感動
おじいちゃんの「心配事」が「奇跡」に カメラマンが見た糸魚川大火
吸い込まれるような深い色をした石に、金の装飾が施された、小さなネクタイピン。新潟県糸魚川市の大火で自宅を失った男性(91)の手に、1カ月ぶりに戻ったものだ。復興のさなかにある街で出会った、小さな奇跡だった。
日本海に面した自然豊かな地方都市は2016年12月22日、147棟が焼ける大火災に襲われた。
僕が現地に着いたのは夜の9時前。糸魚川の駅を出た瞬間、焦げくさい臭いが鼻をついた。白い煙も立ちこめている。「これは相当だな」。雨の中、現場に近づくにつれてその気持ちは強くなった。
駅前から続く目抜き通りには、消防車がずらりと並び、消火活動を見守る人たちの姿もあった。
暗い路地のあちこちで、消防士たちがホースを抱え、放水を続けている。雨音をかき消すように、ざーっという水の音が響く。自衛隊員もせわしなく走り回り、投光器や消防車の赤色灯の光が、雨や放水した水でぬれた路面に反射していた。
これほどの火災現場での取材経験はない。真っ白な煙の中で活動する人たちの姿に、現実ではないような、異世界に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。
翌朝、街を再び歩いた。木造の建物はほとんどが原形をとどめていない。道ばたには黒く焦げた車、運び出されていく飲食店の焦げたテーブルや椅子……。ここに人の暮らしがあった、と想像すると、被害が生々しく迫ってくる。
幸いにも火災で亡くなった方はいなかったが、あまりの状況に、これから数カ月先、あるいは数年後にあるはずの復興を、想像することが難しかった。
1カ月後、再び糸魚川の現場に立った。この日も雨が降っていた。
駅前では、毎年恒例だという「糸魚川荒波あんこう祭り」が催されている。アンコウは地元の冬の味覚で、祭りは大盛況。アンコウのつるし切りは見事だったし、アンコウ汁の大鍋の前には行列ができて、笑顔と活気にあふれていた。
街の様子はどうだろう。“いま”を感じたいと思った。駅前の取材を引き上げて、大きな被害を受けた中心部へと向かった。
あたりには、まだ焦げたにおいが残っている。雨のせいもあるだろうが、人影も少なく静かななかで、雨がっぱにヘルメットを身につけたボランティアの人たちが目に付く。家主の依頼のもとに、住宅跡から思い出の品を探す作業を黙々と続けている。
火元近くの一画でも、6、7人のボランティアが、ゴム手袋でスコップを握っていた。傘を差して、作業をじっと見守っていたのは、ここにあった家の主の山岸竹治さん(91)だ。妻と2人暮らしで、テレビを見ている最中に臭いで異変に気づき、最低限のものだけを持って、避難したのだという。
写真アルバムが見つかる瞬間に居合わせることができた。ページはすすで汚れ、ぐっしょりぬれていたが、受け取った山岸さんの表情が柔らかくなっていくのがわかる。
写真を撮らせてもらおうと、声をかけた。その時、山岸さんの手の中に、輝く石があるのに気がついた。ヒスイのタイピンだった。
「焼けたかな、と思っていた。1カ月の間、ずっと気になっていたんだ」
糸魚川は、古くからヒスイの産地として知られている。山岸さんは約30年前、息子の結婚式の記念にと、息子と仲人さん、自分にもひとつ、そろいのタイピンを作ったそうだ。
「混じりけのない青い色がね。なんとも言えない、いい色なんです」。すすで黒くなった手のひらに、思い出のタイピンを載せると、いとおしそうに見つめていた。
「本当にありがたい」。ボランティアを見送った山岸さんの目には、涙が浮かんでいた。
容器のケースは焼けていたというから、よく見つかったと思う。しかも、持ち主がずっと気になっていたものというのだから……。奇跡のような話だと思った。
火災から約2カ月半が経った。街並みを取り戻すまでには時間が必要だろうが、被災した人たちの気持ちが、少しずつでも前に進んでいくことを願う。
ヒスイが見つかった出来事は、僕にとっては、地域が「元に戻る」というより、「立ち直っていく」姿を教わる瞬間だった。何もなくなってしまったところからでも、人は立ち直っていく。復興とは、また別の小さな奇跡から笑顔が生まれ、積み重なっていくことなのかもしれない。
この記事は3月11日朝日新聞夕刊(一部地域12日朝刊)ココハツ面と連動して配信しました。
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