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earth社セクハラ問題、実名ブログ書いた女性社員の「意表つく告白」
「わたし加害者だったんじゃなかろうか」という自覚
人気ブランド「アースミュージック&エコロジー」を手がけるアパレル大手「ストライプインターナショナル」(岡山市)。創業者で当時社長だった石川康晴氏は、女性社員らへのセクハラなどの問題が3月に報じられると、「報道でお騒がせしたため」との理由で、務めていた政府の男女共同参画会議の議員を辞任し、その翌々日、社長を辞任しました。セクハラは公式には認めないまま、いまは大株主として、オーナーの肩書です。それから2カ月後、現役の女性社員の実名ブログが投稿されました。「わたし加害者だったんじゃなかろうか」。その意表をつく告白は、セクハラ問題を記事にした自分のモヤモヤにも重なるものを感じました。どんな思いで書いたのか? 二宮朋子さん(ストライプインターナショナル社員)に会って話を聞きました。(朝日新聞経済部記者・藤崎麻里)
――なぜ発信しようと思ったのですか。
「管理職として何もできなかったということが大きいです。私は人事課長だったので、(採用のための)説明会で会社の良さとか、会社の未来とかを話してきました。それで入ってきてくれた人たち、研修で教育した人たち、『ダイバーシティーの活動しているから入社しました』っていう人たちの顔が浮かび、ここでだんまりはない、と思ったのです」
「私は直接の被害者ではありませんが、中の人間として違和感がありました。どちらかというと(見過ごしたという意味で)加害側だったかもしれない。そう思ったことを発信したいと。それはストライプで頑張ってくれてるメンバーたちへの思いでもありますし、(セクハラやジェンダーなどにかかわる発言で)無邪気に傷つけてくるような人たちに『自分も加害者かも』って気づいてほしい気持ちがあるからです」
――いち社員としての発信するのは怖くなかったですか。
「具体的に何をしたいということがあったわけではないのです。ただなんだろう、気持ちがあふれたというしかないのですが。過ぎたことや終わったことにするの? 一つの会社のことなの?っていう違和感を口にしたかったのが正直な思いでした」
「私自身、結婚後に雇い止めにあったことがあります。訴えることも考えましたが、訴えをおこすことで次の就職先が見つからなかったらと思ってやめました。そういうのが自分のなかで残っていたかもしれません」
「自分の傷を見えないように隠してまで何をしたいのだろう。気持ちにふたをしてまで得たいものってなんだろうって思ったんです。それよりはやっぱり自分の子どもに誇れる自分でありたいと思ったし、自分が5年後、10年後の自分を好きでいられるかだな、と。自分に誠実でいたいし、やっぱり関わった人に次会ったとき、目を見て話したいと思いました」
――なぜ社外で発信したのでしょうか。
「ストライプの問題としてなかったことにしたくない、世の中的に見えないものであって欲しくないっていう思いがありました。会社のことなんだから社内で解決するべきだという声もあると思います。でも虐待のように、閉じられたところで力が弱い方が犠牲になるっておかしいと思うのです」
――社内で事前に相談などはされなかったのですか。
「初稿の段階で、スタッフに『私こういう漫画をあげようと思うんだけど、これを見てみんなどうかな』と聞いてみました。スタッフが『私はモヤモヤを抱えて店舗にいるので、やっぱりこれを発信してくれるっていうこと自体が救われます』と言ってくれました。内容をもう少しリアルにしようかどうかとか迷ったんですけど、フラッシュバックを起こしてしまう人が出るのもいやだと思ったし、漫画はフィクションですし。中途半端かなとか思ったのですが、『発信すること自体に価値を感じますよ』って背中を押してくれたので」
――反響はありましたか。
「管理職で一緒にやってきた人たちには、自分もやっぱり加害者だったのかもしれないという自責の念を持っている人がいました。報道で初めて知ったという現役スタッフもいました。『会社が好きでブランドが好きで入って、あの報道だけで辞めたいなんて思ってないのにいつまでもちゃんと説明してもらえないのが苦しかった』といわれました。販売の私たちは使い捨てじゃないと思ってくれる人が一人でもいてくれて嬉しかった、と。それは本当に励まされましたね」
