連載
DA PUMPの「夢の叶え方」 TOMOが生んだ「まねしたくなる振り付け」
ダンス&ボーカルグループDA PUMPは、ISSAさん、DAICHIさん、KENZOさん、KIMIさん、TOMOさん、U-YEAHさん、YORIさんの7人。「U.S.A.」などの振り付けを担当したTOMOさんには、現在、あちこちから振り付けの依頼が殺到しているそうです。売れなかった10年を経てのヒットに「ドッキリだと思った」。その後も「バイーンダンス」など、子どもからお年寄りまで人気の振り付けを生み出すTOMOさんにアイデアの源泉を聞きました。(朝日新聞文化くらし報道部記者・坂本真子)
TOMOさんがダンスを始めたのは、17歳のときにテレビでDA PUMPを見たことがきっかけだったそうです。高校3年で進路に悩んでいた時期でした。
「将来何をやるか、ちゃんと考え始めて、大学に行くのは違うし、専門学校に行ってもやりたいことがないなぁ、と思っていたときに、テレビでDA PUMPを見たんです。あ、かっこいいな、と思って、勢いでダンスを始めました」
それまでは全く踊ったことがなかったというTOMOさん。最初はテレビを見たり、録画したものをコマ送りしたりして練習していました。
「高校を卒業して、僕は愛知県の出身で、何の当てもないんですけど、なぜかそのまま東京に行くと、本当に勢いで、若さで決めましたね」
上京したTOMOさんはダンススクールに入ります。ヒップホップダンスだけでなく、ブラジルのカポエイラというダンスに熱中しました。21歳のとき、先輩に薦められて、カポエイラの帯を取得する試験を受けにロサンゼルスへ行きました。
「ロサンゼルスでカポエイラも学びつつ、ヒップホップのダンスも学んで、日本に帰ってきたら、ダンスでお仕事をもらえるようになり始めたんですよ。当時はまだアメリカに行く人が少なかったので、『あいつLA帰りだよ』というテンションでお仕事をもらったり、レッスンを持たせてもらったり。それまではバイトをしながら練習していたんですけど、ダンスでお金をもらえる状況に変わっていきました」
毎年、ロサンゼルスに行き、数カ月ダンスを学んで帰ってくる。そんなサイクルを続けながら、ダンサーとしての足場を固めていきました。
「4年ぐらいで、ちゃんとお仕事をもらえるようになったんです。とにかくダンスに夢中でした」
そして27歳のとき、DA PUMPに誘われて、迷わず「OK」と答えました。
「ダンサーとしてもう1つ上のレベルに行きたい時期だったんですよ。バックダンサーの仕事を何年もやって、自分のネクストレベルは何だろうと考えていたときに、ちょうどISSAくんに声をかけてもらったんです。東京に出てきたときは、DA PUMPみたいになりたいな、という憧れ、願望もうっすらありました。そういえば本当はやりたかったんじゃん、と思い出して、『一緒にやります』と即答しました」
2008年にDA PUMPに加入しますが、それから10年間はヒットに恵まれず、グループとして活動できない時期もありました。
それでも、精神的にきついと感じたことはあまりなかったと言います。
「僕はあんまり、つらいという感覚がなくて、今、自分が何をできるかを考えて、それを実行することが好きなんです。そのときに自分ができることをやって、さらにそれを超えていきたい。その方が自分のモチベーションを高められるし、いざというときに備えて蓄えられると思うので。(性格は)ポジティブな方だと思います」
ダンスの世界大会に出たり、舞台に出演したりしながら、「今何ができるか」をいつも考えていたそうです。
2018年、TOMOさんとKENZOさんが振り付けを担当した「U.S.A.」は国民的なヒットに。米国などで流行していたShoot Danceを取り入れたという、親指を立てて振りながら片足でジャンプする「いいねダンス」は社会現象になりました。YouTubeには「踊ってみました」という動画が多数投稿され、運動会や各地のお祭り、イベントで、大人も子どもも一緒に踊っていました。
そんな状況を見ても、TOMOさんはなかなか実感がわかず……。
「何が起こっているかがわかってなくて、もう、とにかく一生懸命、目の前のものをやり続けることで必死でしたね。全部初めてなので、それぞれがめちゃくちゃありがたくて、今までの10年間で自分がやってきたことを出すだけだと思っていたので」
