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#90 イーハトーブの空を見上げて

「オシラサマ」を訪ね歩いて…「津波で流されました」調査する学芸員

オシラサマの調査をする熊谷賢さん
オシラサマの調査をする熊谷賢さん
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。
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イーハトーブの空を見上げて

毎年1枚ずつ布をかぶせてまつる

「わぁ、これは立派なオシラサマですねえ」

3月16日、陸前高田市の古民家に、北東北の民間信仰「オシラサマ」が二体、まつられていた。

調査に訪れた学芸員の熊谷賢さん(58)が声を掛けると、家主の佐藤隆雄さん(67)は「うちでは毎年3月16日に、こうして布を1枚ずつかぶせてオッシャサマ(オシラサマ)をまつっています」と説明した。ところが……。

佐藤さん 「妻方の本家にもあったのですが、津波で流されました」

熊谷学芸員 「ああ、やはりダメでしたか……」

博物館も津波で壊滅、職員6人犠牲

震災で陸前高田市は壊滅的な被害を受けた。死者・行方不明者は約1700人以上。

市立博物館も津波で壊滅し、職員6人全員が犠牲になった。

熊谷は震災当時、関連施設に勤務し、市役所の屋上に逃れて助かった。

全国の支援を受けて博物館が2022年秋に再開した時、どうしてもやりたい仕事があった。

地域に伝わるオシラサマの調査だ。

「大津波でどれほどのオシラサマが海へと流されたのか。仮設住宅などでの避難生活を経て、信仰はどう変化したのか」

オシラサマはいま…

博物館がオシラサマを本格的に調査したのは1990年。実はその調査の図録に、熊谷の名前がある。

当時はまだ歴史好き学生で、ボランティアとして加わっていた。

岩手県立博物館の2008年の報告書によると、岩手県内でオシラサマを所有する家は1200軒超。

陸前高田市の102軒が最多なのだ。

「人から人へと伝わっていく民間信仰は、災害や時代の変化を受けて移り変わっていく。オシラサマはいま、どんな環境にいるのだろう?」

1年に及ぶオシラサマの調査が始まった。

(2024年3月取材)

三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。
書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。
withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した
 

「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。

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