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山田邦子はなぜ天下を取れたのか?きっかけとなった「大事件」
絶頂期に見せた「懐の深さ」
活躍目覚ましい女性芸人の存在。しかし、1970年代までは夫婦漫才が主流で、女性だけで結成されたコンビやトリオは珍しかった。そのなか、1974年に海原千里・万里がアイドル的な人気を獲得して頭角を現した。一方で、テレビの世界では、バラエティーアイドルがコントを披露。1980年前後、視聴者参加型のバラエティー番組が続々と登場し、“女性で唯一天下を取ったお笑いタレント”とも評される山田邦子を輩出することになった。なぜ彼女はそこまで支持されたのか。女性芸人の系譜をたどる。(ライター・鈴木旭)
現在活躍する女性芸人の系譜は大きく2つに分けられる。1つは正統派ともいえる寄席芸人、もう1つはテレビ開局後に登場したバラエティータレントの流れだ。
関西では、1920年代に夫婦漫才(めおとまんざい)コンビが複数活躍している。代表的なところでは、砂川捨丸・中村春代、ミスワカナ・玉松一郎などがいる。
夫婦漫才とは、読んで字のごとく「結婚した夫婦が披露する漫才」のこと。結成当初は未婚でも、自然と結婚に至るのが常だった。この流れは、平成の中頃まで続くことになる。
女性コンビで初めてしゃべくり漫才を披露したと言われているのが、1933年に結成した海原お浜・小浜(結成当時は、ハッピー姉妹)だ。親戚同士で組んだコンビだった。
ブレークのきっかけは、漫才作家・秋田實との出会いだった。秋田が書き下ろしたロマンスシリーズで好評を博し、その後の人気につながっていく。
1967年に上方漫才大賞、1975年に上方お笑い大賞の大賞を受賞するなど活躍。その後の女性漫才コンビの基礎を築いた。現在も活躍中の海原やすよ・ともこ(姉妹)は実の孫である。
一方で、東京でも1930年代には夫婦漫才コンビが活躍していた。関西とは異なり、しゃべくり漫才ではなく音曲漫才が主流だった。
お笑いコンビ・ナイツの師匠として知られる内海桂子が舞台に上がったのは1938年のこと。それまで日本舞踊や三味線を習っていたが、夫婦漫才の高砂屋と志松の相方である雀家〆子の産休中の代役として呼ばれたのだ。
その後、10回以上のコンビ結成と解消を繰り返したが、最終的に一回り以上年齢の違う弟子・好江とのコンビ、内海桂子・好江になって落ち着いた。1950年のことだった。
三味線を用いた音曲漫才で人気を博し、1958年にはNHK新人漫才コンクールで優勝。以降は1961年の芸術祭奨励賞受賞をはじめ、1989年に紫綬褒章受章を受賞するなど、数々の賞を受賞している。
1997年に相方・好江が病死。コンビでの活動はできなくなったものの、桂子は97歳になった今でも舞台に上がっている。関東の女性芸人を支えただけでなく、寄席の文化を守り続けている貴重な存在となっている。
現在の女性芸人の特色を考えるにあたって、テレビ創成期から活躍したバラエティータレントの存在も避けては通れない。
その第一人者として知られるのが、女優・草笛光子だ。1950年に松竹歌劇団(SKD)の5期生として入団し、少女時代に習っていたバレエと歌唱力で才能を発揮した。
1953年に『純潔革命』で映画デビューを果たし、翌年にSKDを退団。1956年から映画会社・東宝の専属女優となり、映像の世界で活躍することになった。
この流れでスタートしたのが、音楽バラエティー番組『光子の窓』(日本テレビ系・1958年5月~1960年12月終了)だ。草笛をメインに据えた歌やコントは、お茶の間の人気を博した。同時代に活躍したのが、現在も活躍中の黒柳徹子である。
彼女も1953年にテレビ女優第一号としてNHK放送劇団に入り、『夢であいましょう』(NHK・1961年4月~1966年4月終了)でコントを演じている。
どちらも、歌や踊りといった音楽的要素とお笑いがセットになったバラエティー番組であり、欧米文化の影響を色濃く受けている。
1960年代に一世を風靡したコミックバンド「クレイジーキャッツ」の存在を考えても、テレビは寄席とは異なる“都会的なコメディエンヌ”を求めたのだろう。
かねてより女性コンビは数少なかったが、1970年代に関西では海原千里・万里が頭角を現した。
1971年、中学卒業後の千里(現・上沼恵美子)が海原お浜・小浜に入門。すでにデビューを予定していた万里の相方が失踪したことで、突如姉妹でコンビを組むことになった。
「流行歌手のものまね」を盛り込んだフレッシュなネタが多い中、息の合ったかけ合いと時折飛び出す毒舌はベテランを思わせるほど巧みだった。後に漫才ブームを巻き起こした紳助竜介・島田紳助氏、ツービート・ビートたけしも、その実力を認めている。
支持を受けたのは、それだけが理由ではない。彼女たちは10代と20代前半という若いコンビでデビューし、アイドル的な魅力も持ち合わせていた。
テレビの世界では、コント55号やザ・ドリフターズが全盛の時代。コントに起用された女性は、芸人ではなくアイドル歌手だった。
女優がメインのバラエティータレントだけでなく、アイドル歌手がコントを演じる流れは、1980年代後半に現れたバラドル(バラエティーアイドル)の存在へとつながっていく。現在、バラドルは死語となっているが、グラビアアイドルがバラエティー番組で活躍するなど、根強くこのポジションは残っている。
海原千里・万里は、こうした時流にうまく乗り、テレビドラマや映画にも出演する人気者へと駆け上がったのである。