喜びをかみしめたのは、1年余り過ぎてからだったとか。
「ずっと『ドッキリ』じゃないか、みたいな(笑)。1年ぐらいして、『U.S.A.』は本当に日本で認知されているんだ、と改めて気づいて、『やったーっ!』と思いました」
昨年6月に日本武道館公演を行い、秋にはホールツアーで全国を回りました。
各地でファンと接する中で、感じたことも多かったようです。
「俺らがレクチャーする前に、お客様が既に踊れていたりするので、ああ、すごい、本当に浸透しているんだな、と。少しずつ大きな会場でやらせてもらえるようになってきて、単純に人の多さにもびっくりしています。ライブ会場には3歳から入れるんですけど、子どもが本当に多いし、上は90歳までいたこともあって、世代がすごく幅広い。俺らはいつもやっていることを一生懸命やるだけなんですけど、それをお客さんが喜んでくれる姿を見られることがうれしいですね」
DA PUMPの活動では、ライブが一番の軸になると考えています。
「ライブに来て『楽しいな』とか、『DA PUMPのライブに来たら元気になったなぁ』と思ってもらえたら、すごくうれしいですし、俺らの思いを直に届けられるライブを一番大事にしたいと思うんですよね」
「U.S.A.」の後、TOMOさんには、振り付けの依頼が殺到しているそうです。振り付けを考えるときに、何かポイントはあるのでしょうか。
「キャッチ-なものを求められているときは、ダンスを踊れない方でもできる動き、例えば日常でやる動きをそのままダンスにすることもあります。人がまねしたくなる動きを日々研究していて、最新のダンスには敏感にアンテナを張っています。特にアメリカのダンスシーンはいつも見ています」
昨年のシングル「P.A.R.T.Y. 〜ユニバース・フェスティバル〜」では、両手でポーズを取ったまま左右に細かく揺れる「バイーンダンス」が話題になりました。この生みの親もTOMOさんです。
「アメリカに行ったとき、みんながとにかく楽しそうに踊っていたので、日本に帰ってから、メンバーみんなでやってみたら楽しかったんですよ。いつも僕らなりにダンスに名前をつけるんですけど、志村けんさんの『アイーン』みたいだね、とみんなで話したのがきっかけで、『バイーンダンス』と名付けました」
学生の頃から「ダンスに夢中だった」というTOMOさんですが、それは今も変わっていません。
「頑張ってやろうというテンションではなく、好きだから踊っていた、好きだから夢中でやっているというだけなんです。これからも、いろんなお仕事をいただいたら、それに対して夢中でやっていきたいと思います」
今後の夢も、ダンスに関わることです。
「今も若い子から習っているんですけど、僕も年をとりますし、ダンス歴も長くなっていくので、ダンスに対する関わり方も変わってくるだろうなぁ、と思っています。ここ1年ぐらいは、新しい人を育てることもやっていかなきゃいけないかな、と考えるようになりました。自分にしか言えないこと、自分が見てきた景色の経験値で言えることが多少はあると思うので、それを伝えていけたらいいな、と思います」
とても穏やかに、柔らかい口調で丁寧に語りつつ、ダンスへの並々ならぬ情熱をのぞかせるTOMOさん。芯の強さを感じさせます。
最後に、いま夢を抱いている10~20代の若者たちに助言するとしたら、何と言いますか、と聞きました。
「何だろうなぁ……。ほんと、続けるしかないって感じですね。それが一番でかいかなぁ。俺もダンスがうまくいかないときもあったし、全然お金がなくて、ダンスをやめようかな、と思った瞬間も多分あったと思うんですよ。でも、どうにかやめないように試行錯誤して、自分でやってきたことがでかいなぁ、と。一緒にやってきた仲間でも、いろんな事情があって、やめていった人はたくさんいるんです。今考えると、やめないことが一番でかい、と思いますね」
TOMOさんがやめなかった理由とは――。
「自分に負けたくなかった、ということじゃないですか。俺は足跡を残す、と言って名古屋から出てきているので、何もないまま帰ることはできなかったし、何もできずに帰ったら自分に負けたことになる。それが嫌だったんです」
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