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椎名林檎が感じた「時代の切実さ」新作までの5年、待ち焦がれた40代
昨年デビュー20周年を迎え、40歳になったシンガー・ソングライターの椎名林檎さん。5年ぶりのオリジナルアルバム「三毒史」を、デビューからちょうど22年目にあたる5月27日に出しました。1曲単位で楽しむストリーミングが広まる中で発表した骨太のアルバム。同時にSNS時代を意識した「この子一人でいい」という聞き手への思い。人間の「生」と「死」を描き続けてきた彼女が、40代を迎えて何を感じたのか。新たな「覚悟」を聞きました。(朝日新聞文化くらし報道部記者・坂本真子)
新作のタイトルにある「三毒」は、人間の三つの煩悩を表す仏教用語です。貪欲(とんよく)、瞋恚(しんい)、愚痴(ぐち)。それぞれ、むさぼり求めること、腹を立てること、真理を知らず物事の理非の区別がつかないこと、の三つです。
その象徴とされる動物を題材にした「鶏と蛇と豚」が、新作の1曲目。イントロで読経が流れ、一気に引き込まれます。
「別にわざわざ仏教用語を拝借してこなくても、今までに散々心がけて書いてきた内容だと思うんですけど、今回は、2015年ぐらいからの作品がまとまっていて、演出上もたまたまお経をモチーフに使うことが多かったんです。その切り口が合っていると思ったので。ただ、煩悩をこの浮き世でどういう風に運転して、我々は生きていくべきか、私はどうするべきかを写し取りたい、という思いは10代の頃から変わっていないので、今までのアルバム全部が『三毒史』と言ってもいいだろうし、今回は、より具体的に、はっきり『三毒史』と述べてもいいという自負があったのかもしれません」
より具体的に、思い切り書ける。そう考えた最大の理由は、昨年40歳になったことだと言います。
「ずっと書きたかったけど、ちょっと経験が足りなくて、時期尚早だった。そういうものが、40ぐらいになったから思い切り書けるようになったと思います」
椎名さんは力を込めて言います。
「ほんとうに長い道のりだった、という認識なんです。ここまでよく無事でいられたな、という」
10代の頃、書きたいことを自由に書ける立場になるには、これから降りかかってくるであろう様々な戦いに勝って、40代を迎える必要があると考えたそうです。
「40になったら、もう、どなたも『生意気』とは言ってくださらないでしょ。思い切り書いたら書いたで自分の責任。早くその状態にさらされて、書くべき事を思い切り書いてみたい、自分を試してみたいという思いがあったんですね。だから、40歳になったことが一番大きい。早く40になりたくて、カウントダウンしている感じでしたね」
昨年、デビュー20周年を迎えた椎名さん。40歳というだけでなく、20年かけて積み上げてきたキャリアがあるからこそ、実現したこともあります。
それが、ほぼ半分がデュエット曲になったという今回のアルバムの構成です。
新作では、エレファントカシマシの宮本浩次さん、BUCK-TICKの櫻井敦司さん、ウルフルズのトータス松本さん、ナンバー・ガールの向井秀徳さんら、6人の男性ミュージシャンと、全13曲中6曲でデュエットしました。
「一回りも上の大スターの方々にゲストとして来て歌っていただく。年下の人間がさせていただくには、キャリア上の説得力が必要なんです。自分がこういう仕事をして、こうしたら、『えっ?なんでそんなことあんたがやるの?』と言われない状態になるだろうな、と考えて歩んできました。畑を耕して、土壌を作ってからじゃないと、言い出すこともできない。今回やっと企画を持ち出せた、という段階です」
「デュエット作品は書くのが難しいので、作曲家がすごくやりがいを覚える形式なんです。でも、うちのヘビーユーザーの方は必ずしも好きではない。『林檎一人で歌って欲しい』とおっしゃる方も多いから、一気にまとめて出しました」
新作で、オーケストラやピアノトリオ、聖歌隊なども駆使した自在なサウンドで描くのは、煩悩にまみれた人間の生き様です。中盤の「至上の人生」で「生」のピークを迎え、最後の「あの世の門」では、静かに「死」を描きます。
「生まれてから死ぬまでを、CDを利用して、正しい時系列の順番で描いてみました」
「私は、死を思うことをタブー視していないし、今までもわりと書いていたと自覚しています」と語る椎名さんは、生後まもなく大きな手術を受けたことがあるそうです。「死」をタブー視しない背景には、その経験があるのでしょうか。
