コラム
危機の時代の羅針盤~気鋭の哲学者 が説く「未来への大分岐」とは
PR by 集英社
新型コロナウィルスのパンデミックによる非常事態宣言、国境封鎖、そして深刻な経済危機……。私たちが生きる「世界」は、3カ月前には想像し得なかった異様な姿を見せ始めている。そんな曲がり角を迎える現代社会に警鐘を鳴らし、世界的な注目を集めてきたドイツの若き哲学者マルクス・ガブリエル。彼がホスト役を務めるテレビドキュメンタリー・シリーズ「欲望の時代の哲学2020」(NHK・Eテレ)の最終夜が24日に放送された。歴史に残る大転換期に直面する私たちが、どう世界と向き合うべきなのか、昨夏出版された「資本主義の終わりか、人間の終焉か?未来への大分岐」(集英社新書)をテキストに、そのヒントを探ってみたい。
1980年にドイツに生まれたマルクス・ガブリエルは、29歳でドイツ・ボン大学の哲学正教授に抜擢された哲学者。ドイツ観念論の研究からスタートし、既存の哲学の諸問題を乗り越えるべく構想された「新実在論」を提唱、ポストモダン思想への批判的立場から議論を展開している。中でも、挑発的なタイトルが波紋を広げた「なぜ世界は存在しないのか」は世界各国で哲学書として異例のベストセラーを記録した。
2018年には来日し東京、大阪、京都をめぐり、大学などで講演会、シンポジウムに参加した。その模様はNHKのドキュメンタリー番組にもなった。今年2月から放送されていた「欲望の時代の哲学2020 マルクス・ガブリエルNY思索ドキュメント」は、「資本主義と民主主義の実験場」であるニューヨークを舞台に、スケートボードで登場するガブリエルが人間の欲望とは、自由とは、倫理とは何かをめぐって思索を重ね、知識人らと語り合う姿を追っていく。
マンハッタンの路上で若者たちや世界から訪れた観光客らと哲学問答を繰り広げるかと思えば、撮影中に不安発作に襲われたタクシー運転手を気遣いながら、その不安の原因から現代における倫理とは何かまで鮮やかに解説してみせる。頭の回転の速さと気さくな人柄、ポップでラジカルな語り口は、ロックスターのような華やかさに満ちている。気むずかしい哲学者といったイメージをアップデートした異色の存在だ。
本書『未来への大分岐』は、ガブリエルのほかに、イタリアの哲学者、アントニオ・ネグリとの共著「<帝国>」(アントニオ・ネグリとの共著)でグローバル資本主義が変容させる政治・経済の実相を描いた米国の政治哲学者マイケル・ハート、情報テクノロジーによって資本主義は崩壊すると予言する「ポスト・キャピタリズム」を著した経済ジャーナリスト、ポール・メイソンという3人の知識人と、1987年生まれの気鋭の研究者、大阪市立大学大学院の斎藤幸平准教授(経済思想)との対論をまとめたもの。危機的状況にある民主主義、資本主義を乗り越える新たな展望について、政治・社会運動、哲学、経済の観点から縦横に語り合う。すでに45万部を売り上げた話題作で、最先端の思想的考察がコンパクトにリーズナブルにまとまった1冊だ。
本書におけるガブリエルの主張は、とてもシンプルで辛辣だ。
例えば、客観的事実より感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する、いわゆる「ポスト真実」と呼ばれる社会状況について
と小気味いいまでに一刀両断してみせる。
そして、そうした誤った「信念」が「実在」していることは「事実」ではあるが、いくつもの「真実」があるのではなく、「自明の事実」というものがあるとする。
そうしたポストモダン思想的な相対主義に反対し、”真実を真摯に受け止めて態度調整するための哲学的土台を提供するのが新実在論”なのだと主張する。
では、ガブリエルの理論の中心を為す「新実在論」とは、どんなものなのか。
彼いわく、実在論とは、存在するものへの承認であり、「事実」を否定せず、受け入れる立場のことだという。
つまり“ものが存在するそのままのあり方にあなたの態度を合わせよ”と定式化できるのだという。
……言い回しが哲学的で、このあたりからなかなか難しくなってくる。
古い実在論では、人間の認識能力、精神、意識から現実の独立性を保証しようとするが、新実在論では、「事実」は「そこに」(out there)あるだけではなく、「ここにも」(in there)あるのだと考え、主体/客体、心/世界、社会/自然といった区別自体に欠陥があると指摘する。
この考え方を広げていくと、本当に存在するあらゆる「事実」に自分の態度を合わせることは可能なのか。“実在論的にありたい〈すべて〉などというものが存在するのか”という問いに行き着く。ガブリエルの答えは「ノー」であり、そのような対象や領域は存在しないと主張する。これが彼の「なぜ世界は存在しないのか」という挑発的なメッセージの意味なのだという。
なかなか難解な概念ではあるが、聞き手役である斎藤先生の巧みなつっこみや、かみくだいた解説が理解を助けてくれる。興味をもった方は是非本書にあたってご自身の目で確かめていただきたい。
危機に直面している人類の現状について、ガブリエルはこんな比喩で説明する。
その結果、気候変動などの諸問題を解決できず、世界は精神なきサイバー独裁が民主主義にとって代わるだろうと警告する。
なぜ人はそうした誤った判断をしてしまうのか。相対主義的な思考、自分の利益を損なうことへの恐れ、面倒なことから目をそむけテクノロジーのアルゴリズムに身をまかせてしまうこと……。本書の中で繰り返し様々なその理由についても言及する。
それらに対抗するには、倫理的な判断ができるような哲学的なトレーニングを教育現場で積む必要があり、他者の指図や手引きに頼らず、自分の知性を使うことを徹底することが重要だと指摘する。
と現実にコミットする自らの立場を明らかにする。
ガブリエルの論考に触れて痛感するのは、自分がいかに「相対主義的な思考」にまみれているかということ。
「絶対的なものなど世界に存在しない」と考える方が自由になれると思ってきたが、その行き着いた先が現在の「なんでもあり」の分断化された世の中だ。「倫理」や「正義」や「普遍的価値」など、古くさいと思われがちな言葉や概念を再検討し、改めて存在することを証明し、危機の時代に「再起動」させていこうとするガブリエルの姿勢は新鮮に映る。
とはいえ彼が示すのは特効薬ではない。あくまでも考え方の枠組みであり、認識の可能性だ。私たちの目の前にある問題はあまりに複雑で巨大すぎて、考えることを放棄する誘惑にかられてしまう。それでも絶望から逃れる道は、ガブリエルが言う「五感と並ぶ六番目の感覚である、人間の思考」を研ぎ澄ませ、議論を重ねることしかないのだろう。あきらめたらそこで試合は終了するのだから。
文・山内浩司