話題
さんからの取材リクエスト
西日本豪雨からまもなく1カ月、被災地はいまどうなっているの?
ツイッターでSOS、豪雨被災地「人来ない」ボランティアの現実
話題
西日本豪雨からまもなく1カ月、被災地はいまどうなっているの?
西日本豪雨で甚大な被害を受けた被災地。東日本大震災直後から岩手県大槌町に下宿、熊本地震後も熊本県南阿蘇村に下宿するなど、各地の被災地のいまを取材し続けている朝日新聞編集委員の東野真和記者が、広島県で「半ボラ(ンティア)半取材」の1週間を送りました。各地から集まってきた馴染みの仲間たちと住民が、日常を取り戻すべく格闘していました。
酸っぱい異臭のする土砂に、流木の根がからんでスコップが入らない。10分作業すると同じだけ休まないと体が熱射病でやられてしまう。それでも2時間が限度。その間、ペットボトルの水を2リットル飲む。
西日本を襲った豪雨災害で、民家に入った土砂を出すボランティアはこんな調子だ。
54歳の私より若い人たちも同様に肩で息をする。
「とにかく大変なんですよ。来てください」
友人「おいちゃん」(66)は、電話の向こうで疲れ切っていた。
おいちゃんが広島県坂町小屋浦4丁目で町社協ボランティアセンターのサテライト(地域の拠点)を立ち上げたとSNSで見て、私が連絡してみたのだが、あの元気な人がそこまで言うとは。
おいちゃんとは、私が東日本大震災直後から駐在していた岩手県大槌町で出会ったボランティアの1人だ。広島市で生まれ育ち、お好み焼き屋さんを経営している。毎年、お金を貯め、夏場は大槌町など東北の被災地でお好み焼きを振る舞って回るが、今年は地元で災害が起きた。
ひげ面で長い髪を後で束ね、まるで戦国武将のような顔つき、広島カープと同じ赤シャツに赤長靴、モンペ姿というおじさんだ。
別用で中国地方に出張した合間の7月19日に現地に向かう。
午前7時に広島市内を出るが、大渋滞。
3ルートある坂町への道が、通行止めで国道31号1本しか通れず、そこに通勤の車と緊急車両が数珠つなぎになっている。
30分以内で着く所を3時間かけて、小屋浦の大型日用品店の前にたどりつく。屋上駐車場がボランティアのために開放されていた。
そこからさらに歩いて10分。やっとサテライトに着いた。
ここは、ボランティア活動の拠点になる社会福祉協議会の「小屋浦ボランティアセンター」(通称ボラセン)のサテライトだ。被災がひどい所に通常設置される。
今回は、おいちゃんがまず拠点を作り、それをボラセンの組織に組み込んでもらうことで、スムーズに設置できたという。
サテライトがある4丁目は全160戸ほど。大半の家に土砂が入っているが、この日のボランティアは責任者のおいちゃん以外、3人しかいなかった。
土日は100人以上来たが、平日はそんなものなんだそうだ。私も経験したあの渋滞のせいだとおいちゃんは言う。
「来るのにこれだけ時間がかかっているんだから、もっと行きやすい所に行くよ」
大型店の駐車場がなかったら、駐車スペースさえない。おいちゃんも広島市内を午前5時半に出ても車で2時間近くかかって来る。
おいちゃんのアイデアで、地元の釣り船の組合長に頼んで、渋滞する部分を海から入れるようにしたが、周知できなかったのか利用者は数人で、打ち切った。
盛岡市から来た40歳代の女性と2人で、ほぼ手つかずの民家に行き、あいさつすると、一人暮らしの75歳のおばあさんが迎えてくれた。「やっと来てくれた。これで安心だ」
そう言われても、1階全部と窓の外が土砂で埋まっている状態。非力な2人でできることはわずかだ。しかも最初に書いた通り、掘りにくい。
おばあさんの長女も参加して4人で夕方までやっても、1畳分がやっとだった。
仏壇の横の高い所には、難を逃れた夫の遺影が。
1月に病気が急変して亡くなったそうだ。「何で次々と不幸なことが」。おばあさんは力なく笑った。
午後3時、くたくたになり、無力感を感じながら作業終了。こりゃ、また来なくては。
仕事でいったん広島を離れた。23日前夜は、小屋浦から最も近い宿である坂町のスーパー銭湯に泊まる。
ボランティアは料金が割引になる。朝7時、おいちゃんに車で迎えに来てもらう。
この日も途中まで、サテライトに来たボランティアは「おいちゃん」の知りあい3人だけだったので、取材よりボランティアを優先させる。
午後、30代の女性が来た。広島市内のパン屋店員で、小学生以下の子供2人を置いて来た。「市内はたくさんボランティアが来てるので、足りなさそうな所だと思ってきた」と言う。
おいちゃんが自腹でリースした小型の重機を、建設関係の仕事をする知人が操縦する。
路地が狭くて重機が入らない所はマンパワーで重機のショベルまで土砂を運んでいく。
かつて大槌町にボランティアで来ていた男性ともばったり会う。
この「業界」、結構狭い。
そんな合間、4丁目を3地区に分けて担当するそれぞれの町内会長さんにあいさつする。その中心となっている第1町内会長の灘増男さん(68)は元町教育長なので面倒見がいい。
