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一人ひとりが「自分」でいられる神秘の島 隠岐に生きる
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島根県の沿岸から北に40〜80㌔メートル、青く澄んだ日本海に囲まれて、隠岐諸島が浮かぶ。寒暖差の少ない気候、雄大な景観、特有の植物。都会の密集や喧騒とは無縁の世界だ。鎌倉時代には貴人が配流されるなど、歴史の舞台でもあったこの地は、近年国内外から注目を集めている。小さな島の高校に県外から入学生が集まり、映画の舞台にもなった。その奥深い魅力を探ってみよう。
全校生徒179人のうち、島外からの生徒が85人(2018年)。海士町にある島根県立隠岐島前高等学校には、日本全国・世界各国から多様な入学生が集まる。この春、熊本県から〝島留学〟に来た末田大朗さんは「生徒が主体となって、地域を活性化するカリキュラムに興味がある」と期待に胸を膨らませる。将来、シェフとしてフランスに店を出す夢を持ち、自分の企画力や実行力を鍛えたいという。島前高校には、ただ進学するためではなく、自分から学ぶ〝目的〟を持つ生徒が互いに刺激しあう環境がある。
地域課題を教材にしたプロジェクト学習、豊富な海外研修の機会、課題を見いだし解決する取り組みなど、独自の教育プログラムが特徴。国際的な視野を持ち、地域社会に貢献できる「グローカル人材」を育んでいる。学校に隣接する寮で暮らす島留学生たちを、「島親」としてサポートするのは地域の大人だ。人口減少の危機に瀕して立ち上げた「魅力化プロジェクト」が着実に実を結んでいる。
日本海にそびえる断崖絶壁、様々な形をした奇岩など、隠岐のダイナミックな景観は、約600万年前の火山活動と日本海の荒波によって形成された。地球の氷期、間氷期によって本州と陸続きとなったり離島になったりを繰り返し、北方系と南方系の植物が共存するなど、他の地域にはない不思議な生態系も生まれた。
3万年前から黒曜石を産出し、中国地方を中心に幅広く運ばれたことも知られている。鎌倉時代には、権力闘争に敗れた後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流となるなど、遠流の地としての歴史も持つ。また北前船の寄港地としても栄えた。離島でありながら多様な文化の通り道だったことも、隠岐独自の気質を育んだと言えるだろう。後鳥羽上皇を慰めるために始まったとされる牛突き、離島だからこそ残された民俗芸能や隠岐古典相撲などの文化も伝承され、名所旧跡が点在する。
また、隠岐周辺の海域は絶好の漁場だ。岩ガキ、隠岐松葉ガニ、アワビなど、そのおいしさに驚かされる。潮風を受けた牧草地で育った隠岐牛、焼きサバのダシで食べる十割そばも外せない〝ご島地グルメ〟だ。
目を閉じて聞く静かな波の音のように、心にゆっくり染み入る映画が封切られた。『僕に、会いたかった』は、島根出身の錦織良成監督がメガホンを取り、初めての人にも古い知り合いのように接してくれる島の人々の優しさや、島留学に来た生徒、そこに起こる家族の物語を、丁寧に、美しい風景の中に描き出した。
この映画の撮影で、出演者たちもすっかり隠岐に魅せられてしまったという。錦織監督は「都会で失われた日本らしさや文化が残る。隠岐は世界的にも貴重な場所で誇りにしたい」と語る。主人公を演じたTAKAHIROさんは「海の穏やかさ、透明度のすばらしさだけでなく、島の人々のオープンマインドなところを感じ、表現したいと思った」。松坂慶子さんは撮影の合間に、一人でバスを使って島巡りをするほど、地域に興味を持った。「隠岐にいると、太古からの見えないつながりを感じます。繰り返し訪れたい」と明かす。スクリーンには、それぞれの心に響いた島の空気が映し出されている。
桜が舞い散る4月、映画『僕に、会いたかった』の全国公開に先がけ、隠岐島前高校の体育館で映画上映会が開かれた。「撮影地であるこの場所に戻ってくることができてうれしいです!」。記憶をなくした漁師を演じたTAKAHIROさんが挨拶すると、会場を埋めた高校生たちから歓声が上がった。松坂慶子さん、秋山真太郎さんと錦織監督も登壇し、この春から島留学に来た1年生にとって、最初の大きなサプライズになった。監督からは、学校だけでなく実際の寮の中を撮影に使ったことや、協力への感謝が述べられ、改めて島の魅力が讃えられた。
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