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エンタメ

サハラに雪が降ったから!? 伊坂幸太郎『砂漠』新装版

提供:実業之日本社

伊坂幸太郎『砂漠』(実業之日本社文庫)
伊坂幸太郎『砂漠』(実業之日本社文庫)

目次

 伊坂幸太郎の『砂漠』は、根強い支持を受けている作品だ。伊坂作品の中でどれが一番好きかと聞かれたら、『砂漠』を挙げるファンも多いという。『重力ピエロ』『ゴールデンスランバー』など映像化された作品は数多いが、その手の華やかな話題があるわけではない。それでも『砂漠』が読者の心に深く刻まれているのは、名作と呼ばれる青春小説が持つ、爽快感やミステリー、個性的な登場人物を兼ね備えているからかもしれない。
 2005年12月に、実業之日本社から単行本として発表された『砂漠』。同社の創業120周年記念事業の一環で、12年の時を経て文庫として装いも新たに刊行された。

現実になった「砂漠に雪を降らす」

 「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」
 
 物語の中心人物の一人である、西嶋の台詞だ。常に熱弁を振るう西嶋は、実際にいたらウザがられるであろうタイプ。それでも彼の発言や行動は主人公らを感化し、“名言”が読者に突き刺さる。魅力あふれるキャラクターの西嶋には、共感する読者も多い。
 突拍子のないことをしようという、若者の特権のような言葉でさえも、西嶋が言うとなぜか真実味を伴う。情熱と行動力に満ちた彼の、本気で何かを実現しようとする姿勢。舞台となる仙台に砂漠はないが、物語のどこかで雪が降り出すのでは、とまで思わせる。
 伊坂氏は書き下ろしのあとがきで、サハラ砂漠で積雪が観測されたことを話題に挙げている。1979年に雪が降った時にはすぐに消えたが、昨年12月にアルジェリアの街で丸1日ほど溶けずに残り、観測史上最大規模の積雪だというニュース。伊坂氏は「だからというわけではありませんが」と、今回の新装版のタイミングについて言及し、西嶋についても触れている。
新装版の刊行にあたり、作者本人もメッセージを寄せた
新装版の刊行にあたり、作者本人もメッセージを寄せた

魅力的な登場人物「東西南北+鳥」

 物語の始まりは4月、大学の新入生が集まった懇親会。たまたま同じクラスで出会った法学部の学生たちが、恋愛あり友情あり、麻雀ありボウリングあり、合コンあり超能力ありの青春を駆け抜ける。「プレジデントマン」と呼ばれる通り魔との遭遇など、平凡とは言いがたい大学生活ではあるのだが。
 新装版では、「north, south, east and west, and bird.」の英字タイトルが添えられた。個性的な登場人物の名前が由来となっている。本作品のストーリーテラーであり、真面目でシニカルな主人公の北村。不思議な能力を持つ女子、南。クールで正統派美人の東堂。麻雀で「平和」にこだわる西嶋。一見チャラそうな鳥井。「東西南北」という理由で鳥井が声を掛けて集まった男女5人は、青臭さを時折見せながらも絆を深めてゆく。
  「春」「夏」「秋」「冬」と季節は巡り、ラストでは卒業式の日を迎える。これで彼らと会えなくなるかと思うと寂しくなるぐらい、キャラへの思い入れが強くなるのも、本作品の特徴と言えるだろう。

現役世代にも上の世代にも楽しめる作品

 カバーイラストは、これまでの『砂漠』の表紙のイメージから一変して、今どきのアニメをほうふつとさせる。現役の大学生や下の世代が手に取って読むにふさわしい、普遍的な日常、事件、そして小さな奇跡を描いた青春小説。淡々とした学生生活の日常の中にこそ、意味があることを見出すかもしれない。
 30代や40代、それより上の世代にとっては、単に学生時代の輝きを懐かしむのではなく、社会人としての自身の歩みと照らし合わせて、多くのことを考えさせられる。もちろん、一度読んだ人でも、物語に散りばめられた数々の伏線に気付かされるはずだ。
 「学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。そういう人生を送るなよ」
 
 卒業式での、学長の台詞だ。
 
 『砂漠』を人生のお気に入りに加えた読者は、北村の言い回しをまねて、本作品との出会いをこう振り返りたくなるだろう。
 
 「本一冊じゃ世界はちっとも変わらない。なんてことはまるでない、はずだ。」と。
砂漠(実業之日本社文庫)
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