――一連の報道をどのように受け止めていましたか。
「怒ったというより、傷つきました。最初に入社した会社では女性だから契約社員、次は結婚で雇い止めにあいました。ストライプに入社したのは、ストライプの創業者が革新的な取り組みをしていて、女性の課長っていうのが当たり前にいて、正社員として、結婚や出産をへても帰ってきて働いているというのにすごく魅力を感じたからです。会社が好きだったから、ここにいることを黒歴史にはしたくなかった」
――フィクションとして描かれている漫画には、社長が女性社員のひじを触るといった描写も出てきます。
「私自身うまくかわすのが仕事のうちというのをすり込まれて、実行してきたところがあったので、麻痺していたかもしれないという自責の念があります。20代の女性からは『それが処世術だと信じてきたのに違うって気づかされました』と言われました。私も今の年齢になって、一部の男性からみたときに「可愛がってやる」というよりも、ときに「地位を脅かす相手」ともとれる立場になってきたためか、そういう対象にされづらくなって気づき始めたのかもしれません。もしくは子どもができて、同じ目にあってほしくないと思うからかもしれません」
――「すり込まれていた」という感覚を共有する女性は多いような気がします。
「うまくいなすこともできるんです。どちらかというと私は得意だったと思うんです。冗談のようにうまくかわしながら、何を言ったら相手が喜ぶかわかっていて、懐に入ってかわいがられた方が結果的にやりたいことができるっていう。手法としてできるし、やってきました。でも結局、かわしながらうまくやるって、一見問題解決のようで課題の先送り、次世代への押しつけでしかないなと思うようになりました」
「かつて女性は参政権もない時代から、文字通り血のにじむような努力で先輩たちが作ってきてくれた道に、まだ岩とか、つまずきやすい石ころとか残ってるのに、こういうのはうまく飛べばいいからって、次の世代に言うのってなんか違うなって。40歳を前にようやく思い始めたのです」
――どんな会社になっていってほしいと思いますか。
「私自身も(会社の広告戦略などに)『エシカル(倫理的)』を打ち出した一人です。背伸びかもしれないけれどそうありたいと思って努力するだろうという感覚でしたが、だいぶギャップがあったのは本当に残念です。ギャップを埋める努力を全力でしているようにも見えなくなってしまいました。お化粧ばかりうまくなって素肌が荒れている感じ。エシカルやSDGsとかダイバーシティーについて発信するなら、土台が誠実じゃないとダメだと改めて思いました」
「(ハラスメントを防ぐには)対話だなと思っています。毎回考えながら人とコミュニケーションをとり、根底から理解しようとすること。それがやっぱり信頼をつくるし、良い組織だったり、社会につながったりしていくのではないかと思うのです」
ストライプインターナショナルの今回の問題で、一人ひとりにつながる問題として浮かび上がったのは、二宮さんの言うように、ハラスメントの問題を自分ごととしてとらえられるか。そして、今もまだ存在するセクハラをめぐる認識の違いだったのではないでしょうか。
朝日新聞では問題を報じるとき、石川氏がSNSで被害女性を誘った言葉は掲載しましたが、女性側がときに前向きに返事したり、断ったりするやりとりは掲載しませんでした。
でも雑誌やテレビの中にはそのまま掲載したところもありました。わたしがモヤモヤしたのは、やりとりを見た人たちの受け止め方の違いでした。
女性たちの石川氏への返答を見て、性暴力被害に詳しい弁護士たちは「一生懸命あたりさわりない感じでなんとか返そうとしているが、(ぎりぎりで踏みとどまっていて)すごくよくできている」と評価していました。でも、中には「これは男性は誤解しちゃうかも」という声もありました。
たしかに誤解する、という気持ちはわかります。文字上ではそう読めるからです。一方で、思うのです。いわゆるパワハラをする社長と社員が、たとえば同性だった場合はどうか、と。
社長から勤務時間外に誘われた時、社員が「うれしいです!」「喜んで行きます!」と書いても、無理をしているのでは、と思うのではないでしょうか?
