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SKE48井上瑠夏さん「なりたい自分にはきっとなれる」大事な言葉

SKE48の井上瑠夏さん=2024年10月、東京都内、松村北斗撮影
SKE48の井上瑠夏さん=2024年10月、東京都内、松村北斗撮影

目次

名古屋市・栄を拠点に活動するアイドルグループSKE48の井上瑠夏さん(23)は、小学校の卒業式に担任が教え子に贈った言葉を、今も座右の銘にしています。アイドルにあこがれながら、オーディションで何度も悔しい思いをした際、支えてくれたそうです。故郷の熊本を離れて8年、いまは第一線で活躍する井上さんに、思いを聞きました。

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熊本でソロ写真集を撮影

今年5月、井上さんにとって初めてのソロ写真集の撮影が熊本県で行われました。

世界最大のカルデラがある阿蘇山の北部に広がる高原や滝、有明海に面した天草など、豊かな自然と美しいロケーションが広がります。その中で井上さんがひときわこだわった場所があります。出身地、菊池市泗水町にある母校の小学校でした。

「元々女性アイドルや俳優さんの写真集を見るのが好きで、自宅にたくさんあります。いろいろな写真集を見ていたので、自分もいつか母校で撮影したいと思っていました。今回『行きたい』って言ったらなんと(出版社が)かなえてくださったんです」

実際に井上さんが学んだ教室での撮影時、黒板に井上さんはこんな言葉を書きました。

<なりたい自分にはきっとなれる>

小学校の卒業式の時に担任の先生が、この言葉を色紙に筆で書いてクラス全員に渡してくれたそうです。

「ちょうどアイドルのオーディションに落ちて、やっぱりアイドルになりたいって思い始めた時期に『なりたい自分にはきっとなれる』っていうこの言葉を胸に夢を叶えようと頑張ったので、絶対に(撮影でも黒板に)書きたいと思いました」

写真集より。母校の小学校の教室。井上さんは、卒業式に担任から贈られた大切にしている言葉を書いた=撮影/藤本和典 提供/扶桑社
写真集より。母校の小学校の教室。井上さんは、卒業式に担任から贈られた大切にしている言葉を書いた=撮影/藤本和典 提供/扶桑社

井上さんが小学生だった2010年代前半は、AKB48が社会現象になるほどの人気でした。1期生の板野友美さんのファンだった井上さんは、出演番組は欠かさずチェック、AKB48がコラボしたお菓子などをスーパーで買い占めるほど。

自身がアイドルになりたいとは思っていなかったそうですが、テレビの前で振り付けをまねながら歌っている姿をみた母親が2014年、各都道府県から1人ずつ代表メンバーが選ばれるAKB48Team 8 の熊本県オーディションに応募しました。

最終審査まで残りましたが、代表には選ばれませんでした。

その悔しさが、アイドルへの夢を本気にさせます。

中学2年生になった2015年春、今度は第2回AKB48ドラフト会議に応募します。プロ野球のドラフト会議のように、最終候補者をAKB48グループの各グループが指名して、合格が決まるというイベント。最終候補者に残った井上さんは、もし合格したら活動しやすいという理由で福岡が拠点のHKT48を希望しました。

ドラフト会議最終審査当日、東京都内の会場のステージで、井上さんはほかの候補者と指名を待ちました。その様子はCSで全国に生中継されました。

しかし、HKT48 は松岡はなさん(卒業)、村川緋杏さん(現CANDYTUNE)、今村麻莉愛さん(現チームKIVキャプテン)の3人を指名した段階で選択を終了しました。ほかの候補者が次々と指名されるなか、井上さんはほかのグループからも声はかかりませんでした。

まばゆい光と影。13歳の少女にとって、それはあまりに厳しい現実でした。

“私の人生で、一番挫折したとき”。そう井上さんは振り返ります。

「娘の夢を叶えてあげたい」母の応援

ここから人生をかけてアイドルをめざします。週1回熊本から東京に通ってダンスのレッスンを受けました。

時間も費用もかかりますが、両親が全力で応援してくれました。

「お母さん自身がかつてアイドルになりたい気持ちがあったみたいで、娘の夢を絶対に叶えてあげたいと思ったようです。何より、ドラフト会議での娘の姿を見ていたからこそ、『やりたいことは全部やりなさい』といった感じで背中を押してくれました」

