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芸人がラジオで〝重大発表〟する理由 ネットが育てるファンとの関係

後に映画化されたラジオ特番で、トラック内に再現された春日の自宅前のオードリー=2010年12月24日
後に映画化されたラジオ特番で、トラック内に再現された春日の自宅前のオードリー=2010年12月24日 出典: 朝日新聞社

目次

バラエティーの裏側やプライベートが語られ、結婚など重大発表の場としても活用される芸人のラジオ番組。なぜこのように古いメディアが、いまだ高い人気を誇っているのか。radikoが長らく続き、昨今はSNSやイベントとの連動も盛況な「芸人×ラジオ」の魅力について考える。(ライター・鈴木旭)
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「生報告の場」になった

昨今、芸人がラジオ番組で“重大発表”をするケースが後を絶たない。さかのぼると、今年1月末には『空気階段の踊り場』(TBSラジオ)で空気階段・鈴木もぐらが離婚、昨年2月に『三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)』で三四郎・小宮浩信、2019年11月に『オードリーのオールナイトニッポン』(ともにニッポン放送)でオードリー若林正恭が結婚を報告。

また2022年8月に『水曜JUNK 山里亮太の不毛な議論』(TBSラジオ)で南海キャンディーズ・山里亮太が、同年10月に『ぺこぱのオールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送・2023年3月終了)でぺこぱ・松陰寺太勇が第一子誕生を発表するなど、軒並み情報解禁は自身のラジオ番組だ。

なぜ芸人たちは、封切りの場としてラジオを選択するのか。かつて著名人カップルは、双方の事務所を通じてマスコミ各社に報告し、結婚記者会見を開いた。それが昼のワイドショーで放送され、世に知れ渡ったものだ。

今年6月、女優・足立梨花がボーカル&手話パフォーマーユニット「HANDSIGN」のTATSUと結婚記者会見を開いているが、芸能界全体を見渡してもこのようなケースは珍しくなっている。

俳優の菅田将暉にしろ、シンガーソングライターで俳優の星野源にしろ、まずはSNSやマスコミを通して簡潔に結婚を報告し、改めて自身のラジオ番組でじっくりと心境を語っていた。

彼らは2年前の発表ということもあり、コロナ禍の影響から記者会見を差し控えたことも考えられる。とはいえ、芸人ともに共通するのは、生報告の場としてラジオを選択したことだ。ラジオは、テレビやそのほかのメディアと何が違うのか。芸人とラジオの親和性に焦点を当てて考えてみたい。
 

密室芸とノーカット編集

ラジオは、基本的に閉ざされた空間の中でトークする。収録番組もあるが、ほとんどの場合は生放送で届けるのが大きな特徴だ。

現在、『ナイツ ザ・ラジオショー 』(ニッポン放送)や『ナイツのちゃきちゃき大放送』(TBSラジオ)など、ラジオパーソナリティーとして活躍するナイツ・塙宣之は、多くの芸人が集結するバラエティーのひな壇よりも、自身についてラジオ向きだと感じていたという。

筆者が今年取材した日刊SPA!の「ナイツ塙宣之が語る、ラジオとおじさんの魅力。ベテラン漫才師は『うなぎのタレ』みたいなもの」の中で、塙はこう語っている。

「ラジオって全員がまず座らなきゃいけない。マイクとの距離でいち早く面白いことを言った人の勝ちなので、今まで苦手だった要素がなくていいなと思ったんですよ。立ったりせず、その体勢のままバババッとしゃべればいいわけですから。

その勝負なら誰よりも速くツッコんだりできるし、『向いてるな』とはずっと思ってて。強く意志を持って『ラジオやりたいな』と思ってたらレギュラーの話がきた」

もう1つ、ラジオ特有の要素として挙げられるのが「編集でカットされない」という点だ。例えば『宮下草薙の15分』(文化放送)は収録番組ながら、基本的にはそのまま放送されるようだ。