「自分ではこの人生しか生きたことがないから、(影響があるのかどうかは)わかりません。でも、自分の中に持っている死の概念があって、それを描くことにはちょっと遠慮がありました。小学生ぐらいのとき、小さい頃から繰り返し見ていた夢のことを他人に話したら、共感を得られなかったんです。それ以来、他人に話すべきことではないのでは、と思っていました」
それが今回なぜ、あえて正面から「死」を描いたのでしょうか。
「もう大人になりましたし、自分が知っている端的な死の情景が、今回描くべきものにちょうど合致していて、最後に来るのがふさわしいと思ったんです。何の情感やエモーショナルなものもなく、私の中では一番リアリティーのあるものです。描いてみて良かったと、作り終えてから思いました」
日本人に多い死生観の影響も、椎名さんは示唆します。
例えば、人と会う約束をしたときに、「お会いできたらうれしいです」と言うあいさつ。
こうした表現について椎名さんは、欧米文化で育った人から、「なぜ、会えないかもしれないような表現を使うのか?」と聞かれたことがあるそうです。
「日本人同士の感覚だと、そんなに変じゃない。つまりこれは、日本人らしい死生観なんじゃないかと。約束しても何があるかわからないけど、会えたら素晴らしい、という価値観。『もしお会いできたら本当にうれしいし、大事にしたいからそれまで健康にも気をつけるし、あなたも無事に来ていただきたい』という、時間や命のとらえ方ですね。古式ゆかしい日本の、幼い頃の私たちに親が言ってきたことが、いま、実になっているのかな、と思います」
シンガー・ソングライターとして順風満帆に歩んできたかに見える椎名さんですが、実は、音楽活動をやめようと思ったことがありました。2001年に出産した頃のことです。
「この商売はちょっと……。先が長い戦いに勝てるほどがめつくないし、愛されて育ったからそんなに貪欲じゃない。もうちょっと人間的に勉強してからじゃないと、と思ったんです。少なくとも歌うことは、商売として向いていないと思っていて」
やめたつもりで出産。しかし、契約などの関係で復帰。「東京事変」やソロとして活動を続けてきました。
今も、パフォーマーよりプロデューサーの方が自分に合っていると、自覚しているそうです。
「子どもの頃からよくわかってます。表に立ってバッと反射的に体で表現することに優れている人って、上には上がいて、いっぱい見てきていますから。昔バレエをやっていたときも、お教室だけでもいましたし、コンクールに行ってもいました。今も、能力のある若いパフォーマーの子に会うと、適材適所でやった方が日本のカルチャーは底上げになるのに、と思ってすごくムズムズします」
「私のライブも、もっと優秀な、体を鍛えている人がフロントをやってくれたらいいのに、と思います。私は曲を書いたり、ステージのことを決めたりする方に集中できたら合理的なのに。歌ったりすることをはしょれば、もっとたくさん仕事をこなせるな、とは思っています」
特にここ数年で、作家やプロデューサーとして、手応えを感じています。
例えば、SMAPに提供した「華麗なる逆襲」(2015年)、テレビドラマ「カルテット」の主題歌「おとなの掟」(2017年)など。提供した楽曲を集めて、2017年にはセルフカバーアルバム「逆輸入~航空局~」を出しました。
「いよいよ書き手として、作家として、仕事の内容で信頼を勝ち取ったのではないか、みたいな自信がついた瞬間が立て続けにありました。手応えを覚えたのかもしれません。今回のアルバムに取り組み始めた2015年頃からです」
2016年のリオ五輪・パラリンピック閉会式では、東京2020への引継ぎセレモニーの演出と音楽監督を務めました。
「リオは……大変でしたけど、後になってみれば楽しかった……のかなぁ。つらかったです」
そして来年は、「東京2020総合チーム クリエーティブ・ディレクター」の大役が待っています。
作家としての自負はデビュー当時から強く、椎名さん自身を支え、走らせる役割を果たしてきました。
「作家としては貪欲です。小さいときから誰よりも稽古してきたものを全部生かして作っているから、その品質を信用して欲しい。専門職なので。でも、デビューした当時は、なまじっか、ルックスがいいシンガー・ソングライターと言われたら、もう絶対に自分のやっている本当のプロフェッショナルな仕事を聴いてもらえないと思っていたので、とにかく、かわいいとかきれいとか言われちゃいけない、と思っていました。プライドです。いかに色モノに見せるか。すごく強い主張があったし、譲りませんでした」