確かに見込まれたと感じ、うれしく思う人もいるかもしれない。でも社員側からは断りにくい関係性です。気を遣った文面に「がんばっているなぁ」と思うのでは?構造的には石川氏への返答と同じです。
また、セクハラ批判への反論として「男女の上司と部下が成り立たなくなる」とか「社内恋愛もダメになる」といった意見もありました。
そうやって「社内恋愛」がセクハラの隠れ蓑にされてしまうリスクがあることから、牟田和恵さんの「部長、その恋愛はセクハラです!」(集英社)は、断りづらい関係性が構造的にセクハラを生みやすいこと、恋愛からセクハラに転化するケースがあること、セクハラの概念も白黒はっきりしたものだけではなく、グレーゾーンもあるといったことなどを指摘しています。
海外や一部の日本のIT企業などでは社内恋愛を届け出にしたり、上司と部下の恋愛そのものを認めない規則を作っているケースもあるそうです。
では規制すればいいのか。わたしは今の時点で、議論がそのように収れんされることへのもやもやを感じています。
性別や上下関係などにかかわらず、そもそも相手を尊重したり、敬意(リスペクト)をもったりする関係性をはぐくんでいるのかということが、ルールなどがあってもなくても、もっと問われるべきだ、と考えるからです。
いわゆるパワハラをする上司については、部下の成長を本当に考えてしかってくれるのではなく、上司がみずからのストレス発散や支配欲などのためのように怒っているようだという問題が指摘されます。
同じように、相手の気持ちを汲み取るよりも、みずからの欲望が優先された時などに、セクハラが起きてしまうことが多いのではないでしょうか。
ハラスメントは、権力をもつ立場の人間が必ずしもモラルのある言動をとっていないからこそ起きる。そのことを認識しなければならないのでしょう。
国際労働機関(ILO)は2019年6月、仕事上の暴力やハラスメントを禁じる初の国際基準となる条約を採択しました。パワハラもセクハラも同じようにハラスメントとして、統一的な基準で禁止しています。
それでも取材をしていて感じるのは、パワハラに比べ、セクハラは理解されづらいという現実です。労働問題に詳しい中村優介弁護士がまず、挙げたのが「男尊女卑」の残る日本の社会風土です。
「本来は、具体的な言動が伴うことが多いセクハラよりも、パワハラの方が『仕事外し』や強く言われたなど、より抽象的で立証が難しい問題をはらんでいます。それでもセクハラに特有の難しさがあるのは、男尊女卑的な社会風土が根強いことにあるのではないかと思います」
その上で中村弁護士は、法定刑としてセクハラの罪の重さを指摘します。
「パワハラやセクハラが発展して刑法犯になることもありえます。でも(いわゆるパワハラからの)暴行や傷害よりも(セクハラ由来の)強姦の方が法定刑が重いです」
「法律だけではなく、社会学的、また心理学的な側面からの理解も必要になるのも、セクハラが理解されにくい特徴なのかもしれません。たとえば、(本来は強姦のような性暴力であっても)性行為の翌日に迎合的なメールをしている場合もあり、同意しているかのように見えてしまうことがあります。(でもそうせざるを得ない心理におかれている被害者の状況もあり)心理学的な理解も必要になります。その理解は、裁判官の間でも十分に浸透しているとは言えません」
二宮さんはハラスメントを見過ごしたことで、「加害者だったかもしれない」と言いました。誰でも、加害者の側に立つことはありえます。管理職ではない一記者で、女性であるわたしも同じです。
すでにハラスメントの加害者なのかもしれないし、今後なってしまうかもしれない。そんな意識を持ち続けられるかどうかが問われていると感じています。
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