連載
#51 平成家族
「一家だんらんの食卓は幻想」 社内の声で一新したイオンのCM
専業主婦が料理を作り、家族みんなで夕食を囲む「サザエさん」のような一家だんらん風景。スーパーの品ぞろえも、テレビCMも、そんな一家だんらんを前提に考える時代が長く続きました。ところが平成になってまもない1992(平成4)年には専業主婦と共働きの世帯数が初めて逆転し、世の中のニーズは、手間をかけてつくる料理よりも、忙しいなかで短時間で準備できる総菜や冷凍食品へと急速にシフト。大手のスーパーやコンビニエンスストアの担当者も近年、「だんらん」だけではない食卓のかたちを意識した発信を模索しています。(朝日新聞記者・長橋亮文)
流通大手イオンリテールは平日の午後4~8時でも総菜や生鮮食品の品ぞろえを充実させる「夜市」の新CMをこの夏から始めました。
仕事帰りの母親が娘の手を引いて、メンチカツを手に取る。家で食卓に並べれば娘も夫もにっこり笑顔。仕事を終えてイオンに立ち寄り、レンジでチンするだけのカレーを買って自宅で食べるサラリーマンなども描かれています。
このCMを仕掛けたのは、マーケティング部の長真樹子さん(39)。人事畑を長く歩んできて、今後も人事のキャリアを希望していましたが、「新たな風を吹かせて違った視点から変えてほしい」と今年3月、上司にCM戦略などを担うマーケティング部への異動を告げられました。
「人材育成や人事のキャリアで学んできたことをいかせるのか不安でしたが、新しい環境で挑戦してみようという気持ちが大きかった」と長さんは振り返ります。
長さんにとって、イオンのCMで強く印象に残っていたのは「20日、30日、5%オフ」といった「安さ」を訴えるもの。そのうえで、「自社のプライベートブランドの品質の良さやコンセプトをもっと伝えたらいいのに……」と思いをめぐらせていました。イオンの食を中心としたブランドを一から見直し、CMでの発信方法を変えてみることにしました。
それまでのCMは一家だんらんの様子が中心でした。「ファミリーを追いかければいい」(広報)という考え方で、長さんにも最初は違和感はありませんでした。
異動から1カ月後、社内の働く女性や育児に携わる男性、独身女性などが集まってプロジェクトが立ち上がりました。そこで聞いた社員たちの声は、長さんにとって意外なものでした。
「家族だんらんの食卓は幻想。押しつけがましく感じられる」
「がんばっているのに、もっとがんばれというのか」
なかには一家だんらんのシーンを好意的に見ていたメンバーもいましたが、イオンがそれまで想定していた家族像は幻想だと気づきました。「人々のライフスタイルの多様化が前から進んでいるのに、それに対応したCMを打てていませんでした」
長さんの周りだけでも、独身で外食やコンビニ弁当を頼りにする友人や、専業主婦で子ども3人と夫で食卓を囲む友人など、さまざまな食卓のかたちがあります。高齢の夫婦は、単身赴任の男性は……。イオンのCMには多様なライフスタイルを送る人々が登場します。
「いろいろな登場人物を出して、その人にあった食を提案しています」と、長さんは話します。
変わったのはCMだけではありません。売り場も大きく変わっています。
イオンは、「夜市」を始める前は売れ残りを出さないように午後6時までには総菜などを売り切ることを優先させていました。主な客層が専業主婦だったからです。
しかし、夜間の品ぞろえを充実させた夜市では、「夕食時」を過ぎてからも、子どもを抱いた会社帰りの人たちや単身者が売り場で品定めをしています。
会社員の女性(33)は、2歳の女の子を抱いて午後7時半ごろ千葉県内のイオンを訪れました。共働きで、夫(34)は9時ごろ帰宅するので、女性は一人で家事を済ませます。
結婚前は総菜を買うことはありませんでした。しかし、子どもをお風呂に入れて食事をさせて午後9時までに寝かせるためにとにかく時間がありません。平日に凝った料理をする手間はなく、夫婦で食べる分は総菜を買うようになりました。「なるべく手作りしたいけど、忙しいときには楽になります」と言います。
コンビニもまた、家族のかたちの多様化に合わせた品ぞろえの工夫を凝らしています。
ファミリーマートは、総菜と冷凍食品のブランド「お母さん食堂」を展開しています。コンセプトは「仕事と子育ての両立で忙しいお母さんが、子どもや家族に安心して食べさせられる食事」。食品の栄養面を気にする消費者もいますが、「塩分を抑えたり、カロリーを低く設定したりして調整している」と開発に携わったファミリーマートの菊地祐子さん(53)は説明します。
売れ筋は、大きな骨を取り除いた「銀鮭の塩焼き」や「さばの塩焼き」です。市場調査では、健康志向の高まりから魚を食べたいと思う人は多いものの、家で調理するとグリルが汚れる、骨があって食べにくい、といった声がありました。高齢者でも手に取る人が増えているそうです。
菊地さんの母は専業主婦でした。母は料理が特別好きではありませんでしたが、手作りの料理が毎日の食卓に並んでいました。
夕方になれば近所からも夕飯を作るにおいがしてきます。家族みんなでぎょうざや煮物を作るなど「家族だんらんの典型的な食風景でしたね」と振り返ります。
そんな両親も今では「コンビニの中華弁当もおいしいね」と話します。コンビニのおにぎりやサンドイッチも食べているそうです。
「手作りしたい人は作ればいいと思います。それぞれに合った食品が使える時代ではないでしょうか」と菊地さんは考えます。
日本惣菜協会の調査では、2017年に総菜や弁当の「中食」の市場規模は初めて10兆円を超えました。専業主婦世帯が減り、共働き世帯が増えていることが背景にあるようです。
一方で、平成の時代に中食市場が伸びた要因を、別の視点から指摘する専門家もいます。
大正大学客員教授の岩村暢子さんは「すでに女性の社会進出では説明できません。専業主婦も積極的に総菜を使います」と指摘します。
日清食品のチキンラーメンが普及した1960年は「インスタント元年」といわれます。この年以降に生まれた人たちは、家庭の食卓にインスタントやレトルト、冷凍食品が上がる時代に育ち、そうした食品に抵抗がないといいます。
「インスタント元年」以降に生まれた人が親になり、結婚し家庭を持ち始めたのが平成元年(1989年)ごろ。平成の終わりには、その人たちの子育てが一段落します。
「この30年に家庭食が変わらざるをえないのは当然です。食べたいものを大量なバリエーションの中から選び取れたり、自分が作るよりももっとおいしいものが手に入ったりする。中食は食卓を豊かにするための1アイテムですから、今後も市場は成長するでしょう」と、岩村さんは話します。
夫から「所有物」のように扱われる「嫁」、手抜きのない「豊かな食卓」の重圧に苦しむ女性、「イクメン」の一方で仕事仲間に負担をかけていることに悩む男性――。昭和の制度や慣習が色濃く残る中、現実とのギャップにもがく平成の家族の姿を朝日新聞取材班が描きました。
朝日新聞生活面で2018年に連載した「家族って」と、ヤフーニュースと連携しwithnewsで配信した「平成家族」を、「単身社会」「食」「働き方」「産む」「ポスト平成」の5章に再編。親同士がお見合いする「代理婚活」、専業主婦の不安、「産まない自分」への葛藤などもテーマにしています。
税抜き1400円。全国の書店などで購入可能です。
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