連載
#1 #カミサマに満ちたセカイ
「ブラック企業なんて、甘いですね」カルト教団、2世信者が抱える闇
主に新興宗教団体を指す言葉として、社会になじんできた「カルト」。近年は、いわゆる「ブラック企業」など、支配的な傾向が強い組織の説明にも、たびたび用いられます。「カルトの実態はね、それほど甘いものではないですよ」。とある社会心理学者は、そう釘を刺します。自分や大切な人々が、その活動に巻き込まれないために、必要な情報とは? 集団の本質を見抜くヒントとなる、「四つのチェック項目」について語ってもらいました。(編集・構成=withnews編集部・神戸郁人)
カルト教団には、ごく一般的な世界に生きてきた人を、いつの間にか「信者」として取り込むという側面があります。
その一方で、「人生の悩みを解決したい」という思いが、人々を「入信」に駆り立てている面も否めません。自分らしい生き方を望む心情と、カルトとの距離感を、どのように捉えればよいのでしょうか?
ーー「カルト」とは、そもそもどのような意味なのでしょうか
「崇拝」とか「儀礼」とかいった意味のラテン語が起源です。日本で「カルト」と言うと、比較的小規模な新興教団を示すことが多いですね。実は元々、部族的で小さな宗教を指していたと思われ、ネガティブなイメージはありませんでした。
いわゆるカルト的な組織は、強制的・威圧的な支配体制を持つ、「ハイコントロールグループ」や「ハイディマンドグループ」とも呼ばれます。たとえ宗教的要素がなくても、「こっそり人権を侵害する団体」という条件を満たせば、ここに分類することが出来るんです。
ーー西田さんは、「オウム真理教」による無差別テロ事件後、事件関与者の心理鑑定を担当されました。自著や論文では同教団を、個人の救済などを説きつつも、実際には反社会性が強い「破壊的カルト」と呼んでいますね
「カルト」の元来の意味を踏まえた対応です。でも、該当するケースはまれですよ。大抵の場合、組織外に対し閉じていて、メンバーにのみ虐待などを行っている。「指導」と称し子どもを暴行したり、信者同士の結婚しか許さなかったり、といった行為が該当します。
もちろん最終的に、近隣住民とのいざこざなど、実社会との間にあつれきを生むこともあります。しかしオウムほどの形で、その危険性が顕在化するのは、珍しいですね。
ーーカルトを見分けるには、どんな点を意識すべきなのでしょうか
私自身の定義で言えば、以下の四つが挙げられます。
①全体主義的なアイデンティティがある
②組織内の指導者や教義に対し、絶対服従することを求める
③訴訟を起こすなどして、組織内外からの批判を封鎖する
④メンバーの私生活を剝奪(はくだつ)する
(結婚・性的行動なども含む)
これらのうち、一部でも満たしている集団とは、距離を置いた方がいいと思います。
ーー強権的な会社や集団を、一般に「カルト的」と表現することがあります
実際は全く違いますよ。受け持っている大学の講義で、学生に対し、先の4条件に関する調査を行ったことがあります。かつて所属していた部活などの団体を、「家族や友人より集団を優先させるか」といった51の設問により、一致度を評価する内容です。
各問5点満点で、合計すると最小値が51点、最大値が255点となります。学生の場合、平均で70点くらい。一般企業従事者にも実施したのですが、高くても100点程度でした。
しかし、著名なカルト教団の元信者となると、事情が変わります。かなりの人達が、200点前後を記録したんです。よく「うちの会社、ブラックでカルトっぽいよね」などと言われますが、甘いですね。彼らは、一般の人たちが想像もできないような体験をしています。
ーーそもそも、なぜカルト的な組織に、魅力を感じる人がいるのでしょうか
組織側が、集団の本質を隠した上で、勧誘しているからです。「癒やされる」「あなたの悩みが全て説明出来る」。メンバーたちは、そういった文句を口にします。生きづらさを感じている人なら、ついだまされてしまうのも自然でしょう。
貧困などの困難に直面したり、初めての一人暮らしで、不安を感じたりしている人は大勢いますよね。心細いときに「一緒に人生の答えを学びましょう」などと言われたら、好奇心から応じてしまうのも、無理ないことです。
ーー入ってしまうと、何年間も抜け出せなくなるというケースが多いですね
オウムが分かりやすいのですが、彼らは「やがて世界大戦が起こる」と説いていました。教団を「避難所」と見せかけて、注目を集めたわけです。そういった「理想の世界」を用意してくれる人達の言葉には、安心感があるんですね。
また多くの人々は、組織のメンバーになる際、それまでの人間関係を断ち切ります。辞めてしまうと、友達もいなくなり、戻るところがなくなってしまう。それが怖くて、身を引けないということもあります。
ーー親がカルト教団に属し、自らもメンバーである「2世信者」の存在が注目されています。信者としての日々を手記や漫画にまとめ、「告発本」として世に出す人も少なくありません。そうした動きは、近年特に盛んです
その通りだと思います。ざっくり言えば、ネットが普及し、誰も情報を発信出来る時代になったことが大きいでしょう。
文章や絵がうまい人たちの作品が、ブログなどで投稿されれば、出版関係者の目に触れることもあります。これまでは、脱会者の仲間としか経験を共有することしかできなかった。当事者にとっては、大きな変化です。
また2世信者の多くは成長し、大人になっています。組織への疑問について、自分の言葉で語れる年齢になったという側面もあります。
ーー2世信者について考えるとき、親の存在が問題になりますね。中には人生に悩んだ末、カルト教団の門をたたく人もいます
宗教に頼ること自体、全く問題ありません。しかしカルト教団は、組織の信奉する価値観以外を全否定するわけです。1世信者である親は、その考え方を、そのまま子どもに教え込んでしまう。これでは、やはりまずい、という話になりますよね。
教団の中には、知人の誕生日会への参加を禁じるところがあるんです。子どもにとっては、非常につらい。また、伝道活動に専念するため、わが子の進学を許さない親もいます。カルトを巡る諸問題は、子どもの人権に関わるものと言えます。
ーー告発本は、被害を明らかにする機能を担っているわけですね
そう思います。本音を言えば、心ならず信者となった子どもも、包摂できる社会であって欲しい。彼らに罪はないですから。読者のすぐそばに、告発本の登場人物と、似たような存在がいるかもしれない。そう呼びかけるものでもありますよね。
私が担当している講義に以前、2世信者の学生が顔を出しました。「私って、おかしく見えますか?」。授業後、そう尋ねられたこともあります。消化しきれない、親や組織への思いについて、語る言葉が欲しかったのでしょう。
社会の側と2世信者の間に溝をつくらないこと。その必要性は、当事者が声を上げ始めている今、ますます高まっていると感じます。これから告発本が果たす役割は、大きいのではないでしょうか。
心の隙間を満たそうと、「カミサマ」に頼る人たちは少なくありません。インターネットやSNSが発達した現代において、その定義はどう広がっているのでしょうか。カルト、スピリチュアル、アイドル……。「寄る辺なさ」を抱く人々の受け皿として機能する、様々な"宗教"の姿に迫ります。
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