ARTICLE
本事業は、意思疎通支援従事者確保等事業
(厚生労働省補助事業)として実施しています
(実施主体:朝日新聞社)
広告特集 企画・制作
朝日新聞社メディア事業本部
「はじめまして、弁護士の若林です」――。聴覚障害をもつ男性弁護士に代わり、電話口で応対するのは、手話通訳士の遠藤友侑子さんです。後で対面した依頼者に、「若林さんは女性だと思っていた」と驚かれることもめずらしくありません。司法分野に特化した手話通訳は難易度が高く、なり手も少人数に限られた世界。志した理由とやりがいについて、遠藤さんにお話を聞きました。
遠藤友侑子(えんどう ゆうこ)さん
1983年、秋田県生まれ。企業勤務を経て、2009年に国立障害者リハビリテーションセンター学院手話通訳学科に入学。手話を学び、手話通訳士の資格を取得。2013年、法的トラブル解決のため総合支援機関「法テラス(日本司法支援センター)」の職員として入所し、聴覚障害のある若林亮弁護士の専任手話通訳士として活動している。
11月のある日。遠藤さんは法律相談のために千葉県内の市役所に足を運びました。相談者の隣に遠藤さん、正面にペアを組む若林亮弁護士が座ります。若林弁護士の手話を読み取り相談者に言葉で伝え、相談者の発言内容を手話で若林弁護士に伝えます。
この日会うのは二度目という相談者。やわらかい表情で相談者に“話しかける”若林弁護士の手話を見ながら、遠藤さんは「覚えていてくれてうれしいです」と通訳しました。時差はほぼありません。打合せの時、会話が止まった状態になることもありますがその形態は様々です。「沈黙」と「回答に迷っている」「理解が追いついていない」では大きな違いがあり、そこを区別して通訳することは、依頼者との信頼関係を築くうえでも重要なことです。
相談中に、相談者の携帯電話に家族から電話がかかってくる場面がありました。遠藤さんは相談者から携帯電話を受け取り、若林弁護士の手話を見ながら、「はじまして、弁護士の若林といいます」と、電話口の相手に伝えました。
法律相談や依頼の電話を受ける際、手話通訳士が応対していることは説明しません。でも、それを理由に依頼を断られたことは今まで一度もないそうです。
「私としてはすごくうれしいことです。相手が違和感を持たず、自然に電話でコミュニケーションが取れたことがわかるからです。若林先生も私も、手話通訳士だと説明することは不要だと考えています」
若林弁護士と遠藤さんがコンビを組んだのは2013年からです。法テラス(日本司法支援センター)が聴覚障害のある若林弁護士を採用するにあたり、専属の手話通訳士として遠藤さんを採用しました。法律相談や依頼者との打ち合わせから、裁判所とのやりとり、法廷での通訳はもちろん、事務所内での雑談まで、業務時間内の通訳はすべて遠藤さんが担ってきました。2020年4月に、二人で千葉事務所に転勤し活動しています。
最初の5年ほどはぶつかることも多かったといいます。仕事のスケジューリングがうまくいかなかったり、引き継ぎ事項を「伝えた、聞いていない」でもめたり……。若林さんも弁護士になりたてで、手話通訳士と接するのは初めてのことでした。
「ぶつかる中で、お互いに自分の気持ちを隠すのではなく、言いたいことを言い、改善できることは改善していく暗黙のルールが自然とできていきました。けんかした後、しばらく会わないなら我慢してもいいのですが、私たちの場合は、明日も、明後日も、顔を見て仕事をしないといけないので(笑)」と遠藤さん。
仕事を始めた頃、遠藤さんは若林弁護士から「電話の時って、最初になんて言うんですか?」と聞かれたことが印象に残っています。生まれつき聞こえない若林弁護士にとって、電話応対は未知の世界だったからです。「友達なら『もしもし』だけど、社会に出ると『お世話になっております』ですかね、と伝えました」。お互いに、知らないこと、して欲しいこと、嫌なことを素直に伝え合うことで、信頼関係が少しずつ出来上がっていった、と振り返ります。
今では「あ・うんの呼吸」で会話ができるようになった二人。「そういえば、これまで『言い過ぎました、ごめんなさい』と謝ったことも、謝られたことも、一度もないですね」と笑いました。また、一つの案件を無事に終えられた時も、「ありがとう」とはお互い口にしないそうです。
「達成感がある時は、『おつかれさま!』と言い合います。二人とも相談者や依頼者の生活をとにかく改善する、希望をかなえるという同じ目標に向かって進むビジネスパートナーなので。『ごめんなさい』と『ありがとう』の気持ちが、この一言に集約されていると感じています」と遠藤さん。信頼で結ばれた対等な二人の関係が、この言葉からも強く伝わってきました。
