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連載

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#11 帰れない村

無人の自宅に東電へ辛辣な筆書き、書いた人は今…9年経て揺れる思い

今野洋一さんの自宅の窓に掲示されていた、東電を皮肉る内容の文面=2018年9月、福島県浪江町、三浦英之撮影
今野洋一さんの自宅の窓に掲示されていた、東電を皮肉る内容の文面=2018年9月、福島県浪江町、三浦英之撮影

目次

帰れない村
東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)

一時帰宅するたびに張り出し

帰還困難区域のバリケードを越え、人気のない商店街に足を踏み入れると、辛辣な文面の筆書きがいつも、窓際に掲示されていた。

〈仮設でパチンコできるのも/東電さんのおかげです/仮設で涙流すのも/東電さんのおかげです/東電さん/ありがとう〉

書いたのは福島県須賀川市で避難生活を送る今野洋一さん(80)。一時帰宅で津島地区に戻るたびに、そのときの思いを紙にしたため、自宅の窓ガラスに張り出してきた。毛筆を使ったのは、透析患者だったからだという。

「ボールペンだと手が震えてうまく書けねえ。筆だと、ちょうど良くてな」

商店を経営していたが、30代で腎臓を患い、人工透析の生活に。震災直後は、知人の透析患者が自宅に押し寄せてきた。バスで送迎してもらい、数日間、集団で二本松市の病院に通った。その後、津島地区からも避難するよう求められると、病院を転々として治療を続けた。「生き延びるために、健常者の何倍も苦労したんだ」と振り返る。

筆書きの文面を掲示していた自宅の窓の写真を掲げる今野洋一さん=2020年10月、福島県須賀川市、三浦英之撮影
筆書きの文面を掲示していた自宅の窓の写真を掲げる今野洋一さん=2020年10月、福島県須賀川市、三浦英之撮影

東電への心境、徐々に変化

なぜ、こんな目に遭わなければいけないのか――。事故を起こした東電が憎らしくて、2011年に次のような文面を張り出した。

〈放射能体験ツアー大募集中 東電セシウム観光 先着100名無料〉

しかし、そんな心境が徐々に変化していく。東電の社員が仮設住宅を土下座しながら回っているのを見た。「あいつらも大変だな」と思うと、東電への批判を記せなくなった。震災2年後の一時帰宅の際にはこう記して張り出した。

〈今日も暮れゆく仮設の村で/友もつらかろせつなかろ/いつか帰る日を想い/一時帰宅〉

今野さんの避難先に飾られている、かつての自宅周辺の空撮写真=2020年10月、福島県須賀川市、三浦英之撮影
今野さんの避難先に飾られている、かつての自宅周辺の空撮写真=2020年10月、福島県須賀川市、三浦英之撮影

自分の家に帰りたい

自宅は今夏、取り壊された。もう筆書きを張り出す窓もない。

「今だったら、どんな文章を書きますか」と尋ねられると、笑いながらこう言った。

「何十年も同じ土地で暮らし、人生の最後に突然、故郷から引きはがされた人間の気持ちがわかるか? 賠償金をもらってパチンコもやったが、楽しいことなんて何もねえ。俺はただ、自分の家に帰りたい。それだけだ」

後日、わざわざ記者に電話を掛けてきて、こう改めた。

「もう9年半も過ぎたんだ。東電も住民もお互い様だ。俺は恨んでなんかいねぇ。そんな風に書いてもらえねぇか」

故郷を離れて生きる苦悩を語る今野洋一さん=2020年10月、福島県須賀川市、三浦英之撮影
故郷を離れて生きる苦悩を語る今野洋一さん=2020年10月、福島県須賀川市、三浦英之撮影
 

東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」。毎週水曜日の配信予定です。

三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。

南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
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