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コラム

泣いて笑って喜んで…!五輪にまつわるウソのような本当の話3選

PR by 集英社

目次

『いだてん』に観たオリンピックのとんでもエピソード!

昨年の大河ドラマ『いだてん』は、金栗四三が日本人初となるオリンピック選手に選ばれる辺りから、東京オリンピック開催までをつづった群像劇だ。知名度の低い人物にスポットが当たっていたためか、内容がニッチすぎたためか、視聴率こそあまり振るわなかったが、コアなファンの心をしっかり掴んだ良作と言えるだろう。かく言う私も、『いだてん』に、がっつりハマったひとり。

きっと、私以外にも『いだてん』のそこはかとない魅力に気づき、夢中になった人は多いのでは? そして、歴史ドラマの醍醐味である「ノンフィクションとフィクションの境界線を感じさせない世界観」に魅了されると同時に、オリンピックにまつわるとんでもエピソードの数々に驚いたはず!

実は、最終回で金栗四三が54年ぶりに第5回ストックホルム大会のゴールテープを切ったエピソードも、1936年のベルリン大会で、河西アナウンサー(トータス松本)があたかも目の前で試合を見ているかのように熱のこもりまくった中継をした「実感放送」のエピソードもノンフィクション。

どちらも「さすがクドカン!面白い!」と、あくまでもドラマの中での出来事としてサラっと流しそうな下りだが、紛れもない史実なのだ。そして、これらの他にも、ウソみたいだけど本当にあったエピソードはふんだんに盛り込まれている。

果たして、これを読んでいる方々は、ドラマで起こった出来事のどれがノンフィクションで、どれがフィクションかわかった人は、どのくらいいるのだろう?

今月発売になった「うっかりオリンピック」には、そんな『いだてん』以上に驚きなとんでもエピソードがたくさん詰め込まれている。そこで今回は、本書の中から日本人に関係する涙あり、笑いありのエピソードを3つ紹介しよう。

友情の銀銅メダル

ひとつめは、なぜ『いだてん』で採用されなかったのかと残念でならない、西田修平選手と大江季雄選手にまつわる「友情の銀銅メダル」だ。

こちらは1936年の第11回ベルリン大会の棒高跳びで起こった。長時間にわたった大熱戦の末、決勝戦を日本代表の西田選手と大江選手を含む4名で競うことになったのだが、日本選手の2名が「4メートル25」という同じ記録を出した。

困惑した運営側は、疲弊した選手を見て2位決定戦の中止を決定。そして、先に記録を出した西田選手を2位、大江選手を3位として正式記録に登録したのだ。もちろん、両選手はこの結果に納得できなかったが、もう決定したものはどうすることもできず…。

表彰式では、2位の西田選手が3位の大江選手を2位の台にのぼらせて、2人が2位であることをアピール。帰国後に、お互いのメダルを半分にして、つなぎ合わせ「銀銅メダル」を作製した。

なんて心が洗われるエピソードなのだろう。小学校の道徳の教科書に載っていてもおかしくないレベルだ。このエピソードは「友情の銀銅メダル」と呼ばれ、スポーツマンシップに則ったフェアプレーのひとつとして、今も語り草となっている。(だから『いだてん』で採用されなかったのかもしれない)

ルール改正が強くさせた「東洋の魔女」

オリンピックは、ルール・種目などが常にブラッシュアップされ、よりよい大会になるよう様々な調整が入る。1964年に行われた第18回東京大会のバレーボール女子の部で優勝を果たした日紡貝塚女子バレーボールチームは、そんなオリンピックのルール改正によって、よりパワーアップした過去を持つ。

別名「東洋の魔女」と呼ばれていた日紡貝塚女子バレーボールチームは、大会後のルール改正によって、大きな痛手を受けた。それまでは背の低い選手に有利だったルールが一変して、背の高い選手に有利なものへと変わったためだ。

その結果、選手の平均身長が低い日本チームは、ルール改正後に開かれた国際試合で連続ボロ負けというつらい結果に…。

その際に、日本チームに圧勝した東ドイツチームの監督からは、「日本のブロックはスイスのチーズみたいだ(大きな穴がたくさんある)」という侮辱も受けた。これに怒りを覚えた日本チームは、さらに厳しい練習に打ち込むようになり、1972年に行われた第20回ミュンヘン大会まで、東ドイツチームに一度も負けることはなかった。

踏んだり蹴ったりな日本人の初メダル表彰式

1928年に行われた第9回アムステルダム大会は、日本人選手が大きな成果を上げた記念すべきオリンピックと言われている。それと同時に日本選手団にとっては悲劇としか言えない出来事が…。

この年のオリンピックには、日本からは陸上・水泳・ボートなどを合わせた43名の選手が出場した。そのうち陸上・水泳で、金メダル2つ、銀メダル2つ、銅メダル1つ、合計5つのメダルを獲得。

日本中が、この快挙に盛り上がる中で迎えた表彰式で悲劇は起こった。

ナント、日本人初の金メダルを獲得した男子三段跳びの織田幹夫選手の表彰式で掲げられた日本の旗は、他国の国旗の4倍はある超特大級。さらに、国家の演奏が途中からはじまるというアクシデントも発生した。こうなったら、もう笑うしかないだろう…。

実は、運営側は日本がメダルを取ると予想していなかったため、これらの準備を怠っていたのだ。日本への注目度の低さが招いた悲劇とも言えるが、現代だったら間違いなくクレームになる事案だ。良くも悪くも、アムステルダム大会は日本人にとって忘れられない大会となったのだ。

残念ながら 、今年のオリンピックは延期となったが、あまり落ち込まないでほしい。何事も不安は払しょくして、準備万全で挑む方が心置きなく打ち込めるというものだ。今回の延期決定をプラスに受け止め、開催までに「うっかりオリンピック」 を読んで、オリンピックにまつわる歴史を勉強し直してみるのはいかがだろう?

歴史を知れば、東京オリンピックが、より楽しく観戦できるはず!(?)

文・安倍川モチ子

『うっかりオリンピック』著・こざきゆう、絵・フルカワ マモる1000円+税
『うっかりオリンピック』著・こざきゆう、絵・フルカワ マモる
1000円+税
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