IT・科学
黒歴史消しながらパソコン少年も育成 「秋葉原最終処分場。」に迫る
世界のアキバのルーツ、怪しげなジャンク文化の進化系。
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世界のアキバのルーツ、怪しげなジャンク文化の進化系。
コロナ禍でインバウンド需要が消滅して久しい。世界有数の電気街として知られる東京・秋葉原も、かつての賑わいは戻らず空き店舗が目立つ。そんな苦境の中、往年の闇市を彷彿とさせるジャンク店が、当世ならではのサービスで踏ん張っている。(北林慎也)
秋葉原駅から電気街メインストリートの中央通りを渡るとすぐ、JR総武線の高架沿いに見えてくるのが「東京ラジオデパート」。戦後の闇市でラジオ部品を扱っていた露天商が集まり、1950(昭和25)年にできた。
電子部品の「千石電商」など、マニア御用達の名店が狭いブースにひしめく。
そんな混沌とした売り場にあって、地下1階でひときわ異彩を放つのが「秋葉原最終処分場。」だ。
店長の中川宗典さん(41)が「ジャンク界のド底辺を攻めた」と自負する、気骨のジャンク店。1階にある「家電のケンちゃん」の系列店として、2019年にオープンした。
店頭のおどろおどろしい配色の貼り紙に、レーティング(格付け)の前口上がある。
商品のコンディションは「酷」「苦」「悲」「普」「喜」、そして「謎」の6段階に分かれる。
初心者向けレベル1の「喜」は「処分場をうたっているのに、奇跡的に普通に使えるレベル」。
だが、この淡泊な説明書きからは、本当の意味での喜びは感じられない。
最上級はレベル5の「酷」。
その形容とは裏腹に説明書きは、ジャンク漁りという行為のマゾヒスティックな歓喜に満ちている。
「主要部品が抜き取られていたり、欠品していたり、外装の酷い破損、そんなのは当たり前」
「ジャンク品には夢があると言ったがあれは嘘だ! そんな大切なことに気づかせてくれる逸品です」
商品は全て無保証。ただし、明らかに壊れているものは「こわれてます」と、POPに大きく書いて売る。
持ち込みによる買い取りは無条件としているが、オープン前後は店名から誤解した問い合わせもあったといい、さすがに「家庭ごみの持ち込みはやめてください」とアナウンスしたという。
取材日に大量に入荷していたのが、パナソニック製ノートPC「レッツノート」の上半分。
本体カバーを兼ねる液晶画面のパネル部分だけ、という代物だ。
「レッツノートの下半分が出回ったら買っておいて、次に液晶パネルが出回るタイミングで買って、ニコイチで完成させる人もいます」
そうやってジャンク店をめぐってかき集めたPCパーツを組み合わせて修理の勉強をしたり、仕上げたマシンを友人や両親に譲ってあげたりする猛者もいるという。
そして、店名に相応しいユニークなサービスが、来店客が持参したハードディスク(HDD)を目の前で破壊する「黒歴史最終処分場。」だ。
文字通り、専用の機械にHDDを入れてボタンを押すと、「メリメリメリ……」という金属のきしみ音を鳴らしながら破砕してくれる。
料金は明朗で、1台あたり税込み100円。
再利用が可能なデータ消去ではなく、物理的に破壊してしまうことで、中古PCパーツとしての価値を無くし、預かり知らないところで流通するのを防ぐ。
2019年に発覚した、神奈川県庁で使われていたHDDの流出事件以降に利用者が増えたという。
ドリルなどで力ずくで壊そうとすると細かい鋭利な破片が飛び散って危険なこともあり、中川さんは安全な専用機械の利用を勧める。
HDDやSSDのほか、USBメモリにコンパクトフラッシュ、SDカードといった小ぶりな記憶媒体の破砕にも応じる。
この類のメディアは年を追うごとに容量が増えて割安になり、頻繁に買い替えられる。
そのたびに、それまで使っていた機器がどっかに行ってしまった、と後から気づくことが多い。
そのため、買い替えのたびに持参して入念に破壊する人も多いという。
跡形なく過去を消し去りたい事情は人それぞれだが、「ご結婚を機に、昔のデータを確実に消したいとお持ちいただく方が、割といらっしゃいます」(中川さん)。
「黒歴史の最終処分」とは、言い得て妙かもしれない。
しかし本業はあくまで、易きに流れるアキバ系サブカルチャーの逆張りを貫くハードコアなジャンク屋さん。
「ジャンク品のキャッチ・アンド・リリース」をコンセプトに掲げるだけあって、買い取り額も低めだが販売価格も安い。
店舗の前で投げ出されるように売られていた自作PCケースの価格は、たったの100円だった。
「かさばるものは早く処分したいので安くします」と笑いながらも、中川さんが購買層として意識するのは、小遣いを握りしめて来店する小中学生や高校生といったパソコン少年たちだ。
中川さん自身も少年期からパソコンいじりが大好きで、周りの大人たちにパーツを格安で譲ってもらいながら学べたことが、今の仕事につながっているという。
「昔の自分が当時の大人たちにさせてもらった経験を、店に通う子どもたちにもさせてあげたい」との思いを込めた、カオスな売り場。そこは、玉石混交から安くて良いブツを掘り当てる目利きを育むフィールドでもある。
インターネット通販の隆盛にコロナ禍が追い打ちとなり、こうした昔ながらの店舗を賃料の高い秋葉原で構えるのは「この街でやりたい、というよっぽどの情熱がないと正直言って難しい」(中川さん)。
緊急事態宣言が明けても、電気街の賑わいは完全には戻っていない。
通りをちょっと歩くと、下りたままのシャッターやテナント募集の貼り紙が目につく。
そんな苦境にあって中川さんがこの店で体現するのは、戦後の闇市をルーツとする怪しげなジャンク文化の進化系だ。
「秋葉原最終処分場。」公式サイトでは、よくある質問「この店にとってジャンク品とは?」への回答として、こう宣言している。
「(ジャンク品とは)夢・希望・混沌・諸行無常…すべてが入り乱れた、秋葉原の生い立ちや歴史、文化を表現するために、最も相応しい、尊くて儚い世界を表現するために最も適切なコトバ」
営業日縮小を余儀なくされながらも中川さんが秋葉原に踏みとどまるのは、パソコン少年だった自分を育ててくれた電気街への恩返しでもある。
「リアルな売り場でのモノとの出会いには、たくさんの喜びや学びがあるはず。コンピューター好きな子どもたちのためにも、できるだけ安くをモットーに、この店を続けていきたいと思います」
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