連載
#11 帰れない村
無人の自宅に東電へ辛辣な筆書き、書いた人は今…9年経て揺れる思い
帰還困難区域のバリケードを越え、人気のない商店街に足を踏み入れると、辛辣な文面の筆書きがいつも、窓際に掲示されていた。
〈仮設でパチンコできるのも/東電さんのおかげです/仮設で涙流すのも/東電さんのおかげです/東電さん/ありがとう〉
書いたのは福島県須賀川市で避難生活を送る今野洋一さん(80)。一時帰宅で津島地区に戻るたびに、そのときの思いを紙にしたため、自宅の窓ガラスに張り出してきた。毛筆を使ったのは、透析患者だったからだという。
「ボールペンだと手が震えてうまく書けねえ。筆だと、ちょうど良くてな」
商店を経営していたが、30代で腎臓を患い、人工透析の生活に。震災直後は、知人の透析患者が自宅に押し寄せてきた。バスで送迎してもらい、数日間、集団で二本松市の病院に通った。その後、津島地区からも避難するよう求められると、病院を転々として治療を続けた。「生き延びるために、健常者の何倍も苦労したんだ」と振り返る。
なぜ、こんな目に遭わなければいけないのか――。事故を起こした東電が憎らしくて、2011年に次のような文面を張り出した。
〈放射能体験ツアー大募集中 東電セシウム観光 先着100名無料〉
しかし、そんな心境が徐々に変化していく。東電の社員が仮設住宅を土下座しながら回っているのを見た。「あいつらも大変だな」と思うと、東電への批判を記せなくなった。震災2年後の一時帰宅の際にはこう記して張り出した。
〈今日も暮れゆく仮設の村で/友もつらかろせつなかろ/いつか帰る日を想い/一時帰宅〉
自宅は今夏、取り壊された。もう筆書きを張り出す窓もない。
「今だったら、どんな文章を書きますか」と尋ねられると、笑いながらこう言った。
「何十年も同じ土地で暮らし、人生の最後に突然、故郷から引きはがされた人間の気持ちがわかるか? 賠償金をもらってパチンコもやったが、楽しいことなんて何もねえ。俺はただ、自分の家に帰りたい。それだけだ」
後日、わざわざ記者に電話を掛けてきて、こう改めた。
「もう9年半も過ぎたんだ。東電も住民もお互い様だ。俺は恨んでなんかいねぇ。そんな風に書いてもらえねぇか」
三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
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