自宅は運良く土石流の被害を受けなかったわずかな家の一軒。「申し訳なくて。せめてみんなのために動いている」
ボランティアをどの家に入れるかは、土砂の程度や、自力で作業する若い人が家族にいるかなどを考慮して3人で相談して決めるが、ボランティアが足りないので住民の不満はどうしてもたまる。
会長の一人の携帯電話が鳴る。
「うちの家を見捨てる気か」
会長は「直接話さないとわかってくれないから」と、声の主がいる小学校の避難所に下りていった。
先ほどのボランティアの足りない場所は坂町「小屋浦」4丁目、です。失礼しました。小屋浦は、本当にボランティア少ないです。よろしくお願いします。
— 朝日新聞南阿蘇駐在(前大槌駐在)東野真和 (@otutichuzai) 2018年7月23日
小屋浦地区全体のボランティアセンターは、夏休み中の小学校にある。避難所にもなっている。新学期になるとどうなるんだろう。
被災から半月経ち、連日の暑さと終わらない片付けで、センターにある救護室には、体調を崩したお年寄りが列を作る。
小屋浦地区の高齢化率は40%を超え、独居も多い。4丁目はさらにその傾向が強い。
被災した独居女性が、広島市内の長女と様子を見に来た。長女宅に身を寄せているが、引きこもりがちになり「帰りたい」と泣いている。
「心配だし、修繕費を考えるとこのまま一緒に暮らしたほうがいいんだけど」と。そんな悩みは多くの家が抱えている。
私はボランティア作業中に手帳を落としてしまい、必死で捜すが見つからず。来週以降の予定がおぼろげにしかわからない。約束をすっぽかしたらすみません。
きょうも広島県坂町小屋浦4丁目。きょうも個人的なつてなどで数人が来ただけ。人が足りない。ボランティアセンターの診療室には、朝から疲労のたまった住民たちが並んでいます。 pic.twitter.com/K38pmHo4Ol
— 朝日新聞南阿蘇駐在(前大槌駐在)東野真和 (@otutichuzai) 2018年7月24日
おいちゃんが「ボランティアが来やすいように受け付けを正午まで延ばした」とフェイスブックにあげた。
私もツイッターでつぶやくと、それを見たという専門学校生が昼ごろ2人訪ねてきてくれた。
午前10時をすぎると渋滞も緩和されるので、そこから家を出て半日活動をするというコースがあると知ると、もっと来るかもしれない。
広島県坂町小屋浦のボランティアセンターは、渋滞を避けるため正午(渋滞続きなら13時)までボランティア受付。15時終了。10時以降渋滞は緩和されるそうです。付近のナフコ2階に駐車可。徒歩10分。問い合わせは佐渡さん(090ー4252ー5174)
— 朝日新聞南阿蘇駐在(前大槌駐在)東野真和 (@otutichuzai) 2018年7月24日
私も午後から、19日に最初に入った一人暮らしのおばあさん宅に。週末に10人前後のボランティアが来て、あとは4畳半ほどの1室を残すのみとなったが、土砂が粘土のように固くなり、以前にもましてはかどらない。
今日は、長男も仕事を休んで参加。おばあさんは、慣れた手つきで小さな鍬を操り、土を掘る。実家は農家で子供の頃から手伝っていたのだそうだ。
「これだけみなさんに土砂を出してもらっても、補修代を考えると、解体したほうがいいのか判断がつかない」
町営住宅の空室を被災者の仮住まいにする抽選会があった。U・Iターンのためにリフォームしたが、ほとんど応募がなく空室ばかりだったことが皮肉にも役立った。
夕方、災害救助犬を連れた警察官が川沿いに上って行くのを見た。4丁目で9人が遺体で見つかったが、女性1人が行方不明のままだ。
「おいちゃん」のつてばかりだが20人近いボランティアが来たので、私は取材以外の時間、主にサテライトの「店番」。
住民に土囊袋を渡したり、訪ねて来た他社の記者に町内会長を紹介したり。
昼休みに第1町内会長の灘増男さんに頼んで、天地川にある明治40年(1907年)の水害の石碑を見に連れて行ってもらう。
46人が亡くなる惨事で、碑には犠牲者の名と、復興支援への感謝が刻まれていた。
町によると水害はたびたび起きていて、1950年に石を積んだ堰堤(ダム)を上流に造ったが、老朽化しさらに上流に4倍の能力を持つダムを建設中だったという。
広島県坂町小屋浦4丁目。きょうは、熊本地震で被災した南阿蘇村からご夫婦が来てくださいました。おやっさんこと、ロハス南阿蘇の井出さんも復帰。プロボノ部隊も活動しました。 pic.twitter.com/9ORCYVHmsw
— 朝日新聞南阿蘇駐在(前大槌駐在)東野真和 (@otutichuzai) 2018年7月26日
サテライトの向かいの木の下に「プロボノ(専門技術を生かしたボランティア)ベース」と手書きの看板が。
熊本地震で被災した南阿蘇村の「おやっさん」こと井出順二さん(45)が率いる「ロハス南阿蘇たすけあい」が陣取っている。
