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日本の夏休み「たった1カ月でも宿題がこんなに」外国ルーツの子驚き

夏休みにつきものの、学校の「宿題」。おなじみのドリルや絵日記、アサガオの観察日記、読書感想文、自由研究……。親もネタ出しから丸付けまで、「これって親の宿題?」と錯覚するほど〝お手伝い〟が必要なこともあります。そんななか、日本に来た海外出身の親子はどんな夏休みを過ごしたのでしょうか。日本語にまだ慣れていない子どもたちを対象に横浜市鶴見区で開かれた「夏休みの宿題教室」を訪ねました。
鶴見区の国際交流ラウンジには8月末、約50人の小中学生が集まりました。
フィリピンから2年前に来日したという中学3年生の伊藤大地さんは「税についての作文」に取り組んでいました。
4日間ある宿題教室の初日と2日目は、公民の教科書を広げて日本の税制度を理解するところからスタート。学生ボランティアやシニアボランティアがマンツーマンで教えました。
400字詰めの原稿用紙3枚。途中まで「余白は詰めて書くもの」と思っていたそうで、改行して段落を変えようとボランティアに指摘されると「それ(余白)、アリなんですね!」と答えていました。
テーマは「税と部活」にしました。来日前は「日本の部活」と「バスケ」に憧れていたそうです。中学ではもちろんバスケ部に入り、「本当にアニメ『スラムダンク』の通りでうれしくなりました。違ったのは先生の声が大きいことぐらい」。
フィリピンでは夏休みは「2~3カ月ぐらいあった」と言います。「宿題は出なかったから、ずっと友達とゲームやったりして遊んでいた」と振り返ります。
日本の夏休みの宿題って、海外から見るとどうなのでしょうか。
両親が日系ペルー人という大学3年生の宮城あみさんは、ボランティアのコーディネーターとして夏休み宿題教室を手伝っています。
日本で生まれましたが、小学校時代の大半はペルーで育ちました。
小学校6年生の途中で日本の学校に転校した時、初めて「夏の宿題」を渡された時、衝撃を受けたといいます。
「たった1カ月しかなくて、こんなにたくさんの量、終わるの?」
ペルーは休みは約3カ月ありましたが、宿題は主要3科目ぐらいだったと言います。「ペルーの夏休みはほとんど遊んでいましたし、私は大好きな水泳や、アクセサリーや造花を作る短期教室に通いました」
宮城さんは「日本の夏休みの宿題は『料理を作ってくる』なんていう家庭科の宿題もあって驚きました。料理をするきっかけになるから良い経験だとは思うんですけど」と振り返ります。
日本で働く両親は日本語の会話はできましたが、ペルーとは文化が違う日本の宿題を教えることは難しく、ラウンジに通って「乗り越えられた」と言います。
中国出身の魏志勇さん(32)は、今年度来日したばかりの娘2人をラウンジに連れて来ていました。
日本の宿題の量については驚かなかったと言います。
そもそも、「中国は子どもたちの遊びや趣味に関心がなく、子どもはみんな夜中12時まで勉強漬けでした」と話します。そんな中国の教育に問題意識を持って、子どもを海外で育てたいと、娘が生まれた後に単身来日。半年で日本語を習得して、専門学校で学び、デザイナーとして仕事を得た後に、妻子を呼び寄せたのです。
夏休みは子どもたちを「中国にはない遊具がたくさんある公園」で遊ばせたり、大好きな水泳をさせたりしました。そして「最初に日本語を学ぶことが肝心」と、宿題教室以外にも日本語を勉強できるよう塾へ通わせたそうです。
宿題に苦戦しつつも、子どもたちは夏を満喫したようです。
ネパール出身の小学校6年生のサラタクさんとルサムさんは、自由研究で「サッカーボールを手作りした」と自慢してくれました。
「YouTubeでブラジルの子どもが作るサッカーボールを見て作った」と言います。風船の周りをテープやビニールで巻いたところ、「ちゃんとバウンドした」と声をそろえます。
夏の一番の思い出は、「二人でお台場に行った」こと。自分たちで行くところを決め、SNSで見た韓国のお菓子を買いました。結局は「父親もついて来たけど」とのこと。
ネパールには海がありません。「人生2度目の海だった」とルサムさんは満足げに笑いました。
同じくネパール出身で2年半前に来日した中学1年生、オリサムヨグさんが一番手を焼いたのは自由研究で「地震」について調べたそうです。
ネパールでは10年前の大地震でれんがや岩でできた建物が倒壊し、約9千人が犠牲になりました。地震があっても崩れない日本の強固な建物に感心したそうです。「スマホの緊急地震速報は怖かったけど。地震に備えて、備蓄をしっかりしたいな」と話します。
日本語教室と塾を掛け持ちして、サッカー部の練習と、家では2歳の妹の面倒を見るなど、多忙な夏を過ごしたといいます。
ネパールの夏休みにはバスで1日半かけて祖父母の家に遊びに行くのが楽しみでした。父親は、日本の焼き肉チェーン店の店長を務め、母親はコンビニで働いているため、今夏は帰国できず、代わりに千葉県の水族館に連れて行ってくれました。
この日は朝ごはんを1人で作って食べ、宿題教室に来ました。「これから『鬼滅の刃』の映画に行って、その後は夜まで塾」
多忙な日々の中でも、国際交流ラウンジには勉強をしに、ほぼ毎日のように来ます。「困ったときにいつでも来て相談できる、ここは良い場所」と話していました。
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