氏の腹部には、大きな入れ墨があった。
2枚目は、マレーシア紙が掲載した「事件後の正男氏の写真」。写真で正男氏の上着はめくれ、ヘソから下がのぞいていたのだが、入れ墨は写っていなかった。
1枚目にあった入れ墨が、2枚目では消えているのではないか。事件8日後の夜、遺体を確認できる立場の病院関係者に、記者は疑問をぶつけた。答えは単純だった。「入れ墨はヘソの上までしかない。ヘソの下には彫られていない」。影武者説は退けられた。
欧米やアジア各国のメディアが大挙した現場で、取材態勢が最も手厚かったのは日本メディアだった。新聞社は記者や通訳を10人前後、テレビ局はその倍以上のチームを投入していた。
どのメディアも、ある映像を狙っていた。正男氏が空港で襲われた瞬間の映像。空港には監視カメラがあるため、映像が存在することは分かっていた。ただ、それを閲覧できるのはマレーシアの警察幹部ら一部に限られていた。
事件から5日ほどたったころ、警察にコネを持つ複数の仲介者から「映像を買わないか」との売り込みが各社に寄せられた。交渉価格は1万~2万ドル。朝日新聞を含む多くの社は交渉に乗らず、取材を続けた。事件から1週間後、ついに日本のテレビ局が映像を手に入れ、「スクープ」として報じた。国内外のメディアが次々と映像を転用した。
この一件以降、警察は流出が続くことを案じ、メディアへの警戒を強めていった。例えば、事件から8日後には、日本のテレビ局の男性カメラマンの「手配書」が、警察内で回覧された。記者が確認した手配書には、カメラマンの写真や身分証の写しに加え、付き添いのマレーシア人通訳の個人情報まで載っていた。「カメラマンは警察幹部の命令だと偽って、警察署から映像を無理やり入手した疑い」があるので、居場所が分かったら報告するようにと書かれていた。カメラマンは既にマレーシアを出て、タイに移動していたため、追跡を免れたという。
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【報道合戦】北朝鮮の指導者一家の長男である正男氏が白昼、衆人環視の空港で襲われた謎多き事件だったため、報道機関は取材にしのぎを削った。記者やカメラマンが24時間態勢で張り込んだのは「遺体安置所」と「北朝鮮大使館」の2カ所。多いときで200人以上が詰めた遺体安置所では、正男氏の司法解剖が行われていたほか、遺体搬出を警戒する必要があった。安置所内に侵入を図った疑いで韓国メディアのカメラマンが一時拘束され、武装警官が出動する一幕もあった。カメラマンは「トイレを探していた」と釈明し、後に解放された。また、北朝鮮大使館は事件への関与を疑われていて、大使館がどう反論するかに注目が集まっていた。
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