宣伝用の写真やCDジャケットなど、見え方の一つ一つにこだわってきました。
「いつも武器持ってますからね。当時も今もですけど。自分の作品への誇りを汚されないために、そして、本当に理解しようとしてくださっている方を守るために。その思いはずっと変わらず、強いですね」
一方で、最近変わってきたと思うこともあります。
「こんなにブランドを重視する社会だと、本当に自分の耳で品質を判断してくれているかなんて、わからないですよね。でもここ数年は、SNSなどで好き嫌いを好きに言っていい時代になってきたと思うんです。作る側も、信じたい相手がはっきり見える。可視化できるというか。私が一番聴いて欲しい部分、こだわった部分をこんなにはっきり言語化して受け取ってくれる女の子がいるんだったら、この子一人でいい。そう思えるんです」
そんな椎名さんが作家として大事にしていることはなんでしょうか。
「お金をかけずに品質を高く保つ。納期を守る。品質を保持するためには、本当に全部の工程をきちんと丁寧にやるしかない。もちろん、手間暇かかるけど、スピードも大事なんですよね。商売なので、区切りがあるので、納期は必要だし、納期までに出来なきゃいけない。そうしないと、どんどんどんどん、仕事って押し寄せてくるじゃないですか。世の中が加速的に速く求めてくるから、どんどんどんどん手際よくならないといけないんです」
再生回数やダウンロード数が可視化されやすくなり、数字に一喜一憂する人が多い中で、椎名さんは「一人でいい」と言い切り、何よりも品質を大事にしています。
作品の品質を保つためには絶対に手を抜かない、という10代の頃からの強い決意。背景には、それを20年以上遂行してきたことの手応えがあるのでしょう。さらに、作品がヒットし、評価されてきたという土台があります。それら全てが椎名さんの「一人でいい」と言い切る自信につながり、走り続ける原動力になり、歌手として良い循環を生み出しているのでしょう。
前回のアルバムから5年空いたことについて、椎名さんは、「いろいろ気になることがあって、考えているから、すぐ5年もたっちゃったりするんです」と話していました。
いろいろ気になることとは……?
「なんか今、ちょっと切実な気がするんです。それこそ、作品の中で描いているつもりだけど、何のために生きているかわからない人が多いというか。すごくつらい、という人が多いと思うので、もうちょっと物理的に何かできることがないか、これからもっと考えていくと思います」
やはり、気になるのは、「命」に関わること。椎名さんの視点は一貫しています。
そして、デビューしてからの20年余を振り返り、「自分が母親になることより大きな出来事はなかった」と話した椎名さん。
新しい命を授かり、産み育てる。母親として過ごす日々を通して、椎名さんの「生」と「死」への思いは、さらに大きく膨らんだのではないか、と想像します。
そのうえで、ここ数年で作家としての手応えを感じたことと、40歳になって「思い切り書ける」立場を自覚したことで、正面から「死」を描く覚悟が生まれたのではないでしょうか。
それは、十数曲を一気に聴かせるCDアルバムへのこだわりにも現れています。ストリーミングで1曲単位で聴く場合とは異なり、アルバムは音楽をひとつの物語のように構成することが可能です。1曲では表現しきれなかったテーマも形にできますし、聴く側は、その世界にどっぷりと浸かり、音楽や歌詞で起承転結を感じることができます。1曲単位で楽しむだけではない、音楽の楽しみ方。レコードやCDを聴いてきた世代には当たり前のものかもしれませんが、椎名さんは今回、それを改めて提示し、「生まれてから死ぬまで」という壮大な世界を描いてみせたのです。
40代は、親の介護が始まるなど、「老化」や「死」を身近に感じるようになる年代でもあります。
「それこそ、死は遠い世界の話じゃないし、いまはSNSで大勢と考えを共有できちゃう。一人で悩んじゃうより、かなりいいことのような気がしているので、いい側面を伸ばしていきたいですよね」
音楽だけにとどまらず、椎名さんの活動の幅は、さらに広がっていきそうな予感がします。どんな光景を見せてくれるのでしょうか。
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