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感動

映画「20歳のソウル」が公開中。絆が紡いだ、希望と感動の実話

千葉県船橋市立船橋高校 吹奏楽部 顧問 高橋健一先生×笠井信輔さん公開特別対談

PR by 日活

目次

“生ききる”人生は素晴らしい

千葉県船橋市立船橋高校の応援曲「市船 soul」。作曲したのは2014年3月に卒業した浅野大義(あさの・たいぎ)さん。音楽と仲間を愛し、家族と恋人を想い、夢に心躍らせた青年の命は、がんのため、たった 20 年という短さで幕を閉じました。告別式には吹奏楽部の仲間 164 人が集まり「市船soul」を演奏。呼びかけたのは恩師である顧問の高橋健一先生でした。

「大義の魂に、演奏を聞いてもらおう」

短い生涯を清々しく生き切った大義さんの姿は、命ある一日の大切さを教えてくれます。これは、希望の物語です。

映画化のきっかけ

笠井:作品を拝見してまず思ったのは「こんなに子供たちが生き生きしている学校があるんだ!」という驚きでした。市船という学校はどんな学校なのでしょう?
 
高橋:一言で言えば、好きなことが思い切りできる学校でしょうか。スポーツや芸術、学び、私たちはそういった場を提供しているにすぎません。大義も音楽が好きで、そこで仲間が生まれ、作曲を始めました。
 
笠井:なるほど。それにしても、この実話が本になり映画になるのは大変な道のりだったと思います。  
 
高橋:きっかけとなったのは大義のお母さんが朝日新聞の「声」に寄せた投書でした。近年、教員の働き方改革に伴い部活動の見直しが議論される中で、息子は亡くなったがいかに部活動で素晴らしい経験を得たか、そのことを多くの方々に知っていただきたく書いてくださった。そこからたくさんのメディアが市船と大義の関係について報じてくださり、映画やドキュメンタリーにしたいという話もずいぶんいただきました。しかし、それらのものに対し抵抗があり、そんな時に原作を執筆頂くことになった中井由梨子さんと出会い、話をする中で、この方なら託してもいいんじゃないかと。
 
笠井:そこには闘病中の大義くんと向き合ってきた先生の思いも大きかったと思います。当時はどのように大義くんと接していましたか?
 
高橋:彼は本当に音楽が好きだったので、そこで共感しあっていましたね。
 
笠井:先生は病床の大義さんに船橋市主催の音楽祭の為の曲を依頼しましたね。そこにはどんな思いがあったのでしょうか。
 
高橋:とにかく僕は、大義が生還してくれるのを信じて疑わなかったので、闘病の苦しみから少しでも救ってあげたいという気持ちでした。なぜなら彼は大好きな音楽に没頭しているときは、病気や痛みを忘れているように見えたから。ただ病状が重くなるにつれある種の予感があり、万が一助からなかった時の為の曲を遺してあげたいと思うようになったのです。
 

音楽の力が病床の彼を支えた

笠井:私もがん闘病中、同じように感じて映像の記録を撮っていました。病とどのように向き合い、もし自分が亡くなったとしたら、この記録は価値あるものになるだろうと……。だから、高橋先生が『大義さんのために作品を遺したい』という思いはよくわかります。
 
高橋:大義に『やってみないか』と持ちかけたところ、『僕でいいんですか?』と言うんです。だから、『お前がいいんだ』と伝えました。大義はその頃からどんどん弱っていくんですけれど、僕が病院に行く度にその音楽の話をしていました。映画の中で佐藤浩市さんと神尾楓珠くんが病室で話しているシーンがありますが、あれは本当にあったことです。

人生を生ききる

笠井:私はこの作品を観る前、自分ががんサバイバーであることもあって、人が亡くなる話は正直きついなと感じていました。しかし実際に観ると、高校生活や病気になる前の彼の描写がエネルギッシュで、亡くなっていく様以上に、彼の生き様を描いている作品なんだと感じました。その上で、なぜ自分は命を返してもらって、彼は天国に行ってしまったのかと考え、涙が止まりませんでした。しかし気づいたんです。映画には“生ききる”という言葉が登場しますが、それができれば人生は長さではないのだと。それぞれが持つ人生の長さをどう充実させていくかの話だったのですね。

しかしそれほど濃密に生きても、最後には「生きたい」と思うんですよ。私がそうでした。だからこそ、大義くんが恋人にだけ『生きたい』と打ち明けるシーンは泣けてしょうがなかったです。
 
