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日航機墜落事故で友が逝った御巣鷹の尾根 訪れるのにかかった40年

御巣鷹の尾根を初めて訪れました

能仁千延子さんの墓標に手を合わせる山上優さん
能仁千延子さんの墓標に手を合わせる山上優さん

目次

「あなたのいない現実を、私は認識できないのです」――。飛行機事故によって22歳で他界した友の死を受け入れるには40年の年月が必要でした。「遅くなったなあ。ごめんね」。山の墓標の前で流した涙には、積年の思いがこもっていました。(朝日新聞withnews編集部・川村さくら)

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死は身近に

舞台演出家・俳優・翻訳家として東京を拠点に活動している山上優さんは、都会のど真ん中、東京・赤坂で育ちました。

両親の離縁をきっかけに中高時代を母の地元長野県で過ごし、その途中、父の代わりのように自分をかわいがってくれていた母の兄が命を絶ちました。

小説家になることを願いながらその夢をあきらめ、長男として地元で過ごしてこの世を去ったおじの存在が、山上さんには死を身近に感じさせていました。

授業で出会い

おじは学生時代フランス文学を学んでおり、山上さんにフランス語の辞書を渡してくれていました。

その影響もあって、山上さんは上智大のフランス文学科へ進学。フランス語の授業で出会ったのが「ノーニン」こと能仁千延子(のうにん・ちえこ)さんでした。

「ノーニンは思いっきり笑うことはなかった。はにかんで、どこか影があって、そんな部分がお互いに共通していたのかもしれません」

閉じていたあの頃

芝居が好きだった能仁さんは演劇サークルで役者として活動していました。

一方の山上さんは学費を捻出するため、連日ホテルで働いていました。

「当時の私は閉じていて、サークルに入って人と関わることに積極的ではなかったんです」

「悠長に『あえいおう』(発声練習)なんてやっている人たちを『いったいなにやってんだ』と横目に見ていましたね」

当時は芝居に興味がなかった山上さんでしたが、能仁さんに熱心に誘われては時折劇場に足を伸ばしていました。

「当時は『青い鳥』という女性だけの劇団があって、その舞台には猛烈に衝撃を受けましたね。こうやって自分自身を開放する方法があるんだと思いました」

「帰省するかも」

大学卒業してからも2人は予定を合わせては劇場に足を運びました。

山上さんはファッションブランド「イッセイミヤケ」に就職しており、1985年の7月末には、社員割引で購入した黒のセットアップを譲るために四谷の喫茶店で能仁さんに会いました。

「夏休みにはキャンセル待ちで飛行機の席が取れたら地元(徳島県)に帰省するかもしれない」と能仁さんは話していました。

日航123便

8月12日、羽田発大阪伊丹行きの日本航空123便がレーダーから消えたというニュースが流れていました。

翌13日、学生時代の同級生から「ノーニンがあの飛行機に乗っていたかもしれない」と電話が来ました。その夜、乗客の1人として能仁さんの名前がテレビに映し出されていました。

群馬県上野村の御巣鷹の尾根に機体が墜落して乗客乗員524人のうち520人が亡くなった事故で、能仁さんはそのうちの1人になってしまいました。

文集で山上さんが能仁さんにあてた言葉
文集で山上さんが能仁さんにあてた言葉

能仁さんの死後、学生時代の友人らが作成した文集に山上さんはこう書いていました。

「あなたに関る思い出の諸々を書こうという気持ちになれず、なぜか客観的事実ばかりを追って了う。あなたのいない現実を、私は認識できないのです」

出会いはノーニンが

山上さんは「人間いつ死ぬか分からない。何かやりたいことをやろう」と考え、会社を退職しました。

偶然知り合ったカメラマンの助手をするうち、「一度くらい芝居に挑戦してみたい」という気持ちが芽生えました。

そして劇団の研究生や小劇団の団員になりましたが、30代後半で芝居をやめることを決めました。

最後の記念にと参加したワークショップでフランス人の指導者に見いだされ、フランスに留学。フランス滞在中に指導役や演出の経験も積み、今にいたります。

「そんな出会いは全部ノーニンが持ってきてくれたと思っているんです。だからこんな何十年も経っても彼女を身近に感じてきました」

「私にとって芝居は、初めは自己治療のようなものでした。つらい境遇を自分で笑い飛ばして道化を演じている、私の秘密でした」

「そばにいて」

彼女の死を認めることになるからとずっと足が向かなかった、けれどいつか行かなくてはと思い続けていた御巣鷹の尾根。

事故から40年の節目となった今年必ず登ろうと決めており、10月末に初めて登りました。

今度出演する舞台のチラシを墓標の前に供え、木の墓標を強くなで、はらはらと涙を流しながらまるで目の前に能仁さんがいるように語りかけました。

能仁さんの墓標の前で空を見上げる山上優さん
能仁さんの墓標の前で空を見上げる山上優さん

「遅くなったなあ、ごめんね。これまでいろんな人に会わせてくれてありがとうね。あなたの力だと思ってるよ」

「舞台稽古のときは見に来て。あなたが袖にいるっていつも思っているから」

「去りがたいね。40年もかかっちゃったから…。なんだ、40年って」

「あなたの代わりとは言わないよ。私は私で好きでやっているんだから。もうちょっとがんばるから、もうちょっとがんばりたいから、そばにいてください」

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