連載
#18 名前のない鍋、きょうの鍋
シェアハウスに並ぶ200種の日本酒…「酒仙」が囲む〝名前のない鍋〟
ブリかまと昆布、殻付きエビの深いだし
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、繁華街のすぐそばに住む、日本酒好きな26歳のもとを訪ねました。
豊田千木良(とよだ・ちぎら)さん:1996年、東京都生まれ。東京農業大学に在学中、日本酒に傾倒する。2019年に学内サークル「酒仙会」を、2020年には各地の大学日本酒サークルの連携を目標とした「全日本学生日本酒連盟」を立ち上げた。同年、日本酒造組合中央会に就職。2022年独立、現在はシェアハウスを営むかたわら、週2回ほど間借り居酒屋を行っている。Twitterは@chekemaru0522
取材が決まり、最寄り駅をうかがってしばし耳を疑った。
「神田駅から徒歩3分です」
JR山手線の中でも、神田といえば乗降客も周辺企業も多く、会社員が数多く利用する駅だ。
そりゃ住んでる人もいるだろうが、徒歩3分とは。そして取材相手の豊田さんは今年26歳という若さである。
「ははは、驚きますよね。ここは築50年、風呂がすごく狭くて洗濯機も置けない物件なので、家賃はかなり安いんですよ」
友人とふたりで間借りしており、家賃を聞けば確かに折半なら払いやすそうな額だった。
豊田さんは今年(2022年)の夏に独立したばかり。新卒で入ったのは日本酒造組合中央会で、日本酒や焼酎などの生産者による団体である。製造技術の研究および販売の支援、国内外への振興や広報を目的としている。
豊田さんは大学時代、日本酒に魅了された。人生のテーマにしたいと思うほどに。
「大学でアーチェリー部に入ってたんですが、主将の実家が蔵元で、そこのお酒を飲ませてもらったとき『うまいッ…!』と感激したんですよ。いろいろ飲んでみたいと思うようになったんです」
昔から熱中しやすい性格だった。ただ飲むだけではなく、酒蔵見学にも行って生産者の話を聞いた。
バイト先の居酒屋で、蔵元で聞いた話をすると喜ばれる。常連客から「〇〇も飲んでおくべき」「どこそこの店も行っとけ」なんてアドバイスをもらうようにもなった。
味わいの幅広さ、料理との相性の良さなど、奥深い魅力にますます惹かれていく。
「酒蔵を訪ねると、『若い人の日本酒離れが著しい』『斜陽産業だからねえ』といった声をよく聞きました。日本酒好きの若い仲間を増やしたいという思いから、大学3年のときに『酒仙会』というサークルを作ったんです」
酒仙には「心から酒を楽しむ人」という意味を込めていた。アルハラ的なノリは一切排して、日本酒をたしなみ、楽しむ場を作りたいという思いからのアクション。
うん、ここ10年ぐらいだろうか、豊田さんのような人が増えているのを感じる。日本酒シーンを盛り上げ、食文化のひとつとして大切にしたいと願う若者たち。
豊田さんは同じ思いを持つ者がつどえる場所を作りたいと考えた。現在のルームメイトは同志でもあり、ふたりの知人友人がよく訪ねてくるという。
「だから鍋の出番も増えるんです。人数が多くなると便利ですよね。サークルの後輩が『日本酒に興味ある友達を連れてきました!』なんてこともしょっちゅうあるので」
大勢の腹を満たすにもいいし、つまみを細々と出す手間も省ける。話しつつ、豊田さんは大きなブリのかまを取り出して、グリルで焼き始めた。昆布と一緒に、きょうの鍋のだしにするのだそう。
具材用にと冷凍庫から赤海老、冷蔵庫からブリのサクも出してくる。いやはや、贅沢な鍋だなあ。
「いえいえ! 僕、毎週土曜日に築地の魚屋さんで販売手伝いをしてるんです。もともと知り合いなんですけど、ギャラが魚なんですよ(笑)」
これは搾取ではなく、納得の上でのことだそう。というのも現在シェアハウスを営むかたわら、豊田さんは週2日ほど居酒屋を間借りして、ひとり店長の営業を行っている。報酬代わりの魚介はお客さんに出す食材になるのだ。
築地での対面販売を経験できることも、生きていく上で何らかのプラスになるだろうとの考えもある。
そうこうするうち鍋が煮えて、香りが漂う。
「真ん中の丸いのはあん肝です。鮮度がいいから臭みがなくて最高ですよ、僕が作りました。鍋に入れると全体がちょっとクリーミーになってうまいんです」
ご相伴にあずかってみれば、焼きを付けたブリかまと昆布、殻付きエビによる深いだしがたまらない。このつゆだけでも、つまみになりそうである。
「じゃあちょっと1杯、やりましょう!」と人懐こい笑顔ですすめてくれた。
大好きなお酒のひとつという、兵庫県は東灘区の『大黒正宗』が卓に並ぶ。やさしい飲み口で、当たりの柔らかさが人を選ばず愛されそう。豊田さんのキャラクターがかぶってくる。
しかし考えてみれば、独立されてまだ約2か月だ。景気がいいとはいえない世情の中、不安はないだろうか。
「前職はとても勉強になりましたが、デスクワークが性に合わないことが分かりました。組織ではなく自分で何かをしたい、という思いが募っての退職です」
「未来は模索中だけど、若い飲み手や造り手を増やすことにも関わっていきたいですね。シェアハウスでは僕たちが集めた日本酒が約200種ほど置いてあるんですが、利用者の方は自由に飲めます。いろんな種類の日本酒を体験できる場にしたいんです」
大学で日本酒サークルを立ち上げた後、「もっと横のつながりを作りたい」と感じ、各大学の日本酒サークルを検索して「片っ端からDMを送った」という豊田さん。夢中で突き進む没頭力の強い人だ。きっと今後日本酒業界で、面白いことを打ち上げてくれるに違いない。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
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