連載
#5 #戦中戦後のドサクサ
突然自宅を訪ねてきた「アメリカさん」メイドを辞めた私の意外な体験
「普通の少女」が体験した歴史の1ページ
終戦直後の横浜。17歳の主人公・ユキエは、本牧地区に進駐する米軍宅の「メイド」です。毎日、早朝から夕方まで働いています。終業後は、家人の女性が、ジープで自宅近くまで送ってくれることもありました。
当時は、戦争の記憶が、まだ社会全体で共有されていた頃です。米軍に対し、快く思わない人々も少なくありませんでした。ある日、ユキエが仕事帰りに自宅近くを歩いていると、近所の住民から罵声を浴びせられます。
いわれのない中傷を受け、ユキエは失意のうちに帰宅します。「気にしない! その人が間違ってるだけ!」。そんな母の励ましに、気持ちを新たにするのでした。
もっとも、勤務先の「アメリカさん」たちは、親切そのものです。着古した洋服をプレゼントしてくれたり、帰り際、ケーキやソーセージを持たせてくれたり――。ところがユキエは、半年ほどで仕事を辞めてしまいます。
週に六日働き、拘束時間は長い。寒風に震えながら出勤しなければならない日も、少なくありません。そうこうするうち、段々と職場から足が遠のき、いつしか実家近くの電機店(小規模経営の金属加工業者)を手伝うようになったのでした。
それから間もなくのこと。母親が血相を変え、ユキエの部屋に入ってきました。「アメリカさんが来てる!! あんた! 一体何をやったの?」。かつて勤めに通った家の長女・シャリーさんが、ユキエの家までジープで乗り付けてきたのです。
「……あっ、そうだ!!」。ユキエが開けたかばんには、一本の鍵が入っていました。何と、シャリーさん宅の勝手口用のものを、預かりっぱなしだったのです。
「アイムソーリー……」。ユキエは鍵を手に、英語で謝罪します。するとシャリーさんは、満面の笑みを浮かべ「OK! I’m relieved!(大丈夫、ホッとしました!)」。そのまま帰ってしまいました。
実は、進駐軍関連の仕事は、元々短期の雇用でした。いずれにしても、ユキエとシャリーさんたちには、すぐお別れのときが来るはずだったのです。
「優しい人たちだし、いいお仕事だったなぁ」。米国製の空の缶詰を眺めながら、ユキエは、過ぎ去った日々を懐かしむのでした。
横浜在住の女性(90)の実体験に基づく、今回のエピソード。女性の親族を取材した岸田さんによると、進駐軍の仕事は、当時としては高給で人気だったそうです。そのためか、漫画にあるような嫌がらせを、周囲の人々から受けることもあったといいます。
また作中、印象的なシーンの一つが、ユキエがあっさりと仕事を辞めてしまうくだりです。この点について、岸田さんは次のように語ります。
「終戦直後の社会は、今と比べ、かなりおおらかな印象です。あいまいな理由で仕事を辞めたり、備品をうっかり持ち帰ってしまったり……。現代の感覚からすると困惑しますが、日本人もアメリカ人も、実生活ではあまり細かいことを気にしていなかったようです」
ごく普通の少女が経験した、かつての「敵」との異文化交流。岸田さんにとっては、シャリーさんとユキエの別れが、特に記憶に残っているといいます。
「『アメリカさん』にとっても、日本の思い出として残った出来事なのでしょうか? 今となっては確認するすべもありませんが、気になります」
「ユキエさんのモデルとなった女性には、ほかにも戦中戦後の横浜に関する、様々な物語についてお伺いしています。いずれ、ご紹介できれば何よりです」
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