芸人によるラジオの魅力を特集したムック本「芸人ラジオ」(辰巳出版)の中で、2人はこう語っている。

「ラジオだと全部流してくれるからね。今(筆者注:本の発行は2020年10月20日)はあんまなくなりましたけど、去年ぐらいまでテレビだと、2人で出て宮下がすげえ面白いこと言ってもカットされる時があったんで」(草薙航基)
「そうですね。それで結構、意気消沈してた中で、ラジオは平等に放送してもらえるんで、それを業界の人に聴いてもらえると、なんか認めてもらえてる感じがする。(中略)草薙は昔の話みたいに言いましたけど、未だに僕が面白いことを言ったとて、草薙が頭抱えて叫んでるところが(筆者注:テレビでは)オンエアされるので(笑)」(宮下兼史鷹)
 

パーソナルな部分が露呈

宮下が話す通り、ラジオでは“じゃないほう”と言われがちな芸人が注目を浴びやすい。

『三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)』では三四郎・相田周二が先輩芸人をイジり、人気俳優を「友だち」と呼ぶ。また、ラジオきっかけで金髪にして以降、自身のトレードマークになっている。

2人に加えて、アルコ&ピース・酒井健太もラジオ番組で個性を発揮した。『アルコ&ピース D.C.GARAGE』(TBSラジオ)では相方の平子祐希をおちょくり、“平子をイジると面白い”という流れがテレビにも波及した。また、女性タレントやアナウンサーに対する距離の詰め方に、良い意味での“チャラさ”が発揮できたのは、ラジオならではだろう。

「M-1グランプリ当日にマネージャーと間違えられた」という錦鯉・渡辺隆は、『錦鯉の人生五十年』(GERA放送局)といった番組で「VTuber好き」を告白し、広く知られることとなった。

他方、『空気階段の踊り場』のように、鈴木もぐらのギャンブル好きや遅刻癖、水川かたまりの“マザコン”ぶりや仕送り総額1200万円のスネかじりが発覚し、コンビ間の言い争い、プロポーズから離婚報告までもが赤裸々に明かされる番組もある。

テレビでは、視覚的効果を狙った企画も多く、なかなか個人にスポットが当たりにくい。それがラジオなら存分に自分のことを話せる。そんな時間的余裕や気軽さが、本来持ち合わせている魅力を引き出すのかもしれない。

音声メディアであるラジオは、自ずとトークが番組の中心になる。だからこそ、芸人のパーソナルな部分が露呈しやすく、それがそのままリスナーを魅了することになるのだろう。

芸人とファンをつなぐ

時代を経て、リスナーとパーソナリティーの距離がより近くなったのもラジオらしい一面だ。かつてリスナーが番組に参加するには、はがきを投稿するしかなかった。しかし、今ではメールやSNSによってリアルタイムなやり取りが可能になっている。

前述のムック本「芸人ラジオ」の中で、霜降り明星のせいやと粗品は『霜降り明星のオールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送・2021年4月から1部昇格)のスタート当初をこう振り返っている。

「最初、生のスピード感はすげぇなって思いましたね。その時その時でメールが来て、面白いイジりをしてくれて。こうやって読まれるように考えんのやなって、感心します。最初は感動しました」(せいや)
「そうですね、面白いです。リスナーの名前も覚えますし。声出して笑うメールもたまに来るんですけど、凄く嬉しいし、楽しい仕事やなと思います」(粗品)

また、『ハライチのターン!』(TBSラジオ)では、2019年から“坂下千里子生誕祭”を毎年4月に開催。ハライチ・岩井勇気が、芸能界で最初に「毒づく感じがいい」と称えてくれた坂下千里子に感謝し、「誕生日に何かしてあげたい」とスタートした企画だ。

同企画では、リスナーに「#坂下千里子生誕祭」をつけてツイートするよう呼びかけ、トレンド入りを目指す。リスナーの熱量が試されるような企画で、実際に何度かトレンド入りを果たしている。

