MENU CLOSE

エンタメ

オードリー若林が求められ続ける理由 家庭教師まで雇い…貪欲に知識

お正月番組で見せた〝期待値の高さ〟

オードリーの若林正恭=2018年8月21日
オードリーの若林正恭=2018年8月21日
出典: 朝日新聞

目次

今年も様々な年始特番が放送された。その多くはネタ番組という中、存在感を示したのがオードリー・若林正恭だ。そうそうたるタレントが出演する番組でMCを務め、改めて期待値の高さをうかがわせた。なぜ彼は求められ続けているのか。その魅力に迫る。(ライター・鈴木旭)

【PR】指点字と手話で研究者をサポート 学術通訳の「やりがい」とは?

注目度の高い番組でMCを担当

2021年が明けて早々、若林は注目度の高い番組でMCを務めた。元日には『笑うラストフレーズ!~オードリー×若手芸人~』(テレビ東京系)、翌2日には『審査員長・松本人志』(TBS系)、『あなたのストレス、コントに変えます!喜怒哀ラフ』(MBS/TBS系)と立て続けに放送されている。

『笑うラストフレーズ!~』は誰もが知る有名なフレーズを若手芸人がコントとともに現代に沿ったフレーズに言い換えるバラエティー、『審査員長・松本人志』は今まで扱われたことがないジャンルのコンテストを勝手に開催し審査する内容と、どれも毛色の違う番組であり、共演者も先輩や後輩、同年代からレジェンド芸人まで幅広い。この点からも、いかに若林がMCとしてポテンシャルが高いかがわかる。吉本興業以外の芸人では、バナナマン・設楽統、有吉弘行に続く唯一の存在と言えるだろう。

先述した『笑うラストフレーズ!~』では、さらに若林のMC力を鍛えるべく、共演者が“司会進行を妨げるタレント”に扮した架空のトーク番組を実演するコーナーもあった。シミュレーションではあるが、共演者のクセの強い言動に翻弄され、たまりかねてブチギレる若林がなんとも人間くさく面白かった。

アラフォー世代という年齢的な部分もあるだろうが、ここにきてよりいっそう若林の期待値が上がっている。その理由について、これまでの足跡をたどりながら考えてみたい。

期待されるような働きができていない

「M-1グランプリ2008」で準優勝を果たして以降、オードリーはバラエティーで引っ張りだことなった。当初は、節約エピソードや「鬼瓦!」などのギャグを持つ春日俊彰に注目が集まったが、徐々に若林にもスポットが当たっていく。

私が覚えているのは、バラエティーに出演し始めて間もない頃、生放送中の番組で突然コーナーの仕切りを任されていたことだ。それも1回ではなく、何回か見た記憶がある。若林は戸惑いながら進行を引き受けるもうまくいかず、途中で番組アナウンサーにバトンタッチしたこともあった。

テレビ慣れしていない若林と、新たなスターの誕生に期待を寄せる番組スタッフ。そんな緊張感が漂っていた。ネット番組『そらを見なきゃ困るよ!』でMCを務めていたからだろうか。なぜか若林は、早い段階から仕切りのポジションを望まれていたのだ。この乖離に若林は悩んでいた。

著書『社会人大学人見知り学部 卒業見込』(KADOKAWA/メディアファクトリー)の中で、若林は当時の心境をこう書いている。

「大掛かりなセットでゲームができたり、ローションとか爆破とかテレビでないと経験できない仕事ができる。こんな幸せなことはない。嬉しい。でも、実力以上の仕事が舞い込んできて期待されるような働きができていないと感じる。焦る。そんな気持ちを行ったり来たりするような日々だった」

転機となった小説『ドーン』

若林のイメージが定着したのは、何と言っても2009年に放送された『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の企画「じゃない方芸人」と「人見知り芸人」によるところが大きいだろう。「舞台裏で電通や博報堂の人に間違われる」「人に話し掛けられず、缶ジュースのラベルを熟読する」といったエピソードによって、若林のネガティブな一面にスポットが当たった。

さらには、同年にスタートした『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)、2012年からスタートした『たりないふたり-山里亮太と若林正恭-』(日本テレビ系)によって、“物事を斜めに見るキャラ”が先行。コアなファンから熱烈な支持を受けるも、およそゴールデン帯のMCとはかけ離れた振る舞いを見せていた。

