連載
#35 Busy Brain
小島慶子さんがふり返る「携帯を地面に叩きつけた」ときの頭の中
「まいっか、後にしよう」と考えることができませんでした
40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが綴る、半生の脳内実況です!
今回は、電波が繋がらない携帯電話に我慢がならず地面に叩きつけて壊したとき、小島さんの頭の中でどんな感覚が渦巻いていたか、について綴ります。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)
突然ですが、スマホを地面に叩きつけて壊したことはありますか? 大抵の人は、ないと思います。街でそんな人を見たらギョッとしますよね。付き合っている相手がいきなりそんなことをしたら、この人とはちょっと無理かも、と別れるかもしれません。
私は、やったことがあります。粉々になった携帯電話を、当時の恋人が黙って拾い集めてくれました。それが、今の夫です。
問題の現場を見てみましょう。今から23年ほど前のこと、小田急線の小さな駅の前に、荒物(あらもの)屋さんがありました。その店先で、携帯電話を耳に当ててイライラしている長身の女性がいます。25歳の私です。電話のアンテナを引っ張ったりして、舌打ちしながら時々空を睨(にら)んでいます。そう、当時の携帯電話にはアンテナがついていました。電波の状態が不安定でなかなか繋がらなかったり、通話中に切れてしまうこともしょっちゅうだったのです。
私は、銀座のお店かなんかに問い合わせの電話をかけようとしていました。ところが電波が悪くてかからない。別に急ぎではないのだし、電波の状態のいいところに移動してからかけ直せばいいのに、なんで繋がらないの!!! と、携帯電話に怒っているのです。何度リダイヤルしても、発信できない。で、もう、毎日毎日こんなことばっかりでうんざりだよ! ちゃんと繋がれよ!! と携帯を地面に叩きつけました。
通りすがりの人が見ていたかもしれません。記憶にあるのは目の前のフェンス越しに見えている夜の駅のホームと、プラスチックが割れる音と、雨に濡れた地面でバラバラになった電話だけ。店から出てきた彼が、何も言わずに拾い集めてくれました。
この「電話が繋がらなくてムカついたので、地面に叩きつけて壊した」ときの頭の中の動きを、もうちょっと詳しく見てみましょう。
私は、お金を出して買った機械は、製品としてちゃんと働くべきだと考えていました。掃除機が吸ったり吸わなかったり、冷蔵庫が冷やしたり冷やさなかったりしては困ります。電話も、かかったりかからなかったりしては困るのです。
固定電話は、いつ受話器を上げても忠実に「ぷー」と応えて回線が生きています。番号を押せば「ぷるる」と相手を呼び出してくれます。当然、電話と名がつくのだから携帯電話もそうあるべきなのに、なんとこいつは番号を押した後「ぷ・ぷ・ぷ」と電波を探し回って主人を待たせ、いつまで経っても「ぷるる」と呼び出さないことがよくあるのです。理由はわかっています。携帯電話は固定電話と違って有線ではない、アンテナの基地局がまだそんなに十分ではないから繋がりにくい場所がある、「ぷ・ぷ・ぷ」はサボっているのではなく懸命に働いている音である、繋がらないのは携帯電話網全体の問題であって、私の携帯電話がバカだからではない。
しかし、一度「私は今、電話をかけたい。携帯電話は、繋がるべきである」という考えにロックがかかってしまうと、どうしてもそこから動くことができなくなってしまいます。「まいっか、後にしよう」と考えることができません。頭の中にはぐるぐると怒りが渦巻きます。機械は主人に忠実であるべきである。「まいっか」は電話の不忠を許したことになり、サービスの不備を容認したことになる。負けたくない。クソ電話め、人間を舐(な)めるな!