1980年代に入ると、漫才ブームが起こる。このことで、今いくよ・くるよ、春やすこ・けいこなど、女性コンビの漫才師も脚光を浴びるようになった。
また、同時に人気芸人を結集した『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系・1981年5月~1989年10月終了)がスタートする。ここで存在感を放ったのが山田邦子だった。
もともと物真似が得意だった彼女は、高校時代から数々の視聴者参加型のバラエティー番組に出演。とんねるずと同様に、こうした番組の常連として知られていた。
転機となったのは、『笑ってる場合ですよ!』(同局・1980年10月~1982年10月終了)の素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」の出場だった。
バスガイドに扮した山田が「右手をご覧ください、一番高いのが中指でございます」といったキラーフレーズを放つコントで爆笑を呼び、一躍注目の的となる。同番組にビートたけしが出演していた縁もあり、太田プロに所属することになった。
その後、先述した『オレたちひょうきん族』で人気芸人の仲間入りを果たし、1985年には、当時出演していた時代劇『暴れ九庵』(フジテレビ系)の撮影でカツラが被りやすいという理由から丸刈りの坊主頭に。この行動は、結果的に強烈なインパクトを残した。
翌年、山田には2回目の転機が待っていた。1986年にビートたけしがフライデー事件で逮捕されたのだ。芸能活動の自粛を余儀なくされたこの時期、山田はたけしの代役として『スーパーJOCKEY』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(ともに日本テレビ系)に出演し、司会を務めることになった。
これが好評を博したのか、徐々に山田は司会を務める番組が増えていく。
1988年から『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ系・1994年9月終了)、1989年から『MOGITATE!バナナ大使』(TBS系・1995年10月終了)のメイン司会者として活躍。ついにはゴールデンタイムで冠番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系・1989年10月~1992年3月)がスタートするなど、快進撃がはじまった。
同番組では、俳優やミュージシャンが数多く出演。とくにKANの「愛は勝つ」や大事MANブラザーズバンドの「それが大事」は大ヒットを記録した。
また、山田自身も一般視聴者を対象としたビデオオーディションを実施し、そこで選ばれた横山知枝さんと「やまだかつてないWINK」を結成。シングル曲「さよならだけどさよならじゃない」がヒットし、卒業ソングの定番となった。
さらに山田は、NHK「好きなタレント調査」において、1988年から8年連続で好感度タレント1位を記録。1992年に出版した2作目の著書『結婚式』(太田出版、文庫版:幻冬舎文庫)が発行部数40万部を超えるベストセラーになるなど、ノリに乗っていた。
一方で、吉本新喜劇の間寛平らをオープニングコントに登場させ、関西のお笑いを全国区に広めた第一人者でもある。山田は短大時代、親友と2人で早稲田大学の寄席演芸研究会に入り、漫才を披露していた。だからこそ、バラエティータレントの人気絶頂期に、舞台で活躍する芸人を番組に招いたのではないだろうか。
その懐の深さも含め、山田の代えがたい魅力につながっていたように感じる。今のところ、彼女のように社会現象ともいえるブームを巻き起こした女性芸人は現れていない。
山田邦子の存在は、その後の女性芸人に多くの影響を与えた。
ネタ番組の全盛期だった2000年代は、青木さやか、にしおかすみこ、いとうあさこ、友近らが活躍。2010年代以降も、渡辺直美、横澤夏子、ゆりあんレトリィバァ、ブルゾンちえみなど、ピン芸人の躍進が目立っている。
いずれも山田と同じくコントを得意としていて、バラエティータレントの才覚を持ち合わせている芸人だ。
とはいえ、ニッチェ、おかずクラブ、ガンバレルーヤなどのコンビ、最近では、三時のヒロイン、ぼる塾(※本来はカルテット。現在、メンバーの酒寄希望は育休のため活動休止中)といったトリオも台頭している。彼女らは、強烈な見た目やマイペースさを持っていて、マスコットキャラのような親しみやすさがあった。
とくに、三時のヒロインのネタは秀逸だった。海外のラブコメ映画を思わせるテイストのネタ、ドリカムの名曲で輪唱するネタなど、ごく自然な形で女性らしさを表現し、従来のハードルを越えてきている。ともすれば演劇出身者が披露して失敗してしまいそうなネタだが、福田麻貴のツッコミのうまさによって“お笑い”になっているところも強調しておきたい。
趣味趣向が多様化した現代、山田邦子のような圧倒的存在感のある女性芸人が現れる可能性は少ないだろう。その一方で、YouTuberのフワちゃんは芸人のルールにしばられることのない、ハイテンションなキャラを強みとしており、ネット動画の世界からも新たなスターが生まれつつある。また、ジェンダーにとらわれないりんごちゃん、ハリウリサのような芸人が活躍できる幅の広さも生まれている。
お笑いにおいて性別が関係なくなる時を想像しながら、女性芸人がたどってきた道のりとこれからの活躍を見守っていきたい。
※誤字を修正しました。(2020年7月2日)
※一部記述を修正しました。(2020年7月9日)
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