高橋:“生ききる”というワードを考えたのは僕なのですが、それは彼の生き様を見て自然にそう思えたからなんです。こんな話は不謹慎かもしれませんが、大義の告別式の時に「市船soul」を演奏して、お棺に釘を打った時、ふと爽やかな風が吹いたんです。その時に『ああ、僕は大義に対してやれることは全部やれた』と感じました。大義も大好きな音楽に生涯を通じて没頭し、仲間に恵まれ、念願だった作曲家の道へ進みました。音楽のために、まさに生ききった20年だったと思うんです。
 

この映画はお涙頂戴の難病モノではない

笠井:そうですね。そして、それができたのも市船吹奏楽部だったから。本当に特別な場所だったことが映画を通して伝わってきました。この作品を観るのが例えば同世代の若者なら、学生時代に何をすべきかがわかるでしょうし、一方親として観てもどんな風に子どもを導いていけば良いのかという悩みに対するヒントがあるように感じます。10年前にこの映画を観ていたら、私の子育ても、もう少し変わったかもしれません(笑)。自分の息子にもこの映画を観て、『好きなことをやれる人生ってこんなに素敵なんだ』と知ってほしいと感じました。

がんサバイバーとして言いたいのは、この映画は決してお涙頂戴の難病モノではないということ。「人が死んでいく映画なんか観たくない」という先入観を取り払って、ぜひ多くの人に劇場に足を運んでほしいと思います。
 

学校と教育について

高橋:笠井さんにとって、「学校」とはどんな場所ですか?
 
笠井:親としての立場とマスコミとしての立場で見方が違います。まず親としては、先生方には寝る間も惜しんで子供たちと向き合ってくれて感謝しかありません。一方、マスコミの立場から見ると、正直閉鎖的な組織だなと思う部分もあります。教育にすべてをかけている方もおられる半面、自分の職域を守ろうとか保身の考え方が強い方は多いですよね。
 
高橋:日本には今、28万人もの不登校の生徒がいると言われています。衣食住が足りている環境があるにもかかわらず、10代の子供たちの幸福度がとても低いのが現状です。これはまさに、教育と学校の問題だと思います。
 
笠井:学力以上にどんな学校生活を送るかというのは重要ですよね。部活等、勉強以外のところにも注力していた子供たちは物事への取り組み方の意欲が違うなと感じます。今の子供たちを見ていると、特にやることもないし、何となくゲームして、友達とつるんで、落第しない程度に勉強するといった、本当にやりたいことがわからない子も多い印象です。課外活動を含めて、彼らが没頭できる場を提供するのが、学校の役割なのでは。
 
高橋:おっしゃるとおりです。多様性の時代と言いながら、今の子供たちも決して好きなことができているわけではありません。ただし、市船の子供たちは違います。彼らは本当に好きなことをやっている。吹奏楽部にいるのは音楽や楽器が好きな子たちばかりだし、野球部もサッカー部も同じです。また、毎週水曜日には学校設定科目として、課題探究という時間があります。これは良い意味で自分の興味あること、好きなことを出来る時間です。こういう時間が生徒たちを生き生きさせるのだと思います。日本中の学校が、そういった場を提供する学校なら子供たちの幸福度や登校拒否の問題は大きく改善すると思います。
 
笠井:先生方はそんな生徒たちとどう向き合っているんですか?

高橋:教師も好きなことをやっていますよ(笑)。そうでなければ、子供たちだって好きなことをできないでしょう。その上で個性を育てることを大切にしています。
 
笠井:個性はどのように育てるのでしょうか。
 
高橋:まず必要なのは秩序。人間が集団で生活している中では、秩序がなければ個性が発揮できません。大切なことは、この秩序をどう構築するかだと考えます。これまでの日本社会では、管理教育の押し付け、厳しい校則などで秩序を作って来ました。そうではなく、秩序を作る上で大切なことは、自分自身にベクトルを向けることだと思います。言い換えるならば、それは当事者意識を持つこと。私は20年以上前から、生徒に対して他人事ではなく自分自身に矢印を向けて考えてみよう、つまりは当事者意識がどれほど大切であるかを説いて来ました。当事者意識により作られる秩序こそが、一人一人の個性を発揮させると。その為には目的と方法を見誤らないことが大事。上手くいかない時は方法が目的になってしまっている時が多い。目的は何なのか?私たち吹奏楽部であるなら、聴いてくださる方が楽しいと思ってくださった時に楽しいと思えること、そこに目的、そうですね、目標があるわけです。目標を共有するからこそ、話し合いが成立する。縦社会で理不尽なことを押し付けるのではなく、当事者意識を持ち、生徒自身が能動的に話し合うことにより秩序を作り出し、一人一人を守ることだと思います。ですから、私は生徒同士の、時には私との話し合いを何十年もの間、活動の中心に置いて来ました。
 