地震後にできた集団で、「災害があったら24時間以内に重機を持ってかけつける」というのがモットーで、高圧ショベルなどなんと20台を保有。
まるで土木業者だ。
昨年の九州北部豪雨や6月の大阪地震にも支援に行った。
今回は、岡山県倉敷市で活動を始めていたのを、「おいちゃん」の頼みで小屋浦に。
ほかにも広島県三原市をあわせ3カ所で作業しているので、おやっさんはしばらく姿を見なかったが、この日はサテライトに姿を見せた。私も南阿蘇村に2年間駐在していた時に何度か取材をしたことがあった。
メンバー7人は、熊本地震後、全国各地から移住して来た人たちで、うち6人が重機を操る。
床下の消毒や、屋根の修理などのプロも参加し、被災者にとっては神様のような存在。
ただ「地元業者の仕事を取ってまですべきことではないので、一定の時期がくれば撤収する」。
おやっさんの妻や生後4カ月の娘も帯同している。どうやって生計を立てているのかを聞くと、不動産収入と、村民の支援体制があるのだという。
午後、サテライトに郵便やさんが来る。20日ぶりに配達を再開したのだ。町内会長にたまった郵便物をどっさり渡した。
住民は日中土砂撤去のために戻っているが、夜は親類宅や避難所に戻る人がほとんどだ。
断水も続いていて、井戸水が出ている家は「ご自由にお使いください」と立て札が。
29日に給水を再開すると、住み始める人も増えるのではないか。
土日は、道路渋滞が緩和される。
車で広島市内から1時間弱で着いた。広島県坂町小屋浦4丁目に来たボランティアは、午前中だけの人もいたが100人を超えた。
その中に、4年前の広島市の豪雨災害で母を失った男性も自分のスコップを持って来ていた。
現地でお好み焼きを振る舞うボランティアをしていた「おいちゃん」と知り合ったのがきっかけで「全国から支援してくれた恩返しに」とボランティアを続けている。熊本地震の時にもおいちゃんに託して遺族に見舞金と慰問の手紙を送った。
小学生の女の子も3人来た。1人は横浜から母親に連れられて。あと2人は、5日前に来たパン屋の女性が連れてきた5年と1年の女の子。
女の子たちが土砂撤去をした家は、町議会議長の事務所。議長は「早く直して、ボランティアを泊めてあげたいんよ」と言う。
日曜日の明日も、せっかく多くのボランティアが見込めるのに、台風が直撃する予報。
しかも、満潮の時間帯と重なり、この日の夕方には早々と避難勧告が発令され、29、30日はボランティアセンターが閉鎖されることになった。
広島湾の花火大会も中止になった。
おいちゃんは地元の海運会社からフェリーをチャーターして、子供たちに船上からその花火を見せようと企画していた。海運会社も無償提供することになっていた。
先ほどのパン屋の女性は、「乗船チケット」を手作りし、おいちゃんが毎年お好み焼きを振る舞いに行く岩手県大槌町から大量に届いたお菓子を袋詰めして、子供たちに渡すはずだった。残念だがやむを得ない。
広島の花火大会が台風の影響で中止になり、被災地の子供たちをフェリーに載せて海上から見るというイベントが中止に。招待した海運会社もがっかりですが、こんなチケットを作ってくれたボランティアも残念。 pic.twitter.com/SYIeqGcQpZ
— 朝日新聞南阿蘇駐在(前大槌駐在)東野真和 (@otutichuzai) 2018年7月28日
私もひとまず引き揚げることにした。
おいちゃんの、ぼろぼろの軽ワゴンで、広島駅まで送ってもらう途中、おいちゃんの休業中のお好み焼き屋立ち寄ると、店中、支援物資でいっぱいだった。
東日本大震災をきっかけに、毎年夏場は1カ月以上店を休み、東北でお好み焼きを振る舞うボランティアを続けるうちに知り合った人たちからの「恩返し」の物資だ。
今年は東北行きを中止して、そのためにためたお金で、作業の資機材を調達したが、それも底をついてきた。それと持病の左腕痛が悪化して、来月中には手術しなくてはならない。サテライトを引き継ぐ人がいなければ、まだニーズがあるのに閉鎖しなければならないかもしれない。
おいちゃんがチャーターしようとしたフェリー船は、広島県の社協が「ボランティア船」として広島港から無料運航することになりそうだ。当面、交通渋滞は緩和されそうもないが、海からのルートがあればボランティアは来やすくなるだろう。
主要駅からはボランティアバスなども運行されている。詳しくは広島県社協に問い合わせて頂きたい。
小屋浦のおいちゃんの電話はこちら(090-4282-5174)。
小屋浦に限らず、土砂撤去にめどがつかない家はまだたくさんある。土砂の次は掃除、地域の再生と、ボランティアは長期的に必要だ。
今度行った時は取材に専念できるような状態になっていてほしい。
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