連載
#20 平成家族
保育園に入れたけど…登園に1時間「つらい」 保活後の厳しい現実
苦難の道のりだった「保活」を経て、ようやく確保した認可保育園の席。しかし、そこは安住の地ではありません。親たちは自宅から遠い園の送迎でくたくたになり、弟や妹が生まれれば退園を迫られることもあります。待機児童がひしめく平成時代の家族には、「保活後」も厳しい現実が待ち受けています。(朝日新聞文化くらし報道部記者・中井なつみ、足立朋子、田渕紫織)
認可保育園の選考には当選した。だけど、こんな結果になるなんて――。
東京都北区の女性(36)は2年前、認可保育園へ申し込もうと、区役所の窓口を訪れた。長男を出産したのは2016年1月。1年間の育児休業を取ってから復職したかったが、1歳になってからでは入園の競争率が高くなる。
希望したのは、見学していた3園。ところが、職員から「本当に入りたいなら、もっと希望園を書いてくださいね」と促された。
職員は区内の地図を広げ、自宅から一定の距離にある園を示しながら「このあたりなら、みなさんも通われています」と助言してくる。自宅から近い順に四つの園を申請用紙に書き加えた。
後日、第7志望に内定したとの通知が届いた。自宅から約1時間かかる遠方の園だ。喜びの半面、「本当に通えるのかな」という不安が頭をもたげた。ここに決まるとは、思ってもいなかった。
毎日の登園は、自宅から大人の足で徒歩5分の停留所からバスに20分揺られ、さらにそこから徒歩で20分。通勤時間は30分ほどだが、自宅と保育園と職場はほぼ三角形の位置関係にあるため、保育園へ預けて職場に行くと、家を出てから1時間半以上かかる。長男が熱を出して保育園から呼び出されたとき、急いで職場を出ても、自宅近くのかかりつけ医の受付時間に間に合わなかった。
「保育園が遠いと、仕事も生活もかなり無理をしなければいけない」。復帰して間もないころ、体力的にも精神的にも疲労が重なり、急に涙がこぼれることもあった。2歳になった長男は動き回るようになり、毎日のバス通園で危険を感じることも少なくない。
自宅近くの認可保育園への転園希望を出し、認可外保育園も視野に入れて保活を続ける。「入れただけでもありがたいと思っていたけど、その現実が本当につらいこともある。あらゆる手段を取っているけど、『保育園に1度入れた』我が家には厳しい状況です」
保活激戦区の自治体で認可保育園に入るには、申し込みの際に複数の園を希望する必要がある。中には10~20の園まで記入できる欄を設けている自治体も。このため、自宅からかなり遠かったり、通勤経路と逆だったりする園に決まることも少なくない。
通うのが大変だったり、きょうだいが別々の園になることを避けたりするため断ると、「特定の施設を希望した」という理由で待機児童に数えられない場合もある。認可保育園に申し込んで入れなかったのに、待機児童に含まれない「隠れ待機児童」は昨年4月時点で6万9224人。このうち「特定の施設を希望した」という理由が最も多く、3万8978人と半数を超えた。
喜びに満ちたきょうだいの誕生が、せっかく入れた認可保育園を退園するカウントダウンとなることもある。
「もうすぐ生まれますね。で、退園はいつにされますか」
愛知県に住む契約社員の女性(38)は、こんな「退園勧奨」を2度も受けた。第2子以降の出産で親が育休に入るなら、生まれた下の子と一緒に園に通っている上の子も家庭でみてもらい、順番待ちをするほかの子どもに席を譲ってもらおうという発想だ。
1度目は、次男が生まれる直前の13年9月。大きなおなかを抱え、2歳の長男が通う認可保育園で世間話をしていると、園長が「退園日」を尋ねてきた。期限は次男の産後8週間まで。これまでも同じように去っていったママ友たちがいた。受け入れるしかなく、11月に退園した。
平日のだれもいない公園で次男を抱っこし、遊び盛りで駆け回る長男をベンチから見守る日々。通っていた園の月に1回の園庭開放日に、長男の同級生たちが仲良く遊んでいるのを見ると、割り切れない気持ちが残った。
次男が1歳になる翌年秋、仕事を再開した。長男はその春から認可保育園に入っていたが、次男は落選し、午後6時までの認可外保育園に通った。電車通勤で1時間かかるデザイナーの仕事をあきらめ、地元でパートの仕事を選んだ。
半年後の15年春、次男も長男とは別の認可保育園に入れたが、2つの保育園を送迎する日々。運動会は同じ日に開かれたので、長男を優先し、次男は参加させられなかった。
5月に長女の妊娠が分かり、産休に近づくころ2度目の退園勧奨を受けた。次男を長男のように退園させたくない一心で、悩んだ末に育休を取らず、産休明けで職場復帰することを決めた。当然のように退園予定日を聞いてきた園長に「私、保育園やめません」ときっぱり答えた。園長は目を丸くしていた。
長女の出産から2カ月後の16年初め、事務の仕事を再開。勤め先は個人事務所で、子連れ出勤に理解を示してくれた。職場にベビーベッドを持ち込んで長女を寝かせ、泣いたらおんぶに切り替えてパソコンに向かった。昨年春、ようやく3人そろって自宅近くの認可保育園に通うことができた。長男は年長クラスになっていた。
「育休中だから」と退園を迫られるのに、育休が終わっても保育園に戻ることは保証されない。「子どもはほしいけど、産むのをやめろと言われているようにしか思えない。国が『少子化対策』に力を入れているなんていうのは、うそだと思う」。ため息をついた。
第2子以降を産むため育休を取る場合に退園を迫る「育休退園」の制度は、待機児童対策として全国的に行われてきた。15年には埼玉県所沢市で新たに導入され、反発した親たちが市を提訴したことから注目を集めた。さいたま地裁は手続きの違法性を認める一方、退園を迫る運用自体の違法性には踏み込まなかった。
これを機に各地で制度を見直す動きがあったが、続ける自治体もある。所沢市も0~2歳児は原則退園としたまま。今春の入園希望者のうち100人程度が、育休退園から復帰する子どもだという。
復職のため、預け先を急ぐばかりに後悔するケースもある。
東京都足立区の女性(41)は11年秋、第3子の長女が生後9カ月になったとき、8年ぶりに保育士の仕事に戻ろうと思った。求人を見つけたが、年度途中で保育園の空きはない。ある日、区のホームページで9月に新規開設される園を見つけて飛びついた。見学できなかったが、区が補助している施設なので大丈夫だと思った。
ただ、子どもの受け渡しはいつも玄関先で、保育室の様子が見えず気になっていた。通わせて5カ月後、担任から連絡があった。
「明日、私も含めて保育士が全員辞めます」
その後、人間関係のトラブルが原因だとわかった。翌日から別の保育士がかき集められて再開されたが、2カ月後には別の園に移った。保育士同士がギスギスする厳しい環境に0歳の長女を置いてしまったことを今でも悔やんでいる。
「保育士の私ですら、当時は入れただけでもよかったと思ってしまった。子どもとの相性や環境など、保育の中身で園を選べる状況にない。入園できた立場としては言いづらいけれど、そんな状況は多くの親にとって不本意なことだと思います」
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取材班は、保活や保育士の仕事についての体験談、ご意見をお待ちしています。メールseikatsu@asahi.comかファクス03・5540・7354、または〒104・8011(住所不要)文化くらし報道部「保育チーム」へぜひお寄せ下さい。
この記事は朝日新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事です。家族のあり方が多様に広がる中、新しい価値観と古い制度の狭間にある「平成家族」。今回は「保活」をテーマに、その現実を描きます。
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