ただ、残念ながら中2の冬にあったHKT48の4期生オーディションも合格しませんでした。

中3になったばかりの4月14日、熊本地震が発生。28時間のうちに最大震度7が2回発生し、熊本県のまとめでは252人が犠牲となる大災害でした。

井上さんの自宅がある菊池市も最大震度6強を観測し、自宅にいた井上さんは家族と近くの避難先のグラウンドで一夜を明かすなど、不自由な生活を強いられました。

それでもアイドルになる夢は諦めず、高校受験を翌春に控えた同年秋、ちょうど募集があったSKE48の8期生オーディションに応募します。

「進路を決めないといけない時期で、アイドルは最後の挑戦のつもりでした」
 
2016年10月29日、最終オーディション。その日のうちに合格が発表されました。

今年もこの日、井上さんはXにこう感謝の言葉をポストしました。<8年前の今日、私の人生が変わりました。(中略)みつけてくれて本当にありがとう>

AKB48グループのじゃんけん大会。ライブで歌う井上さん=2018年9月、東京都内、松村撮影
AKB48グループのじゃんけん大会。ライブで歌う井上さん=2018年9月、東京都内、松村撮影

合格後、すぐに名古屋に引っ越し、厳しいレッスンが始まりました。クラスメイトにもお別れをいえないままに引っ越すほどのあわただしさ。次に母校を訪れたのは卒業式でした。

合格の約3週間後には、8期生として「お披露目」、12月には劇場公演のバックダンサーとしてステージに立ち、「あまりに大変で、当時の記憶がない。体力的にもきつくて、よく乗り越えられたと、今振り返っても思います」。

最初は父親や祖父が名古屋についてきてくれました。高校入学と同時に、母親が同居するように。「最初はめっちゃ泣いちゃって。一番の反抗期でした。今は少し反省していて、これから少しでも恩返しをしていきたいと思っています」

ハードな「ダンスのSKE48」 先輩の支え

SKE48はAKB48グループの中でも激しく、そろったダンスで知られ、ファンの間では体育会系のイメージが強いグループです。井上さんも見知らぬ土地で、先輩ばかりのグループに加入することに不安もあったそうです。

しかし、幸い6期生の竹内彩姫さん(現SKE48所属事務所スタッフ)、5期生の江籠裕奈さん(卒業してソロ活動中)をはじめとした先輩が、親身になって相談に乗ってくれたり、私がファンならどう思うかといった第三者の視点から助言をしてくれたりしたそうです。

竹内さんはこの写真集の撮影にもスタッフとして同行し、サポートしてくれたとのこと。「先輩方に支えられてきた。それがなければ、こんなに活動を続けてこられなかったと思います」

TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)でライブを行うSKE48。右から2人目が井上さん=2023年8月、東京・お台場、松村撮影
TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)でライブを行うSKE48。右から2人目が井上さん=2023年8月、東京・お台場、松村撮影

加入から8年、井上さんは着実に人気を伸ばし、最近はステージでセンターを務める機会も増えています。10月に劇場デビュー16周年を迎えたSKE48の魅力、そして自身の抱負を尋ねるとこんな言葉がかえってきました。 

「熱い気持ちをメンバーが持っていて、コンサートになると、個々が負けず嫌いを発揮して、それぞれ強いパフォーマンスをして、それが大きくなって『ダンスのSKE48』と言われる魅力になっていると感じます」

「私もそれを受け継いで、グループを引っ張っていける存在になりたいです。そしてこのグループの良さが、もっともっと全国に、そして地元熊本に広まってほしいと本当に思います。ナゴヤドーム(現バンテリンドーム ナゴヤ)とかもっと大きな会場に(ライブで)立ちたいです」

TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)でライブを行うSKE48。左から2人目が井上さん=2023年8月、東京・お台場
TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)でライブを行うSKE48。左から2人目が井上さん=2023年8月、東京・お台場

1st写真集 「僕から先に言わせてくれ」(扶桑社刊、税込み3千円)は11月13日発売です。

写真集は井上さんの故郷・熊本の自然豊かなロケーションで撮影された=撮影/藤本和典 提供/扶桑社
写真集は井上さんの故郷・熊本の自然豊かなロケーションで撮影された=撮影/藤本和典 提供/扶桑社

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