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芸人が「社会問題」発信 せやろがいおじさんが目指す「ネット議論」
平成の初めの頃は、インターネットが新しい言論空間を作ると期待されていました。ところが、今、ネット上で飛び交うのは炎上の嵐。結局、ネットは社会を分断しているのではないか……と思っていた時、出会ったのが芸人の「せやろがいおじさん」でした。沖縄の海を背景に赤いふんどしで叫ぶ、あの人です。「批判は3つに分けられます」。自分を攻撃する言葉ともしなやかに付き合う、せやろがいおじさんの活動から、ネットで自らの意見を主張することの可能性について考えてみました。
記者11年目の私は、4年半ほど前から実名・顔出しで記者ツイッターを使っています。
ニュースについて感想を言ったり、会見場から実況中継ツイートをしたり。ただ、自分の意見を書くときは、かなり慎重になります。正直、つぶやく前に何度か読み返すことも。
誰かを傷付けるようなツイートではないか、内容に誤りはないか。そんなことを考えていると、誰も反応しないよな、という味気ないツイートに……もちろん反応も基本薄いです、はい。
そんな私にとって、せやろがいおじさんの動画は、新鮮な驚きがありました。
「お~い」とコミカルな呼びかけから始まる動画では、外国人技能実習制度や教員の労働環境などの硬派な時事問題に対して、そうした問題から一見すると縁遠そうな芸人という立場から、自分の意見を大声で叫びます。活動拠点にしている沖縄の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画や昨秋の沖縄知事選についても、自らの言葉で語っています。
歯にきぬ着せぬ主張に圧倒されがちですが、私が注目したのは動画に誤りがあったときの柔軟な対応と謙虚な姿勢です。
例えば昨年9月に配信した「東京オリンピックのエゲツないボランティア募集について」という動画。
当初、宿泊費・交通費が自腹だった東京五輪ボランティアの募集要項を「奴隷急募のお知らせ」と批判。その上で、そうした予算計画を作った「お偉いさん方も給料もらいませんよね?」と指摘しました。
翌10月に「続編」として別の動画を配信します。その中で「前の動画でお前らも無給で働け!的なことを言うてもうたけど、アレはちょっと俺も言いすぎた。ゴメン!」と謝りました。これについてせやろがいおじさんに聞いたところ、動画に対して「働いた分はもらっていいと思うけど」というコメントがあり、確かに「無給で働け」よりも「みんな適正な額をもらおう」のほうがメッセージとして建設的だと思った、と言います。
1本目の動画についたコメントを見ると、好意的なものがほとんどでした。それでもそうしたコメントの数ではなく、自分が採り入れるべきだと考えた意見に対して、せやろがいおじさんは、想像以上に謙虚な気持ちで向き合っていました。
今月に配信した競泳の池江璃花子選手が白血病と診断されたことを受けて、白血病患者のためにどんなことができるかを主張した動画でも、間違いの指摘を受けたとして、修正した動画を再アップしています。
動画をアドリブで作っている、とよく勘違いされるそうなのですが、実は、1本の動画で話す内容を考えるのに数時間かけています。
「僕の情報が間違っていて、その動画が拡散され、結局デマの発信源になるのは避けたいし、僕の考えが偏っていて、差別を助長するようなことになったらすごく嫌だなと思っている」
原稿を書いているときも、動画を撮影しているときも、自分の意見について自問自答。撮影後にやはりおかしいとお蔵入りにしたものもあるそうです。
「最低限の下調べはします。でも『こいつの言っていること、矛盾あるな』と指摘されるのはしかたがないし、僕の意見が全て正しいということではないので、僕も勉強しながらという気持ちでやっていますね」
ツイッターで動画の内容の間違いを指摘されることもありますが、誤りがある場合は素直に認め、「今後も勉強しながら発信する様努めますので、今後ともご指摘&お付き合い宜しくお願いします」などとツイートをしています。
自分への批判に対して論破しようという人が多い、ネットの世界において、かなり珍しい対応です。
「批判されたら、ウッとなりますよ、ウッって」と笑顔を浮かべつつ、せやろがいおじさんなりの批判との向き合い方について教えてくれました。
「批判は3つに分けられます」
「ただ、文句を言いたいだけの人、本当に僕の間違いを指摘してくれる人、指摘してくれるけど汚い言葉の人、この3つです」
「それを仕分けし、ただ悪口を言いたいだけの人は完全にスルーで気にしない。指摘してくれる人に対しては間違っていました、と謝ることもあります」
「3つ目の汚い言葉で指摘する層が一番敵というか、敵というと言い方は悪いのですが、戦う存在という感じで。いろんな批判を仕分けしながらやっています」
一つ一つの批判を冷静に見極めて対応するせやろがいおじさん。「ネット上のコメントはすべて罵詈雑言」と、ひとくくりにするのではなく、正しい指摘を素直に受け入れ、柔軟に自分の意見を変えていき、さらに議論を深めていく謙虚な姿勢が見て取れます。
そんな姿に、ネット上での議論の深め方のヒントがあるように感じました。
一方で、そもそも芸人が社会問題をなぜ語るのか、と聞かれることも多く、本人の中にも迷いがあったそうです。
「漫才コントは笑いの力で、純粋に笑いだけを目的としてやっている。でも難しい話題を取っつきやすくする手段として、笑いを使うのも、笑いの力です。ただ、笑いを目的としたコント漫才も続けていく。そこはみんなに見てほしい」
同時に、今では芸人が語るからこその可能性を感じていると言います。
「せやろがいおじさんをやるようになり、いろんな人と出会いました。僕の動画で笑いながら、そのことを知れたとか、笑って言ってくれてすっきりしたとか。LGBTのことを言ったときは、生きづらさが解消されました、という意見をいっぱいもらいました」
「こういう新しく出会った人の期待に応えられるように、せやろがいおじさんとして今やっていることも取り組んでいきたいなと思い、なんとか自分の中で折り合いをつけています」
せやろがいおじさんへの取材は朝日新聞本社で行いました。
せっかくなら取材だけでなく、いまのメディア業界をいつものあの調子で一刀両断してもらいたい。そう思い、おそるおそる相談したところ、快く引き受けてくれました。
いったいどんな斬り方をしてくれるのかと思っていたら……オフィスを走り回って大声で叫び、仕事中の記者にちょっかい出し、寒空の屋上で思いっきり跳びはねる。いつもの動画そのままの「暴れっぷり」でした。
撮影の合間に自身のスマホを何度ものぞき込む姿がありました。そこには数時間かけて書いたという今回の原稿がありました。冷静な頭で考えた原稿に、熱い思い込めて叫ぶせやろがいおじさんの活動の一端に触れ、周りの意見に耳を傾けながら、日ごろ思ったこと、感じたことを構えすぎずに発信していこうと思いました。
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