番組のイベント化も盛況している。『オードリーのオールナイトニッポン』では、2018年~2019年にかけて番組10周年を記念した全国ツアー(青森、愛知、福岡、東京・日本武道館の4カ所)を成功させている。

また今年4月には、来年2024年2月に予定される東京ドーム公演への道のりを記録すべく、YouTubeチャンネル『オードリー若林の東京ドームへの道』を開設。更新された動画はどれも高い再生回数を記録している。

こうした動きとリンクするのが、番組公式ファンクラブの設立だ。三四郎のオールナイトニッポンシリーズでは、2021年4月から限定ラジオや個人ブログ、プライベート写真などのコンテンツおよびサービスが楽しめる有料会員制のファンクラブを立ち上げている。

その真意について、三四郎・小宮は2022年5月23日放送の『アンタウォッチマン』(テレビ朝日系)の中でこう話している。

「(筆者注:ニッポン放送の)上層部の人も、ツイッターとかそんなこまめに見てるわけじゃないので。こんなに聴いてくれてる人がいるんだみたいな。それをなんか上の人に表現して提示しないと三四郎もやっぱりクビ切られるぞって」

ファンを可視化することで、自身の番組を継続させることができ、イベント開催の後押しにもなる。やはり、ラジオは芸人とファンをつなぐもっとも有効なコンテンツなのだろう。

ネットが支えるコアファンの時代

1967年から放送された『オールナイトニッポン』は、立ち上げ間もなく若者を中心に熱烈な支持を集めた。

当初はスポンサーもついておらず予算もない。ニッポン放送の社員・亀渕昭信氏がパーソナリティーを務め、リスナーから届いたはがきの束を投げて一番遠くにあった者に試供品をプレゼントするなど、それまでになかった企画を次々と打ち出していく。

やがてリスナーからのはがきは2万通を超え、曲のリクエストだけでなく、身の上相談の投稿が目立ち始めた。こうしたリスナーとのやり取りが番組の基礎となり、みるみる人気は高まっていった。次第にスポンサーもつくようになる。そこで亀渕氏がこだわったのは、スポンサーが内容に口を挟まないことだったという。

1973年、亀渕氏は番組全体のプロデューサーを担当するようになり、あのねのねや笑福亭鶴光らをパーソナリティーに起用。今度は裏方として、次々と人気番組を輩出していく。亀渕氏が出世街道をひた走る中で、1981年元日にスタートしたのが『ビートたけしのオールナイトニッポン』だ。この番組がお笑い芸人のうねりを作った。

初回の放送で「これは、ナウい君たちの番組ではなく、ワタシの番組です」と宣言した通り、それまでのように若者に寄り添うのではなく、「くだらねぇ」と笑い飛ばすマシンガントークによって爆発的な人気を獲得した。

深夜バラエティーが増加した1990年代からは、熱狂的だったラジオ人気も落ち着きを見せた。しかし、それゆえに“コアなファンがラジオを聴く”というスタンスが育まれていったのだろう。

もう一つ、2010年3月からradikoがサービスを開始したことの影響は大きい。今やスマホさえあればリアルタイムでラジオ番組を聴き、メールを投稿し、SNSに書き込めるようになった。

また、お笑い芸人特化ラジオアプリ『GERA』といったサービスがスタートしたことで、芸人とリスナーはより身近で濃いつながりになったと考えられる。

もう一つの潮流として、YouTubeもある。タレントのYouTubeチャンネル開設が珍しくなくなり、YouTubeでラジオ番組を配信する芸人も増えた。ラジオだけでなく、YouTubeで“重大発表”をする流れも目につくようになった。

これは、ラジオ同様、YouTubeもまた個人の場として、自由に編集あるいはそのままコンテンツをアップロードでき、パーソナルな部分を見せやすいメディアゆえの現象と言えるだろう。

ネット環境やライブストリーミングなどの技術が進み、双方向で刺激を与え合う時代になっても、「ラジオのスタイル」が求められ続けている事実に、芸人とそのファンといった関係を育むコミュニケーションの本質を見る思いだ。

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