笠井:当事者意識を持つというのは大人であっても必要なことですね。
 
高橋:そのために学校があるんです。学校で「好きなことを思いっきりやっていく」ことによって自分を深く見つめ、同時に仲間を見つけ、承認欲求が満たされ、 “自分は自分でいいんだ、あなたはあなたでいいんだ”という、まさに多様性を認め合える人間になっていくのだと思います。

大義の告別式には164名の仲間が集まりました。しかしその誰もが強制されたわけではありません。自主的に来たんです。あれは奇跡ではなく、必然だったのだと今は思います。
 
笠井:子供たちが好きなことをしながら成長していく。高橋先生のおっしゃる教育を実現するためには、やはり最終的には親が変わらなければいけませんね。
 
高橋:そうですね。これからの時代、いわゆるいい大学に入っていい会社に勤めて安泰というのはナンセンス。社会の価値観は総崩れになり、終身雇用も無くなりつつあります。なにせいろんな職業があり、いろんなことをして食べていける時代です。若者が自分の価値観で人生を楽しんでいくためには、「好きなことを思いっきりやっていける社会」を構築することが必要なのではないでしょうか。
 
笠井: 今の子供たちの周りには、インターネットがあってYouTubeがあってSNSがあってゲームがあって。家にいるだけでも娯楽があって、なかなか没頭できる何かを見つけるのは難しいように感じます。でもこの映画を観て、市船吹奏楽部の子どもたちは好きなことに没頭しつつ、ダンスや劇や音楽以外のさまざまなことに取り組むことによって絆を育み、信じられないケミストリーを生んでいました。こんな学校はほかにはないと思いましたね。
 
高橋:多様性と言いつつ、偏差値教育を進めて全員を白黒にしていくような教育の未来に、一体何があるでしょうか。それではいけない。若者が生きていくこと、教育について、ぜひ今後も笠井さんには発信してほしいと思います。
 
笠井:改めてこの映画を若い人にも観てもらう意義があると確信しました。また親世代には、子供とどう接していくか考えるヒントにもなるんじゃないかと感じました。今日は、ありがとうございました。
 
ストーリー紹介
浅野大義(神尾楓珠)は市立船橋高校吹奏楽部に所属する男の子。担当はトロンボーン。活発で明るい大義は、いつも周囲を明るく照らし、そして大義自身も部員たちに支えられ、青春を謳歌していた。なにより特別な存在である顧問・高橋健一先生(佐藤浩市)に大きな影響を受け、心身共に成長していった。大義は、市船・野球部のために、オリジナル応援曲の作曲に挑戦。作曲の難しさに葛藤しながらも高橋先生からの叱咤激励や親友・佐伯斗真(佐野晶哉<Aぇ! group/関西ジャニーズ Jr.>)の助け、母・桂子(尾野真千子)の応援もあり「市船 soul」が誕生する。そして、いざ試合で演奏されるとたちまち得点を呼ぶ〝神応援曲″と呼ばれる様になる。

高校を卒業した大義は、高橋先生の様な教師を志し音楽大学へ進学、夢に向かってキャンパスライフを過ごしていた。そんなある日、大義の身体を異変が襲う。診察の結果、大義の身体はがんに侵されていた——。
 
□笠井 信輔(かさい しんすけ) フリーアナウンサー
 1963年、東京都生まれ。フジテレビアナウンサーとして数々の報道番組や情報番組を担当。2011年の東日本大震災の際には民放関係者としていち早く被災地に入る。2019年にフジテレビを退職し、フリーアナウンサーに転身。映画、演劇への造詣が深くますますの活躍が期待される中、悪性リンパ腫(血液のがん)に罹患。ジャーナリストとして、死を覚悟しながらも退院までの闘病生活をTV番組やネットを通じて発信し続けた。
□高橋 健一(たかはし けんいち) 千葉県船橋市立船橋高校 吹奏楽部顧問
 1961年、東京生まれ。数年のサラリーマン生活を経て中学の国語教師となり、ソフトボール部顧問となる。教員生活2年目に突然未経験であった吹奏楽部の顧問を任されるが、わずか5年目で全国大会金賞を受賞。2001年、スポーツ強豪校である市立船橋高校に赴任し、応援バンドであった同校吹奏楽部を全国レベルの強豪校に育てる。定期演奏会では演奏・ダンス・合唱等を組み合わせたオリジナルエンタテインメント作品「吹劇」を発表。
 
「20歳のソウル」公式サイト
https://20soul-movie.jp/

 
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