遠藤さんは大学卒業後、東京都内のディベロッパー企業で働いていましたが、旅行先で見かけた手話通訳に興味を持ち、退社して手話通訳者を養成する学校に入学しました。「新しい言語を学びたい」。迷いはなかったといいます。そして在学中、運命的な出会いが訪れます。実習授業で体験した司法通訳の現場でした。
「聴覚障害がある田門浩弁護士と一緒に、法廷に立つ専任手話通訳士の土橋照美さんの存在に衝撃を受けました。通訳するスピードやスキルに圧倒され、私はこの仕事をするために養成学校に入ったんだと思ったほど。一目ぼれとしか言いようがありません」
しかし、司法手話通訳者という特別な資格はなく、専門の教科書も養成カリキュラムもありません。遠藤さんは司法通訳の経験者や現場での体験を重ね手探りで学んできました。キャリアを重ねた今でも、難しさを感じる日々だといいます。
通常の手話通訳と比較して、司法にかかわる現場では、特に言語化されていない情報の通訳が求められます。「例えば、電話をかけた際、相手の背後から他の人の話し声や、ガタンガタンという音が聞こえれば、相手が話す内容とあわせて『今、電車に乗っているところだと思います』という情報も通訳します」。相手の状況や心理状態によって、言葉の持つ意味が変わることも考慮してもらう必要があるからです。
認知症の相談者と電話で話をしていたときには、相手の「はい、はい」という受け答えを聞いて、了解しているのではなく、相づちの「はい」だと察知し、若林弁護士に再確認してほしいと伝えたことがあります。「遠藤さんは、相手の感情や言葉のニュアンスまでよみとり、表情や身ぶりも豊かに的確に伝えてくれます」と、若林弁護士もそのスキルに大きな信頼を寄せています。
「声が小さくなったり、話すテンポが遅くなったりなど、日本語にはノンバーバル(非言語)コミュニケーションの部分が本当に多い。そうした情報も含めて、どこまで通訳するべきかは難しいところです」と遠藤さんは指摘します。
司法通訳の場で通訳者として、より強く求められるのは、専門用語、一般用語にかかわらず、あらゆる言葉の意味するところを漏らすことも、付け加えることもなく正確に通訳することです。ここがおろそかになると、弁護士が相手方に正確な意味を確認する機会を失い、判断を誤まる可能性が生まれます。このことは、遠藤さんが司法通訳の仕事を始める際に、先輩の土橋通訳士から厳しく叩きこまれたそうです。「絶対に聞き落としや間違いがあってはいけない世界。特に法廷で曖昧(あいまい)なまま通訳することは、依頼者の法的利益を損なう恐れがあります。はじめて聞く用語を耳にしたときは、必ず聞こえた日本語を音として若林弁護士に伝え、正確な意思の疎通を図ります」
手話は、日本語を単純に手の表現に置き換えたものではありません。語順や文法が異なり、顔の表情や、目の動き、首の動きなども、言葉としての意味を持ちます。
さらに、手話通訳は常に同時通訳で、手の表現技術も必要になるため、身体と脳を駆使するハードな仕事です。遠藤さんは、定期的にメンタルチェックを受けたり、事務所内に休息スペースを設けてもらったりするなど、法テラスのサポートがあったおかげで、体を壊さずに仕事を継続できているといいます。
「手話通訳はボランティアから始まった経緯があり、どうしても福祉色が強くなりがちですが、もっと職業としての地位が確立されて欲しいですね。さまざまな分野で活躍する聴覚障害の方も増えています。それに併せて『専門職としての手話通訳』も広がって欲しい。司法や医療など専門分野ごとに手話通訳士が集まって、課題解決できればと願っています」
これまで、遠藤さんと若林弁護士が会った相談者や依頼者は500人以上。電話のみでやり取りをした人も含めると、1000人を超えます。ほかにも依頼者の困難の解決のためには、ヘルパー、ケースワーカー、行政担当者、家族や地域の人たちなど、多くの人たちとコミュニケーションを重ね、連携する必要がありました。
「その数が、信頼を積み重ねてきた証拠であり、司法手話通訳という仕事の価値だと感じています。昔から、私は人と対面で話すのがすごく好きでしたから、手話通訳が自分に合っているという思いは変わりません。新しい出会いのために、ひとつの言語として手話に興味をもってくれる人が増えて欲しいと思います」
本事業は、意思疎通支援従事者確保等事業
(厚生労働省補助事業)として実施しています
(実施主体:朝日新聞社)