IT・科学
歌舞伎とICTが融合 舞台で超高臨場感を実現したのは「電話屋!」
提供:NTT
大きな斧を持った現実の歌舞伎俳優と息の合った立ち回りを見せるのは、仮想現実の女性キャラクターで、「バーチャルシンガー」である【初音ミク】です。彼女の映像が上段に移動すると、中村獅童演じる惟喬親王は“分身の術”を披露し、分身の映像も本体とまったく同じ動きを見せます。
終盤ではボーカロイド (歌声合成技術) である初音ミクの人気楽曲「千本桜」が流れ、獅童さんが「まだまだ行けるか!」と客席を盛り上げます。羽根を生やした初音ミク演じる「白鷺の精霊」が飛び回り、はなびらの舞い散る中、無数のサイリウムがリズムを刻んで、会場は熱狂に包まれます。
初めて見た人は「これって歌舞伎なの?」と驚くかもしれません。実は、伝統技能とICT(情報通信技術)が融合した「超歌舞伎」は今年で3年目を迎え、10代や20代の若者からも注目を集めています。
川添氏
語るのは、NTT取締役研究企画部門長の川添雄彦氏。同社サービスイノベーション総合研究所の所長だった2016年当時から「超歌舞伎」に携わっています。9月に東京都内で開かれた「朝日地球会議2018」でも、超歌舞伎について熱弁を振るいました。
超歌舞伎はこれまで、毎年4月末に開催されているイベント「ニコニコ超会議」で2016年から上演されています。3年連続で出演する初音ミクが歌舞伎俳優らと息の合った掛け合いを見せ、舞台を支えるテクノロジーも年々進化を遂げてきました。
初上演の時から話題を呼んだ歌舞伎俳優の“分身の術”を実現したのは「任意背景リアルタイム被写体抽出技術」。通常の映画などの撮影では、ブルーやグリーンの背景の前で俳優を撮影してから映像に合成しますが、特別な加工をしない背景から俳優だけをリアルタイムに抽出し、別の場所へ臨場感高く投影することで可能となりました。
2018年の舞台では、さらに精緻でなめらかな被写体抽出へと進化。被写体と背景の色の違いを識別する機械学習を取り入れることによって、複雑な背景でも高い精度で俳優をリアルタイムに抽出しました。
新たな試みが、あでやかな着物姿の初音ミクが山車に乗って舞台を練り歩くという演出です。山車が回転すると彼女も後ろ姿になり、さらにはステージへと降り立ちます。
このシーンで山車に搭載されたのが「両面透過型多層空中像表示装置」です。複数のモニターに対して光路長(光の進む距離)を制御することで、背景を含めた3層の空中像を正面と背面から同時に視聴することが可能となり、山車の動きに合わせた自然な表現ができるようになりました。
ほかにも超歌舞伎には、臨場感の高い音響技術などが採用されており、従来とは異なる歌舞伎の演出や楽しみ方へのチャレンジが続けられています。
超歌舞伎に活用されているNTTのさまざまな最新技術は「Kirari!」と呼ばれています。2015年2月にコンセプトが発表された「Kirari!」は、あたかもその場にいるかのような“超高臨場感”の体験を、あらゆる場所でリアルタイムに感じられる世界を目指す超高臨場感通信技術(※1)です。
※1 超高臨場感通信技術:
遠隔地にネットワークを介して、リアルタイムに競技空間やライブ空間を「丸ごと」伝送、再現をめざす技術
「Kirari!」は、多様な先進技術を組み合わせて、超高臨場感のライブ中継を目指しています。超歌舞伎の“分身の術”にも使われた「任意背景リアルタイム被写体抽出技術」、複数台の4Kカメラで撮影した映像をつなぎ合わせる「超ワイド映像合成技術」、音源が実際にその場にあるかのような音響効果を生み出す「波面合成音響技術」、複数の映像・音声・空間情報に対して時刻を合わせる「超高臨場感メディア同期技術」などが使われています。
スポーツ競技やコンサートなどのライブビューイングとしてサービスが実用化すれば、観客は現地にいなくても同じような臨場感を体感できます。「Kirari!」は、距離や時間の壁を超えるための有用な手段だと言えるでしょう。
「Kirari!」が超えようとしている壁は、それだけではありません。伝統文化に先進のICT技術を融合させることによって、文化の壁や世代の壁を超えようという試みの一つが、超歌舞伎です。
ニコニコ超会議への入場者の多くは10代や20代。超歌舞伎の上演も3回目を迎え、観客の大向こう(役者の屋号を呼ぶ掛け声)も定着してきました。歌舞伎俳優への「○○屋」という定番の大向こうだけでなく、初音ミクへの大向こうも飛び出します。さらに目を見張るような演出の時には、黒衣(くろご)として舞台を支えるNTTへの「電話屋!」が定番となっています。
会場にいる人々だけではなく、ネットで中継を見守るユーザーも超歌舞伎を盛り上げます。クライマックスでは、「数多の人の言の葉」を求める呼びかけに応じて、ネットでコメントが次々と寄せられます。背景の画面に言葉の波が押し寄せると、それにこたえるように中村獅童さんが再び登場。見ている人すべてが一体となって物語に参加できるというのも、超歌舞伎のだいご味です。
川添氏
川添氏は「歌舞伎を単に面白くさせただけではなく、若者に対して伝統芸能への心理的なハードルを越えさせることができたことは非常に意味があった」と語ります。伝統芸能にICTを導入することに賛否両論はもちろんあるでしょうが、日本が長年をかけて培ってきた文化に若者たちが興味を持つきっかけになっているのは確かです。
かぶく(常識を離れた行動をする)ことによって生まれてきた、人類のさまざまな伝統や文化。歴史的な経緯から大人の女性は舞台に立たない一方で、仮想現実のアイドルが出演するのも、新たな伝統の可能性を感じさせてくれます。ICTは、常識という壁さえも越えていくのかもしれません。