当事者である若林にも葛藤はあったようだ。ある番組で興味のないグルメやインテリアといった紹介VTRに対して、どうコメントしてよいか悩むことがあった。そんな時、若林の目に飛び込んできたのが平野啓一郎氏の小説『ドーン』(講談社文庫)の世界観だった。

本にはディヴ(分人)という言葉が出てくる。ディヴとは、恋人、会社の人、両親、友人など、それぞれの前で分けられた一つひとつ違う自分のことだ。若林は、この視点によって何かをつかんだのだろう。

「『ドーン』の中で、夫婦の間柄で全てのディヴ(分人)を見せるかどうか? というやりとりがある。ぼくは、全ては見せなくてもその人との関係をより良いものであろうとすることそのものが愛情の一つなんじゃないかと考える。だから、ぼくも様々な現場でより良くあろうではないか」(先述の『社会人大学人見知り学部 卒業見込』より)

信頼される愚直なまでの姿勢

ある時期まで深夜バラエティーのイメージが強かった若林だが、2015年に『ソレダメ!〜あなたの常識は非常識!?〜』(テレビ東京系)、翌2016年に『超かわいい映像連発!どうぶつピース!!』(前同)、2017年に『潜在能力テスト』(フジテレビ系)と、ゴールデン帯でMCを務めるレギュラー番組が次々とスタート。このあたりから、いよいよ若林はテレビの顔となっていく。

自ら家庭教師まで雇い、ニュースや普段抱えている疑問に対する知識を蓄えるようになった若林。ここで“新自由主義”の概念を学んだことによって、さらに若林は一歩前進する。新自由主義とは、政府の経済政策への介入に否定的で、効率を優先して民間の自由な活動、競争力を重視する経済思想のことだ。

2016年の夏、若林はこの新自由主義とは対極に位置する社会主義国のキューバに渡航する。競争を強いられない国で生きる人々を目に焼きつけるための旅行だった。この体験をつづったエッセー『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(角川文庫)で第3回斎藤茂太賞を受賞。自分自身の内省的な問題を、ここまで貪欲に掘り下げる芸人も珍しい。

しかし、こうした実行力によって若林は成長し、変化し、何かを捉えていった。この愚直なまでの姿勢が彼の魅力であり、テレビ関係者から信頼を寄せられる所以なのだろう。

進化し続けるタレント

もう一つ、若林に大きな影響を与えた出来事がある。2016年4月に父親が他界したことだ。著書『ナナメの夕暮れ』(文藝春秋)のあとがきで、若林はこう書いている。

「親父が死んでから、自意識と自己顕示欲の質量が急激に減った感覚があった。そして、“会いたい人にもう会えない”という絶対的な事実が“会う”ということの価値を急激に高めた。誰と会ったか、と、誰と合ったか。俺はもうほとんど人生は“合う人に会う”ってことで良いんじゃないかって思った。(中略)誰とでも合う自分じゃないからこそ、本当に心の底から合う人に会えることの喜びと奇跡を深く感じられた。初めて自分が人見知りであったことに感謝できた」

人と“合う”という感覚は、人見知りだからこそ敏感になるものだ。そして、“合う”は数ではなく濃さや深みを基準とする。この意識があるからこそ、若林の言葉は見る者に刺さるのだと思う。

劣等感や不満を抱え、葛藤し、対処しきれぬまま明日を迎える。若手時代の若林は、そんなことの繰り返しだったに違いない。そしてそれは、多くの人間にとっての日常だったりもする。若林はブレーク後もそんな悩みと向き合い、もがく様をさらけ出して笑いをとっていた。

注目すべきは、そこに留まることなく、時間を掛けて一つひとつの壁をクリアしていったことだ。元の性格を変えるのではなく、物の見方を変えていく。知識とはそういうものだということを、若林は身をもって教えてくれているように感じる。

年を追うごとに周囲から高いハードルを求められるのは、若林がタレントとして常に進化し続けているからにほかならない。今後はどんな壁を乗り越えてくれるのか。注目したい。

関連記事

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます