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本事業は、意思疎通支援従事者確保等事業
(厚生労働省補助事業)として実施しています
(実施主体:朝日新聞社)
広告特集 企画・制作
朝日新聞社メディア事業本部
聴覚障害者によるスポーツの祭典「デフリンピック」が2025年、日本で初めて東京で開催されることが決定しています。再来年に迫った開催に向けて準備が進むなか、デフバレーボール(聴覚障害者によるバレーボール)の女子日本代表チームで手話通訳をつとめる岡田直樹さんに、手話との出会い、スポーツにおける手話通訳ならではの難しさややりがいについて伺いました。
岡田直樹(おかだ なおき)さん
1981年、横浜市生まれ。手話通訳士。大学卒業後、埼玉県戸田市の社会福祉協議会で、職員として手話通訳業務などに従事。2016年からは横浜市で手話通訳等の派遣コーディネーターを担当する一方、自身も現場で手話通訳者として活動する。また、2013年からデフバレーボール女子日本代表の手話通訳をつとめる。チームは2017年にトルコで開催されたデフリンピックで金メダルを獲得、第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025でも優勝を目指すチームを支えている。
岡田さんは、聴覚障害のある親の元に生まれた聴こえる子どもであるコーダ(CODA=Children of Deaf Adults)です。聞こえる世界と聞こえない世界の間で成長するコーダは、親から通訳としての役割を求められたり、周囲から「聴こえない親の子ども」として特別視されたりすることが多く特有の困難があるとされています。
ただ、ひとくちにコーダといっても、親の聴こえの程度や親子の関係性などから感じ方や抱える悩みは異なります。岡田さんの両親は、日本のろう教育において手話ではなく、口の形から言葉を読み取り、発声することが重視されていた時代に育ちました。そのため、岡田家では音声日本語に合わせて手話単語を同時に使う方法で会話をしていたそうです。双子の弟と交代で、親の代わりに電話に出たり、来客の応対をしたりすることもありましたが、そうした環境は当たり前のことであり、小さい頃はなにも疑問に思いませんでした。
しかし、思春期を迎え、友人の家との違いを感じるようになると、岡田さんは複雑な気持ちを抱くようになりました。「うちの親は聞こえないのか」「何でこんなこともできないのか」……その気持ちが自分にも跳ね返り、父親にひどい言葉をぶつけてしまった経験もあります。「反抗期だったせいもあるでしょうが、自分が未熟だったんですね。〝聞こえない〟という親の状態を、『違い』ではなく『優劣』で捉えてしまっていたのだと思います」と、当時を振り返ります。
岡田さんは高校時代、知的障害を持つ成年の余暇活動支援のボランティアに参加したことがきっかけで、障害者福祉を学ぶ大学に進学しました。聴覚障害児らの自己啓発グループの活動にも関わるようになり、そこで初めて、自分のような境遇の子どもたちが「コーダ」と呼ばれることを知りました。
手話講習会の初心者コースを受講し、本格的に手話を学び始めた岡田さんは、そこで自分の手話が通じないことに衝撃を受けました。岡田さんが使ってきたのは、「ホームサイン」と呼ばれる主に家庭内だけで通じる手話だったからです。さらに岡田さんがコーダであることを知った人から、一方的に身の上を同情されることもありました。自身の努力で手話が上達したのに、「手話ができるのはコーダだから」と解釈され、言い表せないもやもやを感じることも。「コーダなら誰でも手話ができるわけではないんです」と岡田さんが話す通り、一人ひとりの状況はそれぞれ異なっています。
手話を学ぶ楽しさを知った岡田さんは、次第に「手話を使う仕事がしたい」と考えるようになりました。「手話通訳養成の仕組みはうまくできているなと思います。最初の2年で基礎を学んで手話の面白さに目覚めて、さらに2年勉強を続けると、講師の先生から『手話通訳者の試験を受けてみましょう』といわれてチャレンジすることになる。自然と通訳者の道に進んでいくんです」
岡田さんが就職活動をした当時、手話通訳を募集する求人は今よりずっと少なかったですが、社会福祉協議会の職員として手話通訳の経験を積みました。現在では横浜市で手話通訳者等を派遣するコーディネーター業務を主に担当しています。
手話通訳者としては、病院や役所、学校など公共機関のほか、結婚式など生活の様々な場面に派遣されました。「常に新しい現場に行って、新しい刺激を受ける。日々、新たな出会いが待っている手話通訳の仕事は自分の性格にも合っていました。難しいこと、うまくいかないことは多いのですが、だからこそ面白い。もっと手話がうまくなりたいという原動力になるし、どうすれば伝わるかを考え続けることが自身の成長にもつながります」
一方、コーディネーターは聞こえない当事者の方と長くつながっていく仕事です。「何年も同じ方に通訳を派遣していると、その方が抱えている問題が解決し、生活や人生が変わっていく場面に立ち会う瞬間があります。そこにやりがいを感じますし、意思疎通を支える重要性を実感します」
岡田さんのもうひとつの大きな仕事が、デフリンピックで優勝を目指すデフバレー日本女子代表の手話通訳者としての活動です。デフリンピックは補聴器などをつけずに55デシベル以上の聴力損失(ふつうの声での会話が聞こえないレベル)がある人が参加できる、ろう者のオリンピックです。
デフバレーは、音の代わりにランプの点灯で知らせる以外には、通常のバレーボールとルール上に大きな違いはありません。審判もオリンピックと同じ国際審判員が担当します。ただ選手たちは競技場で補聴器などの使用は一切認められていません。そのため、選手と監督やコーチ、さらに審判とコミュニケーションを取る際には手話が欠かせません。
岡田さんは高校時代、バレーボール部に所属し、就職後も社会人チームで趣味としてバレーを楽しんでいました。その関係者の中にたまたま、デフバレー女子チームを率いる元日本代表の狩野美雪監督を知る人がいたそうです。「手話ができるなら一度見てみれば」と誘われ、軽い気持ちで代表合宿を見学に行ったことがきっかけとなり、2013年から手話通訳者として代表チームに加わりました。4年後に開催されたデフリンピックトルコ大会で日本は金メダルを獲得。新型コロナの影響で1年延期された2022年のブラジル大会には連覇をかけて挑みましたが、日本選手団に陽性者が出たため大会途中で、全選手が出場を辞退することになりました。東京2025デフリンピックでは再び金メダル獲得を目標に強化に取り組んでいます。
スポーツ手話通訳の難しさは、競技それぞれの専門用語の意味や戦術・戦略を理解し伝えることに加え、監督の指示における言外のニュアンスをいかに考慮した上で訳すことができるかだといいます。「例えば、監督が選手の士気を高めようと発したメッセージを、言葉通りに訳したため、伝わらなかったといった経験はあります」と岡田さん。また、デフバレーの代表メンバーの中には、聴者のチームで活動し、手話が第一言語ではない選手もいます。代表チームでの練習を重ねるうち、手話も上達していきますが、試合中、短い時間の中で正確に監督の指示や気持ちを含めて伝えることは至難の業です。「通訳が試合の結果に悪影響を与えることだけは絶対にしたくありません」。そのためにも監督、選手、スタッフとチーム全員で信頼関係を築くことが最も大切だといいます。時に代表選手候補の発掘などもサポートするなど、チームの一員として勝利を目指す支援もやりがいのある仕事です。
スポーツ手話通訳は難しさもありますが、自分がスポーツに関わった経験を生かすこともできる仕事です。現状では知名度が低いため、養成する体制もなく、個々のつながりをたどって人材を探しているのが現状だそうです。岡田さんも知り合いに声をかけたり、SNSを通じてアプローチしたりしながら、現場を知ってもらい後継者の育成にも力を入れています。「スポーツ現場での手話通訳は、体力も必要なので、特に若い人たちに興味を持ってもらいたいですね」
そのためにも東京2025デフリンピックが、デフバレーだけではなく様々なデフスポーツや手話通訳への関心が高まり、聞こえない・聞こえにくい人たちの世界を知るきっかけになって欲しいと岡田さんは願っています。「デフリンピックも、オリンピックやパラリンピックのように、誰もが楽しめる大会になってほしいです。2025年にはぜひ会場に足を運んで、選手たちの活躍を間近で体験してください」
本事業は、意思疎通支援従事者確保等事業
(厚生労働省補助事業)として実施しています
(実施主体:朝日新聞社)