連載
#43 平成家族
不妊治療、「卒業」選んでも…… 「夫婦2人で生きる」尊重して
子どもが欲しくて不妊治療を長年続けたけれど、かなわなかった。夫婦2人の人生を新たに歩み始めたある女性の胸中には、二つの異なるつらさがありました。平成の時代でも、「子どもを育てて一人前」という家族像に苦しむ人たち。自らの不妊治療の経験を、若い世代に伝え始めているカウンセラーもいます。(朝日新聞記者・滝沢卓)
不妊治療や流産を経験し、不妊カウンセラーとして活動する永森咲希さん(54)は、治療をやめて、子どもをあきらめた人たちが気持ちをわかち合う「卒業生の会」を開いています。
会は年4回ほどで、毎回約2時間。「人の話は尊重する」「話したくないことは話さなくていい」「聞いた内容は口外しない」といったルールのもと、永森さんの進行で8人前後の参加者が思いを打ち明けます。
永森さんは「普段は元気でも、私生活や職場で、ふとした時に子どもがいないことを意識させられることがある。そんな気持ちを共有できる場にしています」と話します。
会に参加したことがある女性に話を聞きました。
都内の会社員女性(45)は39歳から始めた不妊治療を43歳でやめました。昨年初めて「卒業生の会」に参加し、3回ほど通ったことがあります。
体外受精で受精卵を10回以上移植しました。10回を超えてから初めて、妊娠の陽性反応が出ましたが、心拍は確認できませんでした。
陽性反応が出た時、うれしさもありましたが、高齢出産になることなど、それまであまり意識しなかった不安も強く感じました。忙しい部署への異動も重なり、クリニックへ通いにくい状況に。収入を考えると、退職して治療に専念することはできませんでした。
「年齢的に無理かもという気持ちに加えて、仕事とも両立できずに、あきらめざるをえなかった。区切りをつけたというよりも、フェードアウトでした」
女性は「治療中は『いつか子どもを』という目標があったから、気持ちを保てていた。でも今、その目標がない。治療は終わったのに、終わりのない悩みの世界に放り出された気がします」と話します。
動物の赤ちゃんが出てくるドキュメンタリーを見ると、つらい。育休中の同僚が子連れで会社に来たとき、「心に鎧(よろい)をかぶって」、かわいいねと言う――。女性は「卒業生の会」で、そうした日常生活で感じる気持ちを打ち明けています。
しかし、「世間の人たちは、結婚したら子どもを持つのが普通、と思っている」と感じることが、「もっとつらい」と話します。
職場の上司の女性が「子どもを育てて一人前」と話していたり、国会議員が「4人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰することを検討してはどうか」と発言したというニュースを見たり。
女性も子どもの頃から「結婚したら子どもを産んで、夏はおばあちゃんの家にみんなで遊びにいく」といった光景を思い描いていました。ただ、理想がかなわなかったことが嫌ということと、子どもがいる人を前提にしたような発言を聞くことは、「嫌の種類が違う」と話します。
「周りは関係ない。自分の思うままに生きればいい」というアドバイスは本やネット上にあふれています。女性もはじめは「夫婦2人も幸せ」と自身に言い聞かせていました。
しかし、「自分で肯定するだけじゃなくて、普段の生活で誰かから、『それでいいんだよ』と言ってもらいたい」と話します。
この女性にとって「卒業生の会」は、そんなつらさを受けとめてくれる場所でした。当事者同士で会話できたことに涙が出たと振り返ります。
夫に自身の気持ちは話していません。不妊治療には協力的でしたが、「身近な人に本音を話して、わかってもらえなかったら、ショックなはず」。以前、「孫がみたい」と言っていた親には、そもそも治療していたことを伝えていません。
会に何度か通っても、周囲の言動やニュースで、子どもがいないことを意識させられることは変わらないといいます。「でも、夫婦2人で良いんだ、と肯定できる気持ちをだんだん持てるようにはなっています」と話します。
永森さんは「治療をやめても、子どもを望んだ気持ちと努力した経験は残ります。じっくり気持ちをはき出す時間が必要で、子どもをあきらめたとはいえ、すぐに人生を再構築することは難しい」と話します。
告白する話は人それぞれです。
何年経っても、赤ちゃんのことを見られない。残業しにくい子育て中の同僚から、当然のように仕事を振られることが苦痛。治療中は応援してくれた義理の両親と関係が悪化した――。
ただ、会の時間をそうした感情の言い合いだけにはしません。永森さんが途中で、「どうしてそうした気持ちになるのか考えましょう」と、気持ちの整理を提案することがあります。
永森さんが会を始めたのは2015年。会やカウンセリングで話を聞くにつれて感じたことは、自己肯定感が低い人が多いことでした。「女性としてだめなんです」と話す人や、子どもを望んでいたことを隠して「仕事一筋です」と周囲に強がる人もいました。
多様な生き方の尊重が叫ばれるのに、「子どもがいることが普通」と思わせてしまうような社会に、永森さんは疑問を感じます。「不妊」という言葉のイメージもその一つ。「不足や不満のように否定のニュアンスが極めて強い。何かが欠けていると印象づけてしまう言葉ではないでしょうか」
永森さんによると、多くのお金や時間を費やし、人によっては仕事も辞め、治療が「ライフワーク」のようになっている人もいるといいます。
「治療主体だった人生を変えるために、まずは自分の気持ちを俯瞰(ふかん)してみる。そうした時間を通して、前向きというよりも、自分を肯定できるように、自分の人生を好きでいられるように。会がその一歩になればと思います」
不妊カウンセラーの池田麻里奈さん(43)は、30歳から始めた不妊治療を昨年終えました。2度の流産後、死産を経験。さらに、治療を終えた後の昨年末、子宮の病気が悪化したため、子宮を摘出しました。
2016年から、「命を考える」をテーマに、立正大学心理学部(東京都)の授業で年1回のゲスト講師を務め、自身の経験を大学生に伝えています。話題は死産の経験や、友人として当事者に寄りそうことなど多岐にわたります。
今年の講義では、治療中に周りから挨拶のように「あなたも早く産みなよ」と言われ続けたことを話しました。「子育てしてこそ一人前」と言われ、「私は未熟なのかも」と悩んだこともありました。「今だったら、『不謹慎です。子どもがほしくても、できない人がいますよ』って言えるけど、治療のさなかにいるときは言えなかった」
後日、この授業を聞いた学生が、「カウンセリングとは違って、学生に経験を伝えるのは勇気がいると思う。どんな目的で話しているんですか」と質問しました。
池田さんはこう答えました。
「将来お父さんやお母さんになりたくても、かなわないことがあるかもしれない。そんな時、子どもを持つことの価値観を周りから押しつけられたら苦しいと思うけど、夫婦の人生を自分たちで描き直してほしい。子どもの有無で、自分の価値が変わるわけじゃないんです」
「私は周りから『子どもはまだなの』と言われ続けてきた。もし『そのままでいいよ』と言ってくれていれば、子どもができないことをつらく感じても、社会で生きることはつらくなかったかもしれません」
この記事は朝日新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事です。家族のあり方が多様に広がる中、新しい価値観とこれまでの価値観の狭間にある現実を描く「平成家族」。今回は「妊娠・出産」をテーマに、6月29日から7月8日まで計10本公開します。
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