横の方から「いや、それはどうかしているよ」と宥(なだ)める声も聞こえます。すると、そいつに嫌がらせをしてやろうとますます意固地になるのです。このとき、痛痒(いたがゆ)さに似た感覚を覚えます。腫れ物をあえて押して潰すときのような感覚です。
この状態をさらに細かく見ていくと、思いついたことをすぐに実行に移したいという衝動性と、物事が想像通りにいかないことに対する強い不快感と、不快な出来事に対する耐性の低さと、発想の転換ができない強い執着性と、そういう常軌を逸した状態になる自分を冷静に眺める視点と、そういう常軌を逸した自分を嘲笑(あざわら)う気持ちと、冷静な声の主、つまり理性的な自分を困らせるためにあえてもっとやってやろうとする当て付けの気持ちとがあることがわかります。私は生理前に精神的に非常に不安定になる体質だったので、それも影響していたかもしれません。
私は専門家ではないので、ここはADHDによるもので、ここは生まれ持った性格で、ここは愛着形成の歪みで、ここはPMS……などと分析することはできません。
ただ、こうした衝動性や不快情動耐性の低さや、執着の傾向などが「育てにくさ」として周囲の大人のネガティブな態度を引き出し、結果として幼少時から不適切な対応や否定的な言葉がけなどをされることが多かったのは確かでしょう。あえて相手を困らせようとする行動や、自虐的な言動などはそうした生育環境と関係があるかもしれません。生理前はホルモンの影響でそれが特に強く出るのかもしれないとも思います。
「なんでも他人のせいにして甘えるな!」と言わないで下さいね。誰のせいにするとかいう話ではなく、どういう状況だったのかを考えているだけです。「甘えるな!」と言いたくなってしまうあなたの胸の中にも、考えてみるべき根深い問題がありそうな気がしますが、それは私がとやかく言うべきことではないですね。
そういえば幼少期から、おもちゃや機械など、自分の期待通りに動かないものをバンバン床や壁に叩きつけたりしていました。物に意識があるかのように相手を罵(ののし)りながら、痛めつけるのです。いわゆる癇癪(かんしゃく)持ちの子どもとして周囲は手を焼いていました。
そのままだと周囲の信頼を失うことがわかったので、なんとか自制するよう努力を重ねて社会に適応したものの、そういう癇癪を許容してくれそうな人がそばにいると、ついやってしまうことがありました。無意識のうちに、相手を試すのです。こんなみっともない厄介な自分に、相手は愛想を尽かさないだろうかと試すのですね。これには、いわゆる「見捨てられ不安」が強いことが影響していそうな気もします。となるとやはり、愛着形成に問題があったのではないかと思いますが、これ以上の素人診断はやめておきましょう。
電話バラバラ事件も、一人だったら絶対にやらなかったでしょう。目撃した人たちに怖がられますからね。当時はもうテレビに出ていたので少しは顔も知られていたし、一人で片付けるのも恥ずかしい。彼氏といるときだったからやったのです。
そのあと彼氏(今の夫)に謝ると「これを拾ってあげるのが俺の役目だと思った」と答えたので、なんて献身的な人だろう、仏様かしら? と感動して、この人に一生ついて行こう!と思いました。なかなかいい話だと思っていたのですが、10年以上経ってから、実はちょっと厄介な話だと気づきました。彼は彼で、そうやって承認欲求を満たそうとしていたことが判明したからです。
電話を投げて壊すダメな自分を受け入れてほしいと望む女と、誰かのスーパーヒーローになりたいと望む男とは、相性がピッタリだったのですね。こうして共依存カップルが誕生したというわけです。この話を詳しく掘り下げると違う本が一冊できてしまう分量になるので、またの機会にします。
しかし共依存であっても、「普通ではない」自分を受け入れてくれる人と出会えたのは大きな安らぎとなりました。なぜ普通にできないの? と言われ続けて生きてきた身にとって、「普通にしてね」と一切言われない関係はとても安心できるものでした。夫は、私のADHDが判明してからもたくさん本を読んで、それまでと変わらず接してくれています。
夫と息子たちにしてみると「僕たちは体験的に慶子(ママ)にいろんな癖があるのを知っていたけど、その癖の一部にはADHDという名前があったんだな」という感覚のようです。彼らはADHDのさまざまな特徴を、診断名としてではなく私という人間の個人的な持ち味として認識し、慣れ親しんでいたため、後から診断名がついたことによって妻や母のイメージが大きく変わることがなかったようです。
しかし、だからといって物に当たるのは良くありません。さすがに電話をバラバラにしたのはそれきりですが、15年ほど前には古いパソコンの作動スピードが遅いのに腹を立てて、「遅い遅い、アホか!」とキーボードをバンバン叩いて壊してしまいました。修理に出して戻ってきたら、お店からのメモに「これからはパソコンが遅くても、叩かないでくださいね」と書いてあって、もっともだなと深く反省。
夫は呆れながらも「きっと慶子の頭の回転の速さにパソコンがついていけなかったんだね」と慰めてくれました。自尊感情の低い(だからこそプライドが高い)人間が30歳を過ぎてパソコンを叩いて壊したことに落ち込んでいるときにかける言葉としては、なかなかよく考えられていると思います。
それにしても、おかしいと思いませんか。掃除機が吸ったり吸わなかったりしたら不良品です。冷蔵庫が「ちょっと混乱したので今日は冷やしません」と言ったら困るでしょう。でもなぜか、パソコンやスマホはそれが許されるのです。
ソフトウェアのアップデートがあるからいいじゃないかと言いますが、更新したって毎度毎度バグがあるじゃないですか。そもそもハードウェアと一緒に一体いくらで買わされているとお思いか。あんな高値で売っておいてカスタマーケアで「うまく動かないのは原因不明ですね」とか、平気でいうビジネスはおかしいだろう? という気持ちが、今も消えません。
だから今でもしょっちゅうパソコンやスマホと喧嘩(けんか)をしています。「ママ、PCやスマホは掃除機や冷蔵庫よりも複雑に出来ているから、いろいろ時間がかかるんだよ」と息子たちは宥めてくれます。人間だって同じですよね。個別の環境や人間関係と、生まれ持った特性とがさまざまに反応して、その人の在りようを作っています。うまくできないこと、想定通りにいかないことがあってもあたり前です。私の脳みそに得意不得意があるように、パソコンやスマホもBusy Brainの仲間だと思えば、少しは優しくできそうです。
(文・小島慶子)
小島慶子(こじま・